上郡町内に入るには国道2号線から分かれる国道373号線を利用することが多いが、この373号線に入ってまず目に飛び込んで来るのが、千種川の対岸にあるこの黒沢山である。かつては山上に黒沢村が有っただけに平坦な姿をしている。現在は集落は無く、山頂に光明寺奥の院がひっそりと建っているだけである。この黒沢山を訪ねようと出かけたのは2004年の4月に入ってのこと。国道2号線を西へと走り、国道373号線に入らず有年橋を渡ってすぐ右折すると、道は千種川に沿って続くが、程なく「光明寺」の標識が現れた。そこより幅広の道が山上に向かって分かれていた。その道を辿れば黒沢山頂上に向かうと確信したので入って行った。するとさほど進まず、作業服の人に止められてしまった。その先には養鶏場があるとのことで、そちらに向かう車は殺菌するとのことだった。あっという間に消毒液を噴霧されてしまった。この年の2月より県内では鳥インフルエンザ問題で大騒ぎとなっていたが、この消毒を見てどの養鶏場も非常に神経を使っていることを知らされた。車を進めると、中腹を過ぎた辺りでその養鶏場が見えてきた。その少し手前より光明寺に向かう道が分かれているのが見えたので、そちらへと入った。車1台がやっとの幅の細道だったが、入ってすぐのところに鎖が張られていた。闖入車を防ぐためかと思われた。そこでクサリの手前に駐車とした。その車道を歩き出す。少し歩くと舗装路となり、難なく登って行けた。10分も歩けば山頂間近に建つ住居に着いた。ごく普通の家に見えたが、奥の院の庫裡と思われた。一帯はなだらかになっており、更に道を辿って最奧に着くと、ひっそりと奥の院が建っていた。その背後の一段高くなった所が山頂のようだった。雑木の繁るその中へと入って行くと、すぐに三等三角点(点名・黒沢山)に着いた。一帯は手入れされておらず、ごく自然な山頂の風情だったが、樹林のために展望は全くなかった。そこですぐに庫裡まで引き返した。その庭先が展望地になっており、東が広く開けていた。黄砂のためと思われる生憎のモヤの強い視界で、広い眺めも薄ぼんやりとしか見えていなかったのは残念だったが、足元に広がる養鶏場の佇まいを見て、かつてあった黒沢村は、この養鶏場一帯に広がっていたのではと、ごく自然に思われた。この風景を見た後は、駐車地点へと再び車道を歩いて戻って行った。
(2004/4記)(2022/3写真改訂) |