TAJIHM の 兵庫の山めぐり <西播磨編
 
宝台山    ほうだいさん 378.7m 相生市
 
1/2.5万地図 : 二木
 
【2005年2月】 No.2 2005-13(TAJI&HM)
 
    赤穂市有年の山王神社より  2004 / 12

 二度目の宝台山は05年2月26日。北部の天気は雪模様のため、昼どきに近場の山でもと訪れた。今回は正面コースと言える南側の車道コースを登ることにした。南麓の若狭野の集落に入るが、どうもどの路地も道幅が狭すぎた。山麓の南側を適当に走るうちに、須賀神社のそばに出た。その横の道が真っ直ぐに山中に向かっており、無線中継所の案内板も見えた。この道が山頂に通じる道と確信して、神社近くの空き地に駐車した。もう時間は11時半近くになっていた。上空は雲が多いながらも、青空が広がっていた。風があって寒さを厳しくしていたが、陽は暖かかった。舗装路を歩き出すと、すぐにゲートが現れた。一般車はその先に進めなくなっている。そのゲートの脇を抜けて歩を先に進める。少し登ると南の方向に荒山の姿が見え出した。道は緩やかで、登山と言うよりも単なる散歩の感じである。30分も歩くと高度は300mほどとなり、道は西方向を目指し出した。前方に山頂の無線塔も見えて来た。ただ登るうちに空の雲は増え、風もきつくなり一段と寒さが増して来た。山頂が近づき出すと、北の風景が木々の間から見え出したが、そちらの空はすっかり黒く、その黒雲が南下していた。歩き始めて50分ほどで山頂に着く。山頂を占めているのはNTTドコモの宝台無線中継所で、その南側は平らに開けていたが、展望はさほどでもなかった。南東方向に相生市街を取り巻く山とその先の瀬戸内海がまずまず見えていた。南西方向は良かったが、そちらはもう雪雲が押し寄せており、小雪を降らせているのか視界は閉ざされようとしていた。まずはその中継所の南のちょっとした広場の一角で休憩とした。比較的風の来ない所だったが、風が舞っているのか、ときおりきびしく冷たい風が襲って来た。一息ついたところで、三角点を見ることにする。無線中継所の東側が一番高い位置と思えてそこに向かうと、一帯は灌木林になっており、ピークより数メートル離れた位置にあっさりと二等三角点(点名・若狭野)を見た。(後で地図を見ると、三角点の西が若干高く380mの等高線が付いている。)その後は再び休憩地点に戻った昼食としたが、もう上空はすっかり黒雲に覆われていた。ほどなく小雪もちらつき出して、それが強い風に舞っていた。その厳しい中で何とか昼食を済ませた。食後は一眠りしたいところだが、風の冷たさに退散することにした。そう決めて、登ってきた車道を戻り出すと、北の空には青空が見えていた。上空の黒雲はいっときのようであった。この帰り道では、宝台山からの展望を得ようと、山頂の東側に立ち寄ったり、北向きのマイクロウェーブ反射板に立ち寄ったりと、少々時間をつぶしながら戻って行った。麓に着いたときは、上空はすっかり青空に戻っていた。
(2005/5記)(2013/1改訂)(2020/6写真改訂) 
<登山日> 2005年2月26日 11:27スタート/12:15〜13:17山頂/14:17エンド。
(天気) スタート字は快晴だったが、登るほどに北から雪雲が流れてきた。また風が強くなってきた。昼になると上空は雪雲で覆われて、小雪も舞うようになった。ただ一時的なことで、その後は蜘蛛が減って、下山を終えたときは快晴の空になっていた。雪雲の方向を除くと、視界は悪くなかった。
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南麓には須賀神社が建っていた その近くの空き地に駐車とした 須賀神社の横の道が山頂までつながる道だった ひたすら車道を登って山頂に近づいた 車道が西へ向きを変えたとき、通信設備が見えてきた

 山頂が近づくと
 北に三濃山が見
 えていた

 三濃山を大きく
 見る
山頂には大きな電波塔が建っている 電波塔より少し低い位置で三角点を見た 二等三角点(点名・若狭野)を見る

 山頂より南東
 方向を眺める

 左の写真の右
 端に写る家島
 諸島を大きく
 見る
 山頂より南西から
 西にかけてを眺め
 る 北から速い速
 度で黒雲が流れて
 来た

  黒雲がぐんぐんこち
  らに来て,程なく小
  雪が舞い出した

 帰路に山頂の少し
 東寄りにある反射
 板を訪ねた(送電
 塔の奥に写ってい
 る)

    そこからは新龍ア
    ルプスが望まれた
下山の途中で山頂方向を見る 車道からは南に対峙する荒山がよく見えていた 荒山を大きく見る