2006年3月29日は、播州南部こそ快晴だったが、天気予報では北部は今一つの空模様のようだった。そこで宍粟市以北の山は諦めて、近場の山から長く尾根歩きを楽しめそうな所を探すことにした。そして注目したのがこの高倉山の尾根だった。揖保川に近い吉島地区から歩き始めれば、山頂まで2時間はたっぷりと歩けそうである。そこでたつの市新宮町へと揖保川の右岸道路を北上して行くと、やはり宍粟市から北の空は黒い雲が占めていた。地図を見ると、尾根の東端に電波塔があり、そこまで破線路が示されていた。その道を利用して尾根上に出ることにした。そこで車はその連絡道路の入口近くに駐車とした。道路の入口にはロープが張られており、車は進入出来ない。そのロープをまたいで歩き出した。舗装された道路で、道幅は3m以上は十分にあった。この日は北風の強い日だったが、道路は尾根の南面側につづら折れで付いており、暖かい陽射しを浴びながら登って行けた。その道路の終点はNHK播磨新宮テレビ中継放送所で、そばには四等三角点(点名・吉島)が置かれていた。そこより尾根歩きのスタートである。始めこそ笹ヤブをかき分けたが、すぐにそこを抜け、後はさほど難儀もせずに尾根を辿って行けた。展望の無いままに尾根を登るが、雑木のおかげで北風を受けることは無かった。尾根なりに進んで335mピークに出る。そこから尾根は北西に折れた。その方向に「大寺山廃寺」への標識が立っており、立ち寄ってみることにした。僅かな距離で着いてみると、なるほどそこに寺があったことを窺わせるように平らになっており、松の木が多くあった。そのためか地表は松葉で覆われて、松の香が漂っていた。ちょっと風情のある所だった。再び尾根歩きを続ける。ときおり木立の間から揖龍アルプスが覗けた。尾根歩きを始めてから1時間ほどで379mピーク(点名・篠首)に着いた。そこは狭いながらも開けており、小休止とした。そこからは二度目のコースとなるが、尾根道はいっそうはっきりして、良い感じのハイキング道となって来た。そのピークからの下りで、ようやく山頂が見えて来た。ただ東隣の420mピークの方が鋭い姿をしており、尾根の主役のように見えていた。その頃より上空に北から雪雲が流れて来て、陽射しの隠されることが多くなってきた。そしてほぼ曇り空になると、小雪のちらつくこともあった。歩き易いまま尾根を辿って420mピークへ。そこより更に20分近く歩いてようやく高倉山山頂に着いた。少々長い尾根歩きになるとは思っていたが、歩き始めてから3時間近くかかっていた。この高倉山山頂は前回の記憶では祠があるだけで、展望のきかない山と思っていたのだが、南側の木立が広く刈られており、栗栖川流域や揖龍アルプスの山並みがすっきりと広がっていた。思わぬ褒美をもらった気分だった。ちょうどそのとき陽射しが現れて、暖かい日が山頂を照らしてくれた。そのいい雰囲気の中で昼食を始めた。ただ陽射しは一時だけのもので、再び空は黒雲に覆われてしまった。その高倉山からの下山だが、初めに考えていたのは420mピークまで戻り、そこから北東へと尾根を辿って尾端集落へ下りるというルートだったが、どうせ北側に下るのだから、山頂から北に最短距離で下ることにした。けっこう急斜面だったが、植林地となっており、下草も少ないことで、木に掴まりながら適当に下って行けた。山頂までは長い尾根歩きだったが、その下りは早かった。35分で麓の集落に下り着いてしまった。下り易いままに下りてきてしまったため、どこの集落かと辺りの地名を確かめると、鍋子集落だった。考えていたより少し西寄りに下りてしまったようだった。その鍋子集落内を抜ける道路のそばに「堂前(どうでん)さん」と名付けられたお堂が建っていた。案内板によると、お地蔵さんが三体まつられているとのことだった。何とはなしにお堂を写真に収めていると、近所の老婦人が出てこられて、誘われるままにお堂に入って、そのお地蔵さんを拝ませていただいた。その鍋子集落からは峠越えで才樫集落へ。そして揖保川そばまでへと長い車道歩きが待っていた。その帰路の途中で空はいっそう黒くなり、こぬか雨が降ってきた。やがて小雨となって、その中を蕭然とした雰囲気で戻って行った。
(2006/4記)(2012/6改訂)(2019/1写真改訂) |