三度目の矢筈山は南の茜山まで縦走することにした。参考にしたのは西脇市観光協会の西脇十山「矢筈山」。スタート地点は高田井町の登山者駐車場で、11時前に着くと2台が止まっているだけだった。矢筈山へは案内標識に従って西の方向に歩き始めた。始めは遊歩道と言えそうな「ふれあいロード」を歩いて行く。ごく緩やかな道だったが、分岐点で矢筈山への登山道に入ると、後は山頂までずっと急坂登りだった。夏の季節なら敬遠したくなるコースだが、冬場とあって冷気が快く、良い感じで登れた。距離標識が50メートル置きに立っており、登る途中には大山祇神社が建っていた。休まず登って南ピークの直下となる展望地に着いた。東に向かって広々と開けており、西脇市街が遮るものも無く眺められた。その南ピークの最高点には立たず、縦走路を歩いて三角点ピークに向かった。僅かな距離で三角点ピークに着くと、そこは矢筈山の最高点で三等三角点(点名・矢筈山)を見た。三角点ピークも好展望地だったが、すぐに南ピークに引き返した。今度は南ピークの最高点に立った。小ぶりの社が建っているものの、そこに展望は無かった。そのピークの一段下に休憩所が建っており、そのすぐ下が展望地だった。改めて展望地に立って展望を楽しむと、漸く縦走に移った。尾根歩きに移った途端に北風を強く受けるようになり、冬の厳しさを味わうことになった。気温も9℃まで下がってきた。また展望地が現れて南西方向が眺めらた。西の方向も開けて、そちらに見えたのは笠形山だった。樹林帯の急坂を下るようになり、鞍部に着いて登り返すと270mピークに出た。そこからは南に向かうことになった。程なく送電塔(加美町線19番)が現れると、そこは小さなピークになっていた。尾根には小さなピークが点々とあり、次の290mピークはコース図では「見晴らし台」となっていた。その見晴らし台に着いてみると、好展望地とは言えず木々の間から大池を見る程度だった。その先で急坂下りがあり、40mほど下って鞍部に出ると、そこが一本松峠だった。まだこの日の縦走コースの半分も歩いていなかった。急坂を登り返して立ったピークが300mピークで、その先にほぼ同じ標高の298mピークがあって、その先でまた急坂下りだった。登り返してピークに立つも、まだ幾つも小さなピークがあった。何とも足の疲れるコースだった。良かったのは展望が現れてきたことで、東の方向が広く眺められるようになった。その先で現れたのが東屋で、その辺りは案内図では「風の広場」となっていた。東屋の位置で標高220mだった。その先でも下りがあり190m地点まで下りてきた。そして三角点ピークへと80mほど登り返すことになった。登っているときに北西に見えていた広大な施設は西脇馬事公苑だった。急坂が終わると道は二手に分かれて、右手の道が三角点ピークに向かえる道だった。但し三角点ピークは縦走コースからは外れることになり、コース外であることを示すようにテープが張られていた。案内図にも「シダ深くやや不明瞭」と書かれていた。その三角点ピークへの道に入ると、実際はそのようなことは無く、シダこそ茂ってはいたが道ははっきりしていた。ごく緩やかな道でもあって、スムーズに歩けた。274mピークに着くと、そこは樹林に囲まれて展望は無かった。四等三角点(点名・平野)を確認すると、すぐに引き返して縦走コースに戻った。南東へと歩くようになり、行く手に次のピークである茜山が眺められた。けっこう端正な姿だった。茜山へは西から回り込む形で進み、220mピークを越して近づいた。茜山は274mピークと同様に単なる樹林に囲まれたピークで、山名標識も付いていなかった。そこより南東方向へと緩やかに下ると、大きな送電塔(加美町線9番)が現れた。そこも好展望地で、ずいぶん離れて矢筈山が見えていた。その鉄塔の位置から縦走コースは南へと下り坂になって野村登山口で終わるのだが、高田井町に戻るため、北へと向かえる枝道に入った。それは純然たる巡視路で、急坂をプラ階段で下ることになった。麓までの標高差100mを一気に下るのだが、階段で無い所は落ち葉が積もっていたこともあって、滑らないように注意が必要だった。目印テープを追うようにして下ると、茜が丘の住宅地の近くに下りてきた。舗装路に合流したのだが、登山口となる位置に赤テープを見たもの標識は無かった。その舗装路を横切るとコンクリート階段を下って茜が丘の住宅地に下りてきた。そこにも標識は無かった。後は登山ではなく散歩だった。茜が丘を抜けると大池のそばに出た。その辺りは好展望地で、矢筈山を始めとして縦走してきた尾根が眺められただけでなく、少し高台になっていたこともあって東の山並みも一望出来た。北へと向かうと西脇高校のそばを通った。その先は道が複雑なため、GPSを見ながら出来るだけ山裾に近い所を歩くように心掛けた。「かすがこども園」の前を通ると、程なく駐車地点が見えてきた。16時前になっていたが、朝からの快晴は続いていた
(2025/1記) |