「北条」の地図を眺めると、市川町の中心部から東の方向、ごく近い位置に城山と山名の付く山が載っている。この山はけっこう目立つ山で、国道312号線からにしろ播但道からにしろ、そのなだらかな山容を間近に眺められ、ちょっと興味を持っていた。そこで一度は登ってみようとは常々考えていたのだが、いつでも登れそうに思えたのが災いしたのか、なかなか足を向けないうちに何年と経ってしまった。漸く出かけたのは2009年4月の最終日曜日のことだった。この城山を出かける前に「探訪日本の城」で調べてみると、城の名は川辺城とあり、大野忠氏により建武頃に築城、天正兵乱で退転とあった。この日は朝から黒い雲が上空に広がっていたが、ただ雲に厚みは少なく、ときおり雲間から陽射しが漏れていた。登るコースとしては南西尾根が緩やかなので、それを登るつもりだったが、登山道らしきものがあればそれを登っていこうかと、けっこう曖昧に考えていた。播但道を市川南ICで下りて、スポーツセンターのある東の方向へと進む。次第に城山の南麓へと近づいて行くと、スポーツセンターを過ぎたときに城山に近づく車道が見えた。その道の方向が南西尾根に近づけると思えてその道に入ると、広い駐車場の前に出た。そこは永勝寺の駐車場で、すぐ近くに墓地が広がっていた。墓地は山裾に作られており、そのふちを辿れば尾根を登って行けそうだった。そこで遠慮しながら駐車場に車を止めて、そこから歩き始めることにした。墓地のふちには小径が付いておりそれを歩き出すが、その小径とは別に車道が間近に見えていた。少し歩くと車道に合流することになった。道そばには石仏が点々と置かれており、一帯が寺域であることを示していた。その寺域の一番奥に小ぶりなお堂があり、そこを過ぎて尾根道が始まった。いかにも里山の道と言った風情で続いていた。道はいたって緩やかで、ごく気楽な感じで登って行く。ときおり標識が現れたが、そこには一帯がマッタケ山であることが書かれていた。なるほど松葉が小径の上に積もっている。その関係もあってヤブ山になっていないものと思われた。空は相変わらず黒雲に覆われており、そのうちに小雨がぱらつき出した。うっすら青空が見えていたので長くは続かないと思っていると、その通りですぐに止んでくれた。ただその後も気まぐれに雨粒が落ちてきた。一度シダが茂りだしてヤブになるのかと思わされたが、また普通に歩けるようになった。途中に共同アンテナがあり、その先も小径のままに歩いて行くと、もうその先で高い位置は無いのではと思えたとき、あっさり三角点の前に出た。歩き始めてから40分で、やはり小さな山と言えそうだった。そこは三角点があるものの狭い感じで、城跡のある山の雰囲気は感じられなかった。考えればそれまでもなだらかな尾根を歩いているだけの雰囲気で、城跡らしさを感じさせる所は無かったようだった。その雑木に囲まれた山頂だが、一ヶ所だけ展望があった。山頂のごく近い位置にNHKの小さなアンテナがあり、その位置から南に向かって開けていた。日光寺山から深山へと続く尾根がけっこう近い位置に見えており、その山肌が新緑に彩られていた。その手前にはため池を見ている。上空にはまだまだ黒い雲が多かったが、ときおり陽射しが漏れて、日光寺山の新緑を光らせていた。山頂の見所と言えばその風景ぐらいで、後は雑木が周りを囲んでいるだけだった。ただその雑木も新緑とあって、緑の色が優しげだった。特に長く居ることもなかったのだが、日光寺山の佇まいを眺めたりしているうちに30分以上の時間を過ごしていた。下山は往路とはコースを変えたくそのまま北の方向へ行くことも考えたが、すそ野を長時間歩いて戻ることになり、そこですんなり引き返すことにした。そう思って歩き出してみると、登ってきた尾根とは別の方向に小径が付いていた。それは東へ向かう尾根のの方向で、点々と黄色いプラ杭も打ち込まれていた。どうやらその小径が山頂のNHKアンテナへの巡視路と思われた。そのまま下っても駐車地点とはさほど離れないと思え、その小径を下って行くことにした。登りの尾根に比べると少し傾斜がきつい程度で、無理なく下って行けた。その尾根に途中から植林が現れると、倒木が目立つようになった。すこし歩きにくい程度にはなったが、倒木のために木立に隙間が出来て、そこからは七種の尾根や大中山が眺められた。こちらの尾根にもマッタケ山を示す標識が何度か現れた。この小径もごく普通の山道と言った雰囲気で続き、すそ野が近づいたときに小さな鞍部に下り着いた。その近くにもNHKの電波塔があり、鞍部の案内標識から山頂にあるのは受信所で近くにあるのは送信所のようだった。そこからは小径は南の方角に折れて、そちらへと下って行くと、最後に害獣除けゲートがあり里道へとつながった。前方には七種の山並みが見えており、右手に見える学校は市川高校のようだった。城山の名に惹かれたところもあって登ってみたが、どうも城跡も持つ山の雰囲気は感じられなかったようである。強いて言えば、下山で歩いたコースの途中に平らになった所があったので、そこが城跡だったかもと思えたが、何となくメリハリの無い登山で終わってしまったことは否めない。小畑川沿いの里道を歩きながら城山を振り返ると、こちらの気持ちとは関係なく、城山は新緑の装いでとりすました風に見えていた。
(2009/5記)(2019/3写真改訂) |