梅雨の最中に、急にきれいな空になる日があるが、2010年は7月に入った最初の日曜日がそのような日だった。朝に空を見上げたとき、前日の大雨と打って変わって澄んだ青空が広がっていた。そうなるとちょっと遠くに出かけたくなったが、天気予報ではあくまでも曇り空で、北部は小雨もありそうだった。そこで近場の山で展望を楽しむことにした。簡単過ぎない山として思いついたのが的場山で、紅葉谷からすんなり登ることにした。車は景観地区のそばにある観光駐車場に止めて歩き出す。強い陽射しにもう気温は30℃を越えており、通りに人影はほとんど無かった。龍野城のそばを通って紅葉谷に入ると、そこは木陰が多いとあって、暑さはさほど感じなかった。気温は28℃少し下がっている。但し空気は湿っぽさがあったが。紅葉谷の遊歩道を登っていると、ときおり散歩の人とすれ違った。前日が大雨だったことでそばを流れる沢の水量は増えており、ちょっとした渓谷美を見せていた。紅葉谷を登り詰めた所が両見坂。大きな石灯籠が立っており、そこより東へ尾根を登れば鶏籠山で、西の尾根を登れば的場山だった。一息入れて、的場山への登山道に入る。坂の傾斜は少しきつめで、登山をしている感じの出る所だった。それまでは木陰の道だったのだが、陽射しを受けるようになって少し体がだるくなってきた。どうも夏場の気温が高い所での登山は厳しいようで、歩度が鈍ってきた。その歩度が落ちるままに登っていると、何人かのハイカーとすれ違った。いずれも六十歳以上と思える年齢のハイカーで元気そうだった。山で出会うハイカーはどうもこの年齢が多いようである。バテ気味の登りだったが、この尾根登りで助かったのは、ときおり涼しい風を受けたことで、息が上がりそうになったときに快かった。その尾根はやや急坂で続いていたが、その急坂部を登りきると、そこはベンチも置かれて展望地になっていた。足下に揖保川流域の風景が広がっていた。遠くの山もくっきり見えて、笠形山が大きかった。北の方に目を向けると、黒尾山も望まれた。一息入れた後、ハイキングを続けるが、もう尾根は緩やかなままだった。緩く下ると、後は山頂までだらだらと登りが続く。木陰も増えてきて、陽射しを防いでくれた。最後に階段の道となって三等三角点の前に出た。そこは木陰になっており、ベンチが置かれている。漸く着いた思いで、ベンチの上に倒れ込んでしまった。やはり暑さと湿気でバテたようだった。尾根と同様にときおり涼しげな風が通ってくれたのは有り難かった。少し休むと体が楽になったので、展望を楽しむことにした。山頂にはNTTの巨大な電波塔(的場無線中継所)が建っており、その前から南の風景が電線に邪魔をされながらも広く眺められた。この方向もくっきりとしており、四国の山並みまで一望だった。昨日の大雨が、すっかり空を清めてくれたようだった。瀬戸に浮かぶ淡路島から小豆島の風景に暫し目を楽しませた。山頂にとどまっていたのは30分ほど。暑い昼の時間帯に山頂を訪れる人はいないようで、ずっと静かなままだった。下山はすんなりと登ってきたコースを引き返した。紅葉谷に戻ってくると、散歩する人とまたすれ違うようになった。この紅葉谷の遊歩道は木陰の道とあって、暑い盛りでも人々の憩いの場所になっているようだった。その暑い季節に山をひと登りしたことにより体もすっきりして、昼下がりのたつの市街へと入って行った。
ところで下山を終えて駐車場に戻る途中でたつの市立図書館に立ち寄ったところ、「ミケランジェロ ラ・ドッタ・マーノ」の展示会が行われていた。何のことか分からなかったが、たつの市が篤志家から3千万円の寄付を受けており、そのお金でミケランジェロの高価美術書を買っていたそうで、その本の名が「ミケランジェロ ラ・ドッタ・マーノ」だった。世界に33部しかないその本の表紙には大理石の彫刻が付いており、重さは28kgもあるとか。その中身は手にとっては見られず、パソコンの画面で見るだけだった。お世辞にも100万円程度にしか見えず、手に触れられないのならただの置物としか思えなかった。それにしても本はあくまでも情報の一手段なのに、それをパソコン装置付きで2560万円で買ったとは何とも高い買い物をしたものだと、それがこちらの正直な感想だった。どうせなら鶏籠山の整備にでも使ってもらった方が市民のためだったのではと思ったりもした。
(2010/7記)(2021/1改訂) |