「はりま歴史の山ハイキング」に紹介されているのが野間山と光竜寺山だった。2003年に一度歩いていたが、再訪しようと向かったのは2024年11月の第四金曜日のこと。前回と同じく町民グラウンドの駐車場に車を止めてスタートした。この日は前回とは順路を変えて、先に野間山を登ることにした。そこで車道を西へと歩いて小さな坂を登った。下り坂に入ると、快晴の空の下に野間山の尾根が眺められた。野間川に近づくと、今度は背後に光竜寺山が眺められた。県道143号線に合流すると、その先で野間川に架かる俵田橋を渡った。渡った先が野間山の搦手道登山口だった。搦手道は尾根に出るまではほぼ階段道で、遊歩道と呼べそうな易しい道だった。周囲では木々の紅葉が進んでいた。尾根に出ると、四等三角点(点名・門下)に出会った。その先も易しい尾根道だった。もう城跡のエリアに入ったようで、登山道を離れて見張り台に立ってみると、そこは城跡らしく平らになっていた。少し展望があり、北の方向に黒木山を、東に木谷山の尾根が眺められた。北の空は黒い雲が広がっており、その雲がこちらに向かっていた。登山道に戻ると西へと進んだ。尾根道は尾根筋から少し下がった位置を、ほぼ平坦に続いていた。尾根が大きく曲がる位置が近づいたとき、地図を見て山頂となる本丸跡のそばを過ぎていることに気付いた。すぐに尾根筋に上がった。山頂は東西に細長くなっており、立った位置は西端に近い位置だった。そこで東へとほほ平坦な山頂部を歩くと、すぐに山名標識を見た。そこが本丸跡の中心部のようで、平らに開けていた。城跡らしく色付いたカエデの木を多く見たが、その頃にはほぼ曇り空になっており、紅葉は沈んだ色合いだった。そこでは休憩せず、西端の位置で昼休憩とした。野間山は本丸跡の位置よりも、南に位置する「しょうどの丸」の方が少し高く、そちらも訪れることにした。まずは鞍部へと下った。鞍部は「兵溜まり」と呼ばれる位置で、そこより南へと登り返した。目印を追うようにしてやや急斜面を登ると、尾根は緩やかになった。その平坦部の一部は岩場になっており、好展望地だった。西に見えていたのは観音山だった。その岩場より今少し登って「しょうどの丸」に着いた。そこは城跡らしく平らに開けていたが、木々が茂っており展望は無かった。そのためすぐに引き返した。「兵溜まり」に戻って来ると、そこからは大手道コースを下るつもりだった。前回は往路コースとして歩いた大手道だったが、取り付き点がよく分からなかった。それでも谷筋を下れば良かったので、適当に斜面を下った。すぐに大手道に出会えると思っていたところ、そのようなことは無く、仕方なく適当に沢筋へと下りて行った。目印を見ないだけでなく災害跡も現れたので、コースは災害で消えてしまったように思われた。沢そばを下るうちに登山道らしき杣道に出会い、その小径は次第にはっきりしてきた。大手道を歩いているようだった。車が通れる広い道となり、程なくゲートを通った。もう中野間集落は目前だった。中野間集落内に入ると、極楽寺の前を通って野間川に近づいた。野間川に架かる橋を渡って直進すると、八千代郵便局の前を通った。その先が光竜寺山の登山口だった。案内標識が立っており、登山道もはっきりしていた。南西斜面を登って行く。野間山の搦め手道以上に易しいコースだった。距離標識が点々とあり、城跡案内図もあり、健康に関する標識も立っていた。但し斜面はすっかり植林地で、展望は皆無だった。その易しい道のままに城跡エリアに入った。三の丸跡、出丸跡のそばを通って本丸跡となる光竜寺山の山頂に着いた。城跡らしく平らに開けた山頂にはベンチが幾つか置かれており、休むには良い所だった。但し道中と同じく展望は無かった。西の方向に少しでも展望があれば、町民の憩いの山として人気が出るのではと思われた。下山は直進する形で二の丸跡を通って搦め手道に入った。これまた良く整備されている易しい道だった。緩やかに下って登山口に着くと、そこから駐車地点まではごく僅かな距離だった。
(2024/12記) |