淡路島南部の地図を眺めたとき、柏原山から諭鶴羽山まで広く山地が広がっているのに、不思議と名の付く山が少なかった。その中で少し小さい山だったが油谷山の名があり、名の付く限りは少しは周りから目立つ山ではと気にかけていた。
2008年11月最後の週末は淡路島の山へと一泊泊まりのハイキングに出かけた。土曜日の29日は兜布丸山と先山を登り、そして日曜日30日は諭鶴羽山登山としたが、午前のうちに登り終えてしまった。そこで少し小ぶりな山に登ってから帰路につくことにした。時間的に諭鶴羽山に近い山で、さほど標高の無い山はと地図を眺めたとき、この油谷山が目に付いた。以前から少し気になっていたことを思い出し、またその手頃な大きさも気に入って、登ろうと決めるまでに時間はかからなかった。但し、油谷山をイメージも無いままに登りたくは無く、まずその姿を見ようと北富士ダムへの道に入った。そして見た姿は、小さく丸みを帯びたごく平凡な姿だった。麓との標高差は200メートルほどの山なので、その姿を見たことでうまくいけば30分ほどで山頂に立てそうに思えた。南西側から登ろうとそちらに向かうと、成相寺(なりあいじ)の前に出たとき、多くの車が駐車場に止まっていた。見ると境内のカエデが見事に色付いており、そのモミジ狩りに来ているようだった。地図ではその成相寺の横から油谷山へと車道が付いており、その車道の終点まで車を進めようと向かうと、入口にゲートが付いていた。一瞬入山禁止の山かと思ったが、そのようなことでは無く単なる害獣避けのゲートだった。そのゲートを開けて車を進めても良かったが、歩いても終点までの距離は大したことは無いので、ゲートの手前より歩き出すことにした。そこで車はゲート近くの路肩に止めた。歩き出したのは11時20分。12時頃には山頂近くには立てそうに思えた。上空は快晴だった。朝には冬の冷たさに感じた風も、少し冷たいと感じる程度になっていた。ゲートを過ぎて緩い坂を登っていると、右手に成相寺が見えており、紅葉のカエデが眺められた。少し登った位置にある広く平坦な所は、砕石関係の会社の敷地になっていた。その会社の縁を車道が通っていた。そしてもう一段登った所も平坦地になっており、荒地のまま放置されていた。車道はそこまでだった。山裾に近づいても登山道らしき小径は見えなかった。そこで地図を開いて山頂方向を確かめた後、適当に山裾に取り付いた。少し潅木ヤブになっており、小枝をかき分けながら北東方向を目指して登って行った。やや急坂だったが、木に掴まりながらゆっくりとマイペースで登った。そして何十メートルか登ったとき、前面にシダヤブが広がった。始めは迂回しながら潅木帯を登っていたのだが、とうとうシダヤブを突き抜けなければ進めないことになった。もう胸までシダに潜りながら登って行った。少しシダが減って楽になったかと思うと、また深いシダヤブが現れた。20分ほど登ったとき一度展望の良い岩場が現れて一息入れた。これでシダヤブを抜け出せたと思ったのだが、単にシダが途切れていただけだった。そして山頂から南西に伸びる尾根に出ても、あまり状況は変わらなかった。尾根では露岩が現れて歩き易くなることもあったが、長くは続かずまたシダヤブをかき分けることになった。特に尾根のシダヤブはイバラが混じっており、これがくせ者だった。そろそろと歩かないとシャツやズボンの上から引っ掻かれることになり、何度も引っ掻き傷を作った。それでもじわじわとながら山頂には近づいていた。ときおりはシダが途切れて一息入れた。山頂が近くなったとき、左手に植林地が現れたので、その中を歩くことにした。少しは楽になったが植林の手入れが悪く、枝を避けるのがけっこう面倒だった。そこを過ぎるとまたシダヤブに突っ込むことになり、そしてイバラで引っ掻き傷を作った。もうここが山頂ではと思える位置に着いても、そこもシダヤブになっており、三角点を捜すのがけっこう難しかった。暫く捜しても見つからず、そこで地図を取り出すと、三角点記号が山頂の僅かに北寄りに記されていた。そこでイバラを切りシダを掻き分けてそちらに進んだが、やはり見つからない。ただ絶対にあるはずなので、かがみ込んでシダの下を覗いたりと更にうろうろしているとき、体が進まなくなった。よく見ると腹の位置を針金が横切っていた。これは三角点が近いと直感してその一帯を探ると、四等三角点がシダの中に埋もれていた。漸くの発見だった。山裾に取り付いてから80分近く経っており、予定の2倍以上かかっての到着だった。三角点を確認すればそのシダヤブ地帯に居ることも無いので、展望のある位置へと移動した。少し南西方向に戻ると、ちょっと開けた場所に出た。そこで一休みとする。両足のあちらこちらがちくちくするので、ズボンの裾をめくってみると、無数の傷が付いていた。血の出ている所もあり、数えるとすぐに50を越えてしまった。両手の傷を入れると100ヶ所以上は引っ掻いたようである。5センチを越える傷も数ヶ所あった。何ともすさまじい山であるが、そのことは少し忘れて展望を楽しむことにした。南東方向の間近にあって尾根を南北に広げた山は、前日に登った兜布丸山のようだった。そして南西遠くに見える電波塔の立つ山は諭鶴羽山と分かった。そこは風も当たらず休むには絶好の場所で、陽射しを浴びながらこの風景を楽しんだ。そして下山としたが、登って来たコースは厳しすぎて辿る気にはなれず、南西方向に直線的に下ることにした。始めこそシダヤブを掻き分けたが、そこを抜けると灌木帯に出た。やや急斜面になっていたが、木に掴まりながらどんどん下ると、急に木々が切れて、緩く谷状になった所に出た。谷に沿って木々の切れている様子から、防火帯のようだった。その長閑な様子はシダヤブとは雲泥の差だった。その防火帯を下って行くと、程なくススキの荒れ地に下り着いた。そこは登りに取り付いた地点とは、さほど離れていなかった。下りはけっこうあっさりと下れたことになり、油谷山はルートの取り方によってはさほど難しい山でも無さそうだった。
下山後は成相寺に立ち寄った。駐車場の車は数台に減っており、境内は閑散としていた。その静けさの中で紅葉狩りを楽しんだ。カエデの色付き様は見事なばかりだった。それを眺めながら、モミジ狩りは深山も良いけれど、人手で大切にされたお寺の庭の美しさはまた格別だと思わされた。そして先ほどのヤブコギはもう別世界のことに思えてきた。
(2008/11記)(2021/11改訂) |