一週間前の2月1日にこの二山を登ったが、上空は青空が広がっているのになぜか尾根には陽が射さず、高巖はずっと日陰の姿だった。そのためすっきりとしない登山になってしまった。胸の中のモヤモヤを消すには再度登るしかないと考えて、そこで一週間後の2月8日に改めて権現山から高巖山の尾根を登ることにした。
この日の空は快晴で今度こその気持ちで向かっていると、国道2号線を離れて丘を一つ越えたとき、空の雲が増えて来た。そして高巖山まで来ると、もう空の半分は雲だった。これでは前週の二の舞かと思えたが、北の空には広く青空があり南の空も快晴だった。これは一時的なことだろうと思い直して、能下集落の八幡神社前に車を止めた。前回は周回で歩いたが、山の様子も分かったことでもあり、この日は八幡神社から高巖山経由で権現山までのピストン登山をすることにした。上空は雲の多いままで、尾根を登っているときも高巖に着いたときも陽射しは現れなかった。ただこの日は陽射しが現れるまで尾根でのんびりするつもりでいたので、高巖のそばで腰を下ろしてゆっくりすることにした。するとまず北に陽射しが見え、それが西向かいの西山まで移ってきた。10分ほど経つと高巖にも光が当たり出したが、そのとき周囲を見ると高巖と三濃山の山頂にのみに光があり、ちょっと神々しい感じだった。待った甲斐があったと言うものである。その後は陽射しが現れたり消えたりを繰り返していたが、冬の光はやはり透明感があるので、冬の日にこそ高巖の鋭い姿が強調されるようだった。この後は権現山にも立ち寄って、離れての高巖も楽しんだ。ついでに戻ってきたときに高巖の上にも立ってみた。南からだと取っかかりが少なく登るには厳しいが、北からだとちょっと踏ん張る程度で岩の上に立つことが出来た。もうこれで高巖には十分な思いとなったが、岩の上に立ったときちょっぴり山の神に失礼した気持ちが湧いてきた。どうもこの山には霊気があるようだった。山の神を怒らさないようにすぐに下りると、しずしずと能下集落へと戻って行った。
(2009/3記)(2020/1写真改訂) |