1995年の初めての登山以後は長く畑山のことは考えていなかったのだが、2004年1月に畑山とは神谷ダム湖を挟んで対岸となる藤ノ木山を訪れたおり、ダム湖を前景として畑山を望んで再訪を考え出した。ただごく低山だけにいつでも登れるとの気持ちでいたため、また少し時間が経ってしまい、漸く登ろうと向かったのは2005年10月下旬のことだった。この日の姫路の空はどんよりと曇っていたが、天気予報では播磨南部の午後は晴れとなっていた。そこで目指したのは宍粟市山崎の山だったが、山崎町に入ると小雨が降り出した。程なく止むものと思っていたが、11時が近くなっても止む気配は無し。そこで山崎町の山は諦めて、姫路に戻ることにした。その姫路の空はというと昼どきとなって良くなっており、雲は多いながらも青空も広く現れていた。そこで午後からとなるが、仕切り直しで向かったのが畑山だった。コースとしては手短に登ろうと、神谷ダムからを考えた。そこでダムそばへと通じる道が始まる豊富町の神谷地区へと入り、いざその道に車を進めると、なんと通行止めになっていた。草刈り作業とかで1ヶ月ほどの期間での通行止めだった。ふもとから車道を歩くのも嫌なので、そこで次に考えたのが、藤ノ木山登山と同じく、北麓側の山田町牧野にある牧野自然公園側から登ることだった。その公園入口にある駐車場に駐車とする。公園内にはキャンプ場があり、尾根へと遊歩道も巡っているが、その遊歩道では畑山へは遠回りとなるので、最短で近づこうと、公園の南にある光景寺山にまず立つことにした。公園入口には大谷池があるが、その池の西側の土手を渡って光景寺山のふもとに取り付き、山頂を目指して適当に登って行く。雑木ヤブの山肌だったが、ごく低山なので60mも登ればもう山頂だった。すでに13時が近くなっていたため、その光景寺山で少し遅めの昼とした。光景寺山からは南に畑山を望めたが、間には深い谷がある。そのため南東へと歩いて小さなピークを越してダム湖畔へ出なければならない。ただそのルートには遊歩道が通じており、無理なく向かうことが出来る。そこでその遊歩道を歩き出したのだが、どうもあまり歩かれていないらしく、前回歩いたときよりもけっこう草深くなっていた。ダム湖畔に着くとダム湖を巡る車道を歩いて、畑山への最短となる位置まで進む。そして尾根に向かって涸れ沢沿いを登って行った。薄暗い雑木帯だったが、緩いままに登って行けた。ただクモの巣が多くて、それを払い除けての登りだった。尾根に出ると小径に出会った。前回の下山時に歩いた道だろう。もう後はこの小径を伝って山頂へと向かうだけである。この小径を歩き出してもクモの巣の多さは変わらず、常に小枝で払い除けてなので、のんびりと登るというわけにはいかなかった。周囲は雑木が取り囲んで展望は良くなかったが、ときおり開けた所があり、遠くに七種山や明神山を望むことが出来た。そちらの空はまだ黒雲に覆われていた。山頂が近づくとやや急坂となり、マイクロウェーブ反射板のそばを抜けると、尾根はなだらかになってもう山頂は近かった。尾根は細長く笹原となっており、その中を頂上の三角点まで踏み分け道が続いていた。優しげな風景だったが、笹原を雑木林が取り囲んでおり、展望は無し。山頂に立つと三角点は笹に隠されていたので、暫しの間、その周囲の笹を刈って三角点周りをすっきりとさせた。その後はマイクロウェーブ反射板へと戻る。その反射板のそばには大きな岩があって、その上に立つことが出来る。どうやら昔、旗振り場とされた岩のように思えた。反射板はその周囲をフェンスが取り囲んでいたが、一カ所大きく穴が開けられていた。またフェンスの下が掘られてくぐり抜けられる所もあった。どうやら展望を求めての所作と思われた。こちらも展望を得たく、小休止だけならと中に入って休むことにした。そこは南がすっかり開けており、まず目に飛び込んできたのが姫路セントラルパークの遊園地風景だった。ジェットコースターの音も聞こえていた。その南を見ると桶居山の尾根が東西に延びており、更に南には瀬戸内海が光っていた。南西には市川の流域風景、そして東を見ると山並みを越して善防山の頂が覗いていた。この風景を眺めながらひとときを過ごしていたが、いつしか睡魔に誘われて眠ってしまった。その眠りを覚ましたのは冷たい風だった。空は更に晴れるものと思っていたのだが、再び雲が広がって陽射しは消えていた。そこで下山とする。下山は前回と同様、尾根の小径を辿って太尾キャンプ場へと向かった。往路での尾根合流点を過ぎても小径は程良い緩やかさで続いており、無理なく下って行けたが、またクモの巣が現れて来た。やがて尾根より太尾キャンプ場への道が分かれたが、今回はそのまま尾根道を西へと辿ることにした。小さなアップダウンだけでその先も小径は続いていたが、行き着いた所は城山山上の神社、城山大神だった。そこからは住宅地へとツヅラ道が続いていた。もう辺りは夕暮れの光りとなっており、その中を車道を歩いて駐車地点へと戻って行った。この帰り道で思ったことは、住宅地より山頂までは1時間ほどの距離で小径が続いているのに、あまり歩かれていないとことだった。今少し整備されれば、程良いハイキングコースになるのではと思っての帰路だった。
(2005/11記)(2012/6改訂)(2020/12改訂2) |