夢前川沿いの県道67号線を北上して夢前町置本まで来ると、置塩山から谷山へと続く尾根が眺められるようになる。いつもはこの置塩山を眺めながらそばを通過して、更に北の山へと向かうのだが、久々に置塩山を登ってみたいと思ったのは08年11月の勤労感謝の日だった。この日は登山の予定は無かったのだが、好天の空を見て午後のひとときを近場の山で過ごそうと考えた。そして手頃な山としてこの置塩山を登ろうと思ったものである。そこで13時半には登り出せるだろうと向かったところ、県道67号線に入ったときに大渋滞に巻き込まれてしまった。ほんの僅かずつしか進まない。ここが大渋滞になるのは初めての経験なので、事故でも起きたかと考えてじっと我慢することにした。ところが横関の交差点が近づいたとき、その原因が分かった。ほとんどの車がその交差点を左折して書写山に向かおうとしているようだった。まさにこの午後は行楽日和だった。交差点を過ぎればスムーズなもの。対岸を見ると書写山山麓の駐車場は満車状態だった。少し進むと陽射しに明るい置塩山が見えてきた。左岸に渡って置塩山の駐車場に近づくと、そこもほぼ満車状態で、その先にはテントも張られて更に多くの車が止まっていた。これは想像出来なかったことで、近くにいた人に尋ねると、ハイキング大会が開かれているとのことだった。但し夢前川沿いで行われており、置塩山はコースには入っていないと聞いて一安心だった。何とか駐車場の片隅に車を止めて、ハイキング開始とした。もうごく簡単なハイキングなので、ゆっくりと時間をかけて登って行く。登山道は西の斜面に付いているので、午後の光が木漏れ日となって登山道を照らしていた。登山道には丁石が置かれており、その名の通り一丁(109m)ごとに丁石が立っていた。中腹辺りで十丁目だった。ここの登山道はだいぶん風格が出てきたようで、適度な道幅も好感が持てた。高い山では紅葉は終わっているのだが、ここはまだ始まったばかりで、少し黄色みを帯びている程度だった。むしろ常緑樹が多いので、紅葉はほとんど目立たなかった。山上の城跡に着くと、まず南曲輪群があり、その次に茶室跡が現れた。丁石は茶室跡のそばの「十八丁」が現れた後は見なくなった。山上には二の丸跡、三の丸跡と城跡が点々とあり、それぞれを訪ねながら山頂の本丸へと近づいた。ただ置塩城跡は何年来ずっと調査が続いているのか、ブルーシートで覆われた所がまだ何カ所もあった。そのためさほどすっきりとした印象でも無かった。本丸跡のある山頂へと最後のひと登りをする。山頂に着いてみると、そこはけっこうすっきりとしていた。以前に来たときは雑草とかで北の視界は遮られていたのだが、それが刈られたのか北の山並みがまずまずと言った感じで眺められた。但しここも一部にブルーシートが掛けられていた。ここまででも人に会わずに来たのだが、山頂も無人でいたって静かだった。その静けさの中でパートナーと二人して、このいかにも城跡と言った雰囲気の漂う山頂を憩いとした。ただ残念なのは山頂に着いた頃より雲が増えてきたことで、陽の陰ることが多くなり、東からの風が少し冷たく感じられた。パートナーは陽射しが漏れるたびにそこに移動して、ひなたぼっこをしていた。こちらは北の展望を楽しむことにした。正面には雪彦の山並みに七種山塊、右手遠くには笠形山、左手遠くには黒尾山と、ちょっと悪くない展望だった。その中で目立つのは薬師峰と明神山だった。どちらもうっすらと陽射しを受けて、淡く陰影を見せていた。それを眺めながら五百年前に城が建っていたときは、侍も同じ風景を眺めていたのではと思うと、ちょっとタイムスリップした気分になってしまった。城跡のある山はこの気分に浸れるのが面白いと思いながら、本丸を後にして登ってきた道を引き返した。
(2008/12記)(2020/7改訂) |