TAJIHM の 兵庫の山めぐり <北播磨 
 
野間山    のまさん 320m
No.2
光竜寺山  こうりゅうじさん 214m
  No.2
 
1/2.5万地図 : 中村町 多可町
 
【2024年11月】 2024-204(TAJI&HM)
 
    《野間山》 光竜寺山の北麓側より  2024 / 11 《光竜寺山》 野間川の近くより  2024 / 11

 「はりま歴史の山ハイキング」に紹介されているのが野間山と光竜寺山だった。2003年に一度歩いていたが、再訪しようと向かったのは2024年11月の第四金曜日のこと。前回と同じく町民グラウンドの駐車場に車を止めてスタートした。この日は前回とは順路を変えて、先に野間山を登ることにした。そこで車道を西へと歩いて小さな坂を登った。下り坂に入ると、快晴の空の下に野間山の尾根が眺められた。野間川に近づくと、今度は背後に光竜寺山が眺められた。県道143号線に合流すると、その先で野間川に架かる俵田橋を渡った。渡った先が野間山の搦手道登山口だった。搦手道は尾根に出るまではほぼ階段道で、遊歩道と呼べそうな易しい道だった。周囲では木々の紅葉が進んでいた。尾根に出ると、四等三角点(点名・門下)に出会った。その先も易しい尾根道だった。もう城跡のエリアに入ったようで、登山道を離れて見張り台に立ってみると、そこは城跡らしく平らになっていた。少し展望があり、北の方向に黒木山を、東に木谷山の尾根が眺められた。北の空は黒い雲が広がっており、その雲がこちらに向かっていた。登山道に戻ると西へと進んだ。尾根道は尾根筋から少し下がった位置を、ほぼ平坦に続いていた。尾根が大きく曲がる位置が近づいたとき、地図を見て山頂となる本丸跡のそばを過ぎていることに気付いた。すぐに尾根筋に上がった。山頂は東西に細長くなっており、立った位置は西端に近い位置だった。そこで東へとほほ平坦な山頂部を歩くと、すぐに山名標識を見た。そこが本丸跡の中心部のようで、平らに開けていた。城跡らしく色付いたカエデの木を多く見たが、その頃にはほぼ曇り空になっており、紅葉は沈んだ色合いだった。そこでは休憩せず、西端の位置で昼休憩とした。野間山は本丸跡の位置よりも、南に位置する「しょうどの丸」の方が少し高く、そちらも訪れることにした。まずは鞍部へと下った。鞍部は「兵溜まり」と呼ばれる位置で、そこより南へと登り返した。目印を追うようにしてやや急斜面を登ると、尾根は緩やかになった。その平坦部の一部は岩場になっており、好展望地だった。西に見えていたのは観音山だった。その岩場より今少し登って「しょうどの丸」に着いた。そこは城跡らしく平らに開けていたが、木々が茂っており展望は無かった。そのためすぐに引き返した。「兵溜まり」に戻って来ると、そこからは大手道コースを下るつもりだった。前回は往路コースとして歩いた大手道だったが、取り付き点がよく分からなかった。それでも谷筋を下れば良かったので、適当に斜面を下った。すぐに大手道に出会えると思っていたところ、そのようなことは無く、仕方なく適当に沢筋へと下りて行った。目印を見ないだけでなく災害跡も現れたので、コースは災害で消えてしまったように思われた。沢そばを下るうちに登山道らしき杣道に出会い、その小径は次第にはっきりしてきた。大手道を歩いているようだった。車が通れる広い道となり、程なくゲートを通った。もう中野間集落は目前だった。中野間集落内に入ると、極楽寺の前を通って野間川に近づいた。野間川に架かる橋を渡って直進すると、八千代郵便局の前を通った。その先が光竜寺山の登山口だった。案内標識が立っており、登山道もはっきりしていた。南西斜面を登って行く。野間山の搦め手道以上に易しいコースだった。距離標識が点々とあり、城跡案内図もあり、健康に関する標識も立っていた。但し斜面はすっかり植林地で、展望は皆無だった。その易しい道のままに城跡エリアに入った。三の丸跡、出丸跡のそばを通って本丸跡となる光竜寺山の山頂に着いた。城跡らしく平らに開けた山頂にはベンチが幾つか置かれており、休むには良い所だった。但し道中と同じく展望は無かった。西の方向に少しでも展望があれば、町民の憩いの山として人気が出るのではと思われた。下山は直進する形で二の丸跡を通って搦め手道に入った。これまた良く整備されている易しい道だった。緩やかに下って登山口に着くと、そこから駐車地点まではごく僅かな距離だった。
(2024/12記)
<登山日> 2024年11月22日 11:44駐車場スタート/12:08野間山搦手道登山口/12:21点名・門下/12:53〜13:17野間山本丸跡(山頂)/13:35しょうどの丸/14:12ゲート/14:29光竜寺山大手道登山口/14:46〜56光竜寺山山頂/15:10光竜寺山搦手道登山口/15:12駐車場エンド。
(天気) スタート時は快晴。徐々に雲が増えてきた。野間山の山頂に着く頃は、ほぼ曇り空だった。その後は晴れたり曇ったりを繰り返した。光竜寺山の山頂は、ほぼ曇り空だった。野間山山頂の気温は14℃。肌寒い風を受けた。視界は良かった。光竜寺山山頂の気温は17℃。風はほぼ無し。山頂は木々に囲まれており、展望は無し。
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町民グラウンドの駐車場に車を止めた そばの木々が紅葉していた 駐車場の向かいに建っていたのはエアレーベン八千代だった 西へと車道を歩いて行く 緩やかな上り坂だった
左手に光竜寺山の搦手道登山口を見た 下り坂に入ると、前方に野間山の尾根を見た 小坂池のそばを通った
前方に野間山の全景が眺められるようになった 野間山が近くなってきた
振り返って光竜寺山を見た 県道に近づいた 県道に合流すると、野間川に架かる俵田橋を渡った

橋を渡っている
とき、前方に光
竜寺山を見た

橋を渡ると、搦
手道の登山口が
現れた

城跡の案内図が
建っていた 
搦手道コースを登って行く 丸太の階段が続いた  斜面を登って尾根に近づいた
尾根に着いた 木々の紅葉は進んでいた 尾根上に三角点を見た
四等三角点(点名・門下)だった ごく緩やかな尾根だった 尾根にも丸太の階段があった
シダを見た 前方に見えたのは「しょうどの丸」だった 展望地が現れた
北東から東、南東、南へと広く眺めた
上の写真の左手を見る 北の方向だった 尾根筋を離れて、少し下がった位置を歩くようになった
見張り台に立つため、尾根に向かった 石垣を見る 尾根筋に出た いかにも城跡の雰囲気が合った 見張り台へと向かう 尾根の雰囲気は良かった
310mピークが見張り台だった ピークは伐採材が残っており、雑然としていた きれいに色付いたカエデを見た
登山道に下りて西へと向かった 山頂のそばを通り過ぎたことに気付き、すぐに尾根に上がった そこは本丸跡の西の位置だった 本丸跡の中心部へと、東に向かった

本丸跡の中心部に
着いた

そこは野間山の山
頂と言える所だっ


山名標識を見た
展望は無かったが、紅葉はきれいだった 本丸跡はカエデの木が多かった 本丸跡では西端の位置で休憩とした
休憩を終えると、「しょうどの丸」に向かった 鞍部へと下る 鞍部に着くと、そこは「兵溜まり」と呼ばれる所だった 「しょうどの丸」へと登り返した
尾根が緩むと岩場が現れた 岩場は好展望地で、西の方向が広く眺められた

「しょうどの丸」
は今少し登った所
だった

「しょうどの丸」
に着いた

城跡らしく開けて
いた
但し、周囲は樹林が囲んでおり展望は無かった 標識を見た すぐに引き返した

(←)
岩場に戻って来る
と陽射しが当たっ
ていた

 (→)
  周囲の尾根にも陽
  射しが当たってい
  た
見ているうちに、光竜寺山に陽射しが当たった 「兵溜まり」に戻ってきた 取り付き点が見当たらず、適当に斜面を下った
登山道に出会えぬまま、谷筋まで下りてきた 谷筋を下るうちに、小径を歩くようになった 大手道のはずだったが、標識も目印も無かった
広い道に合流した 右手に堰堤を見ることがあった ゲートが現れて通過する
ゲートの先は簡易舗装の道だった 中野間集落へと入って行く 前方は光竜寺山だった 道なりに集落を抜けて行く
集落内から光竜寺山を見た 極楽寺の山門を見る 野間川に架かる橋を渡った
橋の上から野間川を眺めた 八千代郵便局の前を通った 郵便局の先が光竜寺山の登山口だった
大手道コースの登山口を見る 登山口標識を見る 山頂まで550mだった 登山道に入ると、お堂が建っていた
害獣避けゲートを通った コースには城跡の説明板をよく見た 距離標識も立っていた
登山道の周囲は植林地だった 矢印標識も立っていた 植林地の登りが続く
城跡の説明板のそばに健康に関する説明板が立っていた 階段を登れば「大手虎口」だった 平坦地に出ると、その辺りは三の丸跡のようだった
光竜寺山の山頂となる本丸跡に着いた 以前はあった展望は木々の生長で無くなっていた 少時の休憩をとった
下山は北へと向かった 一段低い位置が二の丸跡だった 二の丸跡を抜けた先が搦手道だった
搦手道に入った 易しい道だった 搦手道にも距離標識があった 搦手道も緩やかな道だった
すぐに麓が近づいた 山頂から15分で登山口だった 車道に出ると、駐車地点がすぐ先に見えていた