八木城は戦国時代に栄えた八木藩1万5千石の本城で、標高330m城山には本丸を含めた八木城が、標高409mの土城山には八木土城が建っていたとのこと。その城山の城跡が整備されて、手頃なハイキングコースが作られていると知って訪れたくなった。2010年10月は滑落で痛めた足をおもんばかって軽いハイキングを続けていたが、その第四週も易しい山を登ろうと考えたとき、八木城山が手頃そうに思えて出かけることにした。
参考にしたと言うか、登山口の場所を知る手ががりとしてガイド本の「但馬ハイキング」を見ると、八木集落に登山口があり、そのそばに駐車スペースがあると書かれている。それを念頭に国道9号線を西へと走ると、道の駅「ようか但馬蔵」から僅かな距離で八木城跡の案内標識が現れた。そこで脇道に入るとすぐに登山口の標識が現れたが、その辺りに駐車出来そうなスペースは見当たらなかった。そこで少し戻って山裾道を西へと走って、何とか迷惑にならない駐車場所を見つけて駐車とした。そして登山口案内の前に改めて立ってみると、駐車場所に関する案内板が立っており、150mほど離れた公民館の駐車場を利用して下さいと書かれていた。どうも「但馬ハイキング」は所々で記述のいい加減さがあるようで、この八木城山でも地元の了解も無いままに駐車場所を書いたため、トラブルがあったのではと思えた。案内標識に従って民家の間の細い道を歩き出すと、すぐに墓地が現れて、その先が登山口だった。登山口には電気柵があり、それを抜けて登山道を歩き出した。程良い歩き易さの小径で、丸太の階段もあり、遊歩道と言った佇まいだった。登るうちに周囲は竹林が広がったり雑木林になったりと、城跡らしさは無く、ごく普通の里山の雰囲気だった。それもそのはずで、秋葉さんと呼ばれる石仏が置かれた広場まで登ってきたとき、「ここより城跡」の標識が現れた。その先には二の丸、三の丸と呼べそうな曲輪が現れた。そして一段と広やかな所が現れると、そこには石垣も見えた。その石垣の手前を一登りすると、その上は広々と台地になっていた。そこが本丸跡だった。石仏も置かれて、いかにも城跡と言った雰囲気の漂う所だった。休むのに適した所だったが、その先に一段高いピークが見えていた。そちらも城跡で土城の名が付いており、八木城山の山頂となる所だった。その山頂にまずは立つことにした。本丸跡を一度下りて石垣の縁を歩くと、その先は道の様子が少し変わって、遊歩道と言うよりも山道の様子となり、少し足に力を入れて登ることになった。まだまだ右足の痛みは消えておらず、普通なら簡単な登りなのだが、ちょっと難儀に感じながら登った。周囲は樹林が囲んで普通の山林の佇まいだったが、ピークが近づくと木々は疎らになり、また平らな所も現れて、少しは城跡らしさが出てきた。そして最後に小さな坂があってピークに出た。そこも狭いながらも平らになっており、僅かながら城跡の雰囲気はあった。ただそこも周囲を樹林が囲むため、展望は無かった。昼を回っていたことでもあり、そこで昼食とする。土城から先へも尾根道は続いていたので食後に少し歩いてみたが、鞍部へと下ることになり、また周囲は変わらず樹林帯が続くため、展望は期待出来ないと、少し下っただけで引き返した。ただ樹間を通して行く手に見えた大きな山は妙見山かと思えた。土城の雰囲気よりも本丸跡の雰囲気の方が良かったので、30分ほど土城跡で過ごした後、引き返すことにした。本丸跡に戻り、改めてその佇まいを眺めると、やはりこちらの方が伸びやかさがあって良かった。目立つものと言えば石仏だけで、その城跡の雰囲気に浸っていると、いにしえにここで城の生活が営まれていた様子が目に浮かぶようで、タイムスリップした気分になれた。展望も少しはあり、南には須留ヶ峰が、そして西には木々の隙間から氷ノ山の山頂が覗いていた。この城跡なら暫くはのんびりと過ごしていたいところだったが、どうも右足の痛みが続いていたので、早く下山して治療に専念したくなった。治療といっても温泉につかることだが、近くの道の駅「ようか但馬蔵」とは目と鼻の先に立ち寄り湯「天女の湯」があったことを思い出していたので、早くそこに行きたくなったものである。そこで本丸跡での休憩も15分ほどで切り上げて、痛い足をひきずるようにして登山口へと下りて行った。
(2010/11記)(2021/2改訂)(2024/7写真改訂) |