展望の良い山の山頂に立ったとき、まず眺めるのは有名山の姿で次は形の良い山となるが、そのうちにその頂に立てば展望が良いのではと思える山を捜すようになってきた。2002年7月に加美町と八千代町の町境尾根にある烏帽子山に登ったときのことだが、山頂近くにあった抜群の展望地から周囲を眺めていたとき、西光寺山の手前に電波塔を山頂に持つこの浅香山が目に付いた。ごく小ぶりな山で、周囲の高峰に比すると全く目立たなかったが、烏帽子山までの間に遮る山は無く、その頂に遮るものが無いのならきっと素晴らしい展望が広がっているのではと思えたものである。ただ標高が低く、山頂近くまで車道のあることで、登山対象から外していた。
その浅香山を2005年5月連休に訪れることにした。この日は午前こそ雲が多かったが、午後に入って急速に青空が広がっていた。その昼どきをイタリ山で過ごしていたのだが、この快晴の空を見て、登山と言うよりも展望を楽しみたくそこでさほど距離の離れていない浅香山に登ることを思い付いたものである。浅香山の西麓にある北播磨養護学校に着いたときは、午後の1時半になっていた。山頂近くまで続く車道はその養護学校のそばから始まっているのだが、その入口近くから別の車道が近くの墓地まで続いていた。その墓地の手前に手頃な駐車場所があったので、そこに駐車とした。すぐに車道を歩きを開始した。車道は始め小さな沢と平行して北に向かっていたのだが、その沢を見ると両岸をきれいに護岸されていただけで無く、川底までコンクリートで固められているのを見て少し工事のやり過ぎではと思ってしまった。ただ岸辺にはシャガの花が満開で彩りを添えていた。その沢をを横切って、車道は山中へと向かった。車道は舗装路のまま終始緩やかなで、散歩感覚で登って行けた。登るほどに周囲の木々の緑がまぶしくなった。その木陰は涼しく、まさに「風薫る五月」のことばがぴったりだった。車道が終わったのは、標高で250m辺りだろうか。その先も山道が続いており、山頂に向かっていた。その道は途中からは丸太の階段となって、遊歩道のようになった。道そばにベンチの置かれている所もあった。その山道歩きも長くは無く、山頂が近づいたのか電波塔が見えてきた。その電波塔の横を過ぎると、草地だけの広やかな所に出た。そこが山頂で、三角点が覗いていた。傍らにはNHK中町テレビ中継放送所があったが、その電波塔を除くと視界を遮るような高い木はほとんど無く一気に展望が開けた。東に西にすっきりと山々が眺められた。東に見えていたのは妙見山に西光寺山で、西には笠形山に飯森山、そして中町の妙見山も望めた。中でも笠形山の姿は雄大感があった。この風景を更に素晴らしくしていたのはこの日の天気で、澄み切った視界が風景をより鮮やかにより鮮明に見せていた。風も爽やかで、その風に吹かれながら展望を十分に楽しんだ。傍らにボタン桜の木があったが、昨日の雨で散ったのか根元に花がいっぱい散っていた。今少し早い時期に訪れておれば満開の桜が楽しめたのにと少々残念な思いを持った下山はすんなりと往路を戻った。ところで山頂でこそ誰とも会わなかったが、道中の車道では5人ほどの老人とすれ違った。どの老人も80才ほどに見えいぶかしく思ったものだが、下山後に浅香山を離れて行くときに、近くに特老ホームがあるのを見て納得した。どうやら浅香山は、おじいさんの散歩山でもあるようだった。
(2005/5記)(2023/4写真改訂) |