この261mピークの点名は「横坂」だったが、点の記を見ると俗称は「高山」とあり、「高山城ふれあいの里」散策道で山頂に立てるようだった。このことからどうやら高山(こうやま)と呼んでもよさそうに思えた。その高山に向かったのは2016年12月の第三土曜日のことで、この後に向かう予定にしている矢原山の足慣らしとしてだった。口金近地区に入ると、中国道に沿った車道を走った。高山に近づける林道のそばまで来たものの、駐車地点を求めて今少し東へと走った。そして路肩が広くなった所を見つけて、そこに駐車とした。朝から快晴とあって冷えた空気の中を歩き始めた。車道を西へと数分歩くと、金近川に架かる小橋を渡って対岸に出た。その先で別の小橋からの道と合流すると、北へと向かった。その辺りから林道となったが、暫くは平坦な道で、途中で害獣避けゲートを通った。明るい陽射しを受けながらとあって、もう寒さは感じなかった。左手前方でごく低い山として見えているのが高山だった。小さな丘の右手を通り過ぎると上り坂となったが、緩やかな坂とあって、気楽に登って行けた。南に展望が現れるも、そちらの山並みは単なる丘陵地帯として眺められた。高山の東尾根に出ると、そこに案内板が立っていたが、印刷が悪かったのかすっかり消えており、単なる木の板になっていた。そこには高山城趾について書かれていたのではと推測された。そこからは西へと向かうのだが、東の方向へも歩けるようで、その入口には「長谷寺」の標識が付いていた。点の記では山頂への道は遊歩道と書かれていたのだが、どうも手入れがされず歩く人も少なかったようで、すっかり荒れ道になっていた。もうヤブ道と言ってもよさそうな所もあった。上り坂となり山頂と思える所に着くと、標識が立っていた。それを見ると、そのまま道なりに歩けば高山城遺構経由で駐車場に行けるようで、どうやらそちら側が正しい登山口のようだった。また南には「こもれび広場」があるようだった。その最高点の一帯は雑木が茂るだけで三角点を見なかったので、今少し西へと歩いた。数十メートル歩いてピークよりも少し低い位置で三等三角点(点名・横坂)を見た。そこも雑木が茂っており、単なる通過点の雰囲気だった。山頂にとどまる理由も無かったので、すぐに下山に向かった。下山は標識の位置に戻ってから「こもれび広場」への道に入った。その小径もほぼヤブ道になっていた。こもれび広場に着いたものの雑草が茂っており、広場と呼べそうな雰囲気は無かった。そこにも標識が立っており、東へと通じる小径は口金近に出られるようだった。周囲が植林に変わると小径ははっきりしなくなったので、適当に歩く感じとなった。それでも無理なく歩いて行くと、ごく小さな沢を越した先で作業道に出会った。その作業道を歩いて行くと、往路で歩いた林道に合流した。後は駐車地点を目指すのみだった。どうも高山を味わった感じは無く、単に三角点を見てきただけの感想しか持てなかった。
ところで帰宅後にガイドブックの「佐用ハイキング」を見ると、この高山を通るコースが「高山城跡から長谷寺へ」の項で紹介されていた。それを見て、今度は駐車場側から城跡を訪ねる形で高山に立ちたいものだと思った。
(2017/1記)(2020/6改訂) |