播州にも城山は多くあり、いずれもごく気楽に山頂に立つことが出来ると言って良いが、その中でも簡単さで負けていないのが感状山ではと思われる。羅漢の里から遊歩道を登れば、20分ほどで感状山城跡がある山頂に着くことが出来る山である。
2009年2月の最終日は土曜日。空は良く晴れており、これはちょっと遠出をしたくなったが、この日は運悪く公民館の掃除当番になっていたことを思い出し、出鼻をくじかれてしまった。そこで昼どきを軽いハイキングで過ごすことにした。そして思いついたのが相生市の北部、瓜生の里にある感状山で、城跡で昼食をとるのも悪くないと思えた。ついでに羅漢石仏も覗くことにした。瓜生の里の売店を過ぎて奥まった所にある駐車場に着いたときは、12時を回っていた。午前は快晴だった空はなぜか雲の多い空に変わっており、ほぼ薄曇りと言ってよさそうだった。駐車場から左手に水車のある風景を見ながらモニュメントのアーチを潜ると小橋があり、それを渡ると瓜生羅漢への遊歩道が始まった。狭い石段を登って行くと、石室の前に出た。その前は囲いがされており、その中に羅漢石仏が並んでいた。どの羅漢さんもこの日の寒さに少し震えているようだった。感状山への遊歩道は羅漢石仏への道の途中から分かれていた。分岐点まで戻って、山頂へと登り始める。暫くは階段となった遊歩道をただ登るだけなので楽と言えば楽だったが、城跡のある山頂へは自然な道で続いて欲しいと思えた。どうも遊歩道だと単に整備された山を登っている雰囲気で、古きを訪ねる味わいは乏しかった。その遊歩道も山上に出る前に終わり、ごく普通の山道となって城跡に近づいた。最初に着いた城跡は岩場の広がる物見台で、そこは南に向かって展望が広がっていた。その逆光にうっすらとしている風景を眺めながら昼休憩とした。のんびりと展望を楽しむと言いたかったが、冷たい風があってちょっと寒々とした中での休憩になってしまった。もうそこからは城跡を訪ねての散策だった。倉庫跡があり、一段高い所がU曲輪で、そこより更に僅かながら高い所がT曲輪となっていた。どちらも城跡の風情を持って平らに開けていた。最高点となるT曲輪には水準点が置かれていた。そのそばに標柱があり標高は301.05mと記されていたので、地形図の305mとは違っていた。まずは落ち着いたその風景の中に身を置いて、城跡の静けさを楽しんだ。パートナーと二人きりで、他に人影を見ないのも心落ち着くことだった。城跡は東に向かって開けており、そちらを見ると見下ろす形で権現山から高巖山へと続く尾根が眺められた。高巖も見えていたが、ごく小さな岩にしか見えなかった。この感状山だけではほとんどハイキングにならないので、尾根を今少し北へと歩いて、西山の三角点を目指すことにした。感状山からはごく普通の里山道が続いていた。赤テープが点々と付いていた。始めに20mほど下ると後は緩やかな尾根を道なりに歩くので、相変わらず気楽に歩けることになった。少しシダが目立つものの、道ははっきりしていた。そしてT曲輪を離れて15分も歩けば西山の三角点ピークに着いた。三角点は三等三角点(点名・西山)だった。そこは展望が無いうえに一帯がほぼ平坦なこともあって、単なる通過点の雰囲気だった。ごく近くに送電塔が見えたので、そこまで歩いて一休みとした。北東に向かって開けていたが、近くの尾根と送電塔が見えるだけで、ごく平凡な風景だった。その中にあって北に間近く見える410mピークは鋭い三角形の姿で目立っていた。登りたい気持ちが起きたが、この日は西山までの軽いハイキングで終わる予定としていたため、410mピークは眺めるだけとした。下山は巡視路のままに西へと下って行った。始めに赤土の道として続き、下るうちに道の中に小さな水の流れが現れた。予定では地図の破線路のままに下る考えだったが、巡視路が三濃山方向へ向かい出したときに、水の流れが南の方向へと離れたのを見て、その流れに沿って下って行くことにした。地図を見ると急斜面は無さそうだった。沢沿いを歩くときに注意することは、崖を回避することだが、崖も無く沢沿いの木々は適度に空いており、無理なく下って行けた。途中で急斜面になると、沢を渡って反対側に出た。そちらでも歩き難くなるとまた沢を横切った。それを何度か繰り返した。ただ小径は現れず、歩き易い所を選ぶだけだった。ときおりうっすら陽が現れたが、概ね曇り空の下だった。少し肌寒さを感じながらで、この沢沿いの下りはけっこう長く感じられた。40分ほど歩いて、結局小径を見ないままに羅漢さんの遊歩道に下り着いた。西山までは登山としてごく平凡だったが、下山で未知のコースを辿ったことで、この感状山、西山ハイキングが新鮮な感じになったのは良かった。次は沢コースで三濃山を目指すのも面白いのではと思いながら、遊歩道を戻って行った。
(2009/4記)(2021/11改訂) |