西脇市と多可町との境界にある武嶋山は展望と岩登りが楽しめそうだった。その武嶋山とは尾根続きになる大木山まで歩こうと向かったのは、2024年10月の初日のこと。9月はずっと厚かったが、この日も気温は30℃まで上がっており、10月に入ったとは思えぬ異常に暑い日だった。多可町中区側から武嶋山に近づくと、背後の尾根の方が目立っており、標高160mしかない武嶋山はどこにあるのかすぐには判断できなかった。それが間近まで来ると小さな三角形の姿がはっきりして、漸く武嶋山と分かった。その武嶋山が間近になると標識が立っており、すんなりと山裾に近づけることになった。山裾が目前になると害獣避けのゲートが現れて、そこを通った所に武嶋ひぐらし荘が建っていた。辺りは小さな広場になっており、その一隅に車を止めた。標石があり、それには「竹島山」と彫られていた。武嶋ひぐらし荘の脇より登山コースが始まっていた。登山道は遍路道でもあるようで、点々と石仏を見ることになった。何度か枝道が分かれていたが、石仏巡りの枝道と思えたので、一番はっきりしている道を進んで行った。つづら折れの道を登って行くと、清厳寺の前に出た。近くに磨崖仏があるようだったが、そちらへのコースがはっきりしていなかったため、立ち寄らないことにした。山頂は今少し先で、そちらへは始めに鉄ハシゴを登ることになった。その鉄ハシゴの先が岩場の登りで、けっこう急斜面の登りが山頂へと続いていた。登るのは良いが、下るとなると少々危険ではと思える角度だった。ただ滑る感じは無かった。その岩場登りは暑さを我慢しながらで、大汗をかいての登りだった。登るほどに背後に展望が広がってきた。低山ながら抜群の展望だった。南西の笠形山から北西の千ヶ峰まで一望出来た。その武嶋山の山頂は岩場になっておらず単なる雑木ヤブだったので、岩場の最高地点で休憩とした。休憩を終えると大木山へと尾根歩きを開始した。その尾根歩きも少々誤算があった。多少ヤブっぽい程度で歩いて行けると思っていたのだが、けっこうシダヤブになっている所があり、一部は道もはっきりしていなかった。また蜘蛛の巣がやたら多いのには閉口した。ただ尾根は緩やかなため、きつさは無かった。樹林の途切れることがあり、そこからはこれから向かう大木山がすっきりと眺められた。その尾根歩きで215mピークを越えて鞍部へと下って行くと、突然と言った感じで巡視路に合流した。その巡視路で送電塔(北摂長田野線45番)に出ると、その先も巡視路は続いていた。その巡視路も程なく尾根から離れて右手の斜面に向かい出した。その巡視路を追わず、尾根筋を辿って行く。尾根道は再びヤブっぽくなり、シダの中を歩くようになった。再び蜘蛛の巣を祓うことになった。緩やかに登って350mmピークに達すると、漸く山頂まで僅かな距離となった。その頃には少しは歩き易くなっていた。大木山の山頂に着いたときは、武嶋山を離れてから1時間45分後だった。何度か休憩はとっていたが、それでも少々かかり過ぎたと思った。これもひとえに暑さによるバテが主要因だった。着いた大木山の山頂も、気温は30℃ほどあった。ただ湿度は高くなかったので、木陰に入ると少しある風も助けとなって涼しさを感じることが出来た。暫く休んでいると、漸く山頂を見回す余裕が出てきた。少しは展望を期待していたのだが、山頂は休めるスペースはあるものの、周囲は雑木が囲んでいた。そのため雑木の隙間から僅かな展望を得るだけだった。南の方向に見えるのは西脇市の低山で、東に西光寺山がかろうじて望まれた。北は石金山の姿が大きかったが、これも木々の隙間からだった。大木山から先へと尾根道は続いていたが、この日は周回する気になれず、下山は尾根を引き返すことにした。引き返すと言っても武嶋山まででは無く、途中で出会った巡視路を歩く考えだった。その巡視路が尾根から離れる位置まで戻ると、南へと巡視路コースに入った。地図には書かれていなかったが、はっきりとした道だった。下るうちに破線路と合致するようになった。巡視路は終始はっきりした道で、巡視路らしくプラ階段になっている所もあった。途中では送電塔(北摂長田野線44番)にも出会った。そして無難に麓に着いて林道に合流した。後は林道歩きだった。その林道は武嶋キャンプ場を抜ける道でもあった。林道の起点にはゲートがあり、それを通って一般道に出てきた。もう武嶋ひぐらし荘までは僅かな距離だった。晴れは続いており、西日を浴びてすっかり明るい武嶋山が眺められた。その武嶋山に向かうように歩いて駐車地点に近づいた。
(2024/10記) |