2006年の桜の開花は、東京では3月末に満開になっていたが、播州では四月も第二週となって漸く見頃を迎えていた。桜の季節になると林田川沿いの桜とセイヨウカラシナが見事な調和を見せてくれるので、それを眺めようと出かけたのは4月9日のことだった。ひとしきり林田川の土手の散策を楽しむと、おもむろに向かったのが安富町塩野地区の低山だった。安富町は宍粟郡ながら宍粟市の合併には入らず、この年の3月に姫路市に編入されたばかりだった。その編入後の姫路市となっての初めての登山でもあった。四等三角点を持つ368mピークと大フゴ山を登ろうとは決めていたが、どこから登るかは現地に着いてからと考えていた。その二つの山を登るのに便利ではと、塩野集落を西へと抜けると溜め池が現れた。368mピークの南西麓の位置で、車を止めていても問題無さそうだったので、そこに駐車とした。そして地図と周囲の風景を見比べて、368mピークを先に目指すことにした。その斜面を眺めると植林地になっていた。傾斜も大したことは無さそうだったので、適当に南西側から斜面に取り付いた。下草はほとんど見られず、まずは足慣らしと言った風で登って行けた。植林地のため展望は望めなかったが、ときおり風倒木があって、西向かいの尾根がちらりと望めた。その雰囲気のまま30分ほどで368mピークの山頂に着いた。そこもすっかり植林地だった。四等三角点(点名・塩野)があってこそ山頂と分かる感じで少々がっかりさせられた。一帯の植林は間伐されておらず、ちょっと貧弱さがあった。少時の休憩を済ませると、北へと尾根歩きを開始した。その周囲の様子に変化が出てきたのは北隣のピークに近づいてからで、最初に東側の植林に風倒木があって、当田山や明神山が望めるようになった。漸く展望が現れたと暫し足を止めてその風景を眺めた。北隣のピークを越すと、俄然展望が広がった。北へと続く尾根の西斜面は伐採地で、これから向かう大フゴ山がすっきりと見えていた。尾根には害獣避けネットが張られており、伐採地には入れないようになっていた。そこは東斜面も風倒木が大規模にあり、そのため先ほどよりもいっそう広く安富町の町並みが展望出来た。どうやら伐採地も風倒木の処理をして出来たようだった。ネット沿いを下るうちに、はっきりとした山道が現れた。伐採地への作業道のようだった。その山道は尾根沿いを続いているようだったので、山道を辿ることにした。尾根は緩やかとあって、気楽な尾根歩きだった。そのまま歩けば大フゴ山に向かえると思っていたのだが、途中から左手の沢の方向に下りだした。そこで山道を離れて尾根へと戻り、大フゴ山を目指して軌道修正した。一帯は概ね植林地だったが、雑木も混じるようになった。その雑木林も疎らなため、尾根を歩くのに問題は無かった。やがて大フゴ山への登りにかかると尾根の傾斜が増してきた。そして左手となる東の方向にネットが現れて、その先はまた伐採地だった。ネット沿いの登りは登るほどに展望は良くなり、東向かいの368mピーク越しに当田山が次第に姿を現した。展望が良いことでもあり、尾根が緩くなった位置で一休みとした。山頂間近まで来ていると思っていたのだが、そこよりもう一登りした所が大フゴ山の山頂だった。山頂は大規模な風倒木地で、凄まじい風景だった。いずれはそこも伐採地になるのではと思われた。その風倒木地で一番高い位置に着くと、そこにあっさりと四等三角点を見た。なぜかこの三角点も368mピークと同じ点名で、「塩野」だった。辺りは倒木が積み重なっており、展望は無かった。ただ風倒木の上に立てば展望を得られそうだった。せっかくの山頂なので、倒木の上に立ってみることにした。手頃な位置まで登るのも一苦労で、まさに倒木ジャングルと言えそうだった。倒木の下を潜ったり幹を伝ったりと、何とか展望が現れる位置まで登ったが、先ほどの伐採地ほどの展望は得られなかった。山頂での一休みを済ませると、下山は南に向かうことにした。始めに笹地があり、そこを抜けると疎らな雑木林となった。尾根道ははっきりしていなかったが、けっこう気楽な下りだった。尾根なりに下るとさほど時間はかからず、禅師山との鞍部に着いた。そこは人の訪れが多いようで、祠が作られており、中に峠の地蔵さんを見た。そのそばにはベンチも置かれていた。そこへは東側から小径が来ており、その小径は禅師山に向かっていた。その小径を見て、それを辿れば駐車地点に戻れそうだった。小径に入って200mほど歩くと林道の終点位置に合流した。そこに立つ標識を見ると、今歩いてきた小径は「健康遊歩道」であることが分かった。塩野自治会によって大切にされている道のようだった。後は林道を歩いて駐車地点へと戻った。
(2006/10記)(2025/9写真改訂) |