TAJIHM の 兵庫の山めぐり <西播磨 
 
高伏    たかふせやま 393.8m
羽城    はじょう 435.0m
 
1/2.5万地図 : 土万 佐用町
 
【2007年1月】 2007-12(TAJI&HM)
 
   《高伏山》 口長谷と奥金近を結ぶ車道より 2007 / 1 《羽城》  上三河地区より  2007 / 3

 「播磨 山の地名を歩く」を見ると佐用町に羽城と言う名の山が佐用町奥長谷(おくながたに)にあるとあった。その山名らしからぬ名に興味を持って「土万」の地形図を開くと、奥長谷の田坪集落の東に標高435mの三等三角点ピーク(点名・奥長谷)が見えた。どうやらこのピークが羽城のようで、地図の等高線から想像するに山頂は南北に細長くなっているようだった。この羽城に興味を持って登ることにしたが、この山だけ単独で登るのはもの足らないように思え、そこで尾根を南に辿った所にある高伏山とのセットで訪れることにした。2007年1月の最後の土曜日だった。
 国道373号線を北上して中国縦貫道の下を通過すると、程なく口長谷への道が分かれた。その道を進んで行くと、道そばに点々とガードマンの立っているのが見えた。不思議に思いながら走って行くと、工事中の高速道が現れた。それは中国横断道姫路鳥取線で、何台ものダンプカーが往来していた。その下を過ぎると急にひっそりとした。その辺りに高伏山への登山道があるはずなので、どこが登山道の始まりかと注意しながら車を進めると、道そばに灯籠の立っているのが見えた。そこより山中に向かう小径も見えたので、それではと思い、その先の道路脇に駐車した。念のために近くで農作業をしていた人に聞くと、まさにその道が高伏山への道だと教えて頂いた。早速歩き始めると、その小径が良い雰囲気だった。緩やかに尾根に向かっており、周囲は冬枯れの木々や枯れ野が広がって、何となく江戸時代の田舎に紛れ込んだような雰囲気だった。その雰囲気のままに尾根に着くと、そこに石碑が立っており、「高伏山長谷寺参道」と書かれていた。そばにはその高伏山長谷寺(たかふしさんちょうこくじ)の案内板も立っており境内まで620mとなっていた。また車道が来ており、それは南麓の奥金近集落から来ているようで、そのまま長谷寺まで通じているようだった。そこから車道歩きになるのかと思って歩き出すと、車道とは別に参道として山道のあることが分かった。当然それを歩くことにした。その小径はあまり歩かれていないようで、落ち葉が盛り上がるように積もっており、すっかり落ち葉道になっていた。その踏み心地を楽しみながら登って行くと、さほど登らず長谷寺に着いた。そこは高伏山の肩に位置しており、広い駐車場もあって開けていた。山上の寺と言うよりも、里の田舎寺の佇まいだった。一帯の雑木は切り払われており、そこに梅や桜が植えられていた。さぞや春の季節には人の訪れが多いのではと思われた。そのお寺の前は西に向かって展望が良く、モヤの強い空ながらも大撫山一帯が広く眺められた。その長谷寺の奥に鳥居があり、それが山頂への入口だった。鳥居を潜るとそこから始まっている小径も落ち葉道になっており、良い感じで登って行けた。数分で高伏山山頂だった。中央に小ぶりの社が建っており、周囲は落ち葉が地表を覆っていた。それを雑然とした雑木林が取り囲んでいる様は、そのとき上空が曇り空になっていたこともあって物寂しげだった。展望も無いため三角点のそばでぽつねんと立っていたが、一息入れたところで高伏山山頂を離れることにした。その先の尾根に小径は見えず、灌木をかき分けて適当に進むことになった。軽いヤブコギ状態で北東に向かう尾根を下って行く。その灌木のヤブコギは暫く続くものと覚悟したが、長くは続かず程なく木々が疎らになって来た。はっきりとした尾根道こそ見えなかったが、気楽な感じで尾根を追えるようになった。尾根は次の400mピークの西側を巻くように続いていたが、その400mピークの肩辺りに来ると、一帯は自然林の倒木があって少し雑然とした風景となった。ただ南に少し展望があり、昼の近いこともあってその辺りで休憩とした。その頃には空はすっかり曇り空で、少し肌寒さを感じながらの昼休憩だった。手早く昼食を済ませて尾根歩きを続ける。この尾根はよく折れ曲がっており、地図の地形を頭に描きながら歩かないと違う方向に行きそうになった。展望でもあれば周りの風景から現在地を掴めるのだが、繁った木々が視界を遮っており、ひたすら尾根を追うことに集中しての尾根歩きだった。高伏山と羽城の中間点辺りまで来ると、木々の隙間を通して平らな山頂の山が見えて来た。それが羽城のようだった。これはごく簡単に山頂に立てると思えて安心したのが悪かったのか、その先で尾根を誤ってしまった。そこまで歩いていたのは長谷川の左岸尾根だったが、一度長谷川から離れる形で南東へと歩いて旧南光町と旧佐用町との町境尾根に合流した位置より北東へと向かう必要があったのだが、そこを今少し南東に歩いてしまった。次のピークで北東へと向かったときはどんどん尾根を下り出した。その下りの続くことを疑問に思って漸く誤りに気付いた。ただ羽城に近づく形で下っていたため、左手の谷を越して急斜面を登り返すことにした。一帯は植林地に変わっており、その中を登って行った。急斜面だったが下草が少ないのは楽で、適当に登って尾根に戻りまた尾根歩きを続けると、その尾根でも羽城への分岐点を行き過ぎて南東隣となる447mピークに立ってしまった。447mピークに立っていることは木々を通して見えた麓の風景で分かったことだが、分かるまでに少し時間がかかった。447mピークと分かれば羽城へは尾根なりに西から北西へと向かうだけである。その辺りの樹林はまた自然林になっており、その落ち葉が地表を隠していた。落ち葉を踏みながら緩やかな尾根を辿ると程なく羽城の一端に着き、その平らな山頂を西へと歩いて三角点ピークに着いた。そこもすっかり自然林に囲まれており、いっそう多い落ち葉が辺りを埋め尽くしていた。その落ち葉の色で黄色く見える山頂だった。ただその山頂もすっかり木々に囲まれて展望は開けていなかった。ひたすら落ち葉の広がる地表の様を眺めながらひとときを過ごした。羽城と言う一風変わった名の山は、佐用の山らしくなだらかで、自然林の美しい山頂だったと知ったことで目的を達した思いとなり、下山に向かうことにした。下山は西へと伸びる尾根を下ることにした。この尾根に入ろうとしたとき、木々の切れ目から三角錐の鋭い山が見えた。地図で照らし合わせても今一つ分かり難かったが、下山後調べると、どうやらそれは行者山のようだった。この西尾根も自然林の尾根で、けっこう気楽に下って行けた。そして下り着いた所は田坪集落の北外れで、畑地が広がっていた。その中を貫く車道を延々と歩いて駐車地点へと戻った。
(2007/4記)(2015/10改訂)(2022/9写真改訂)
<登山日> 2007年1月27日 9:46スタート/10:15車道出合/10:28〜38長谷寺/10:42〜50高伏山/11:33〜45尾根の途中で昼休憩/12:31主稜に合流/13:35[447m]ピーク/14:00〜40羽城/15:04車道に下り着く/15:46エンド。
(天気) 朝の空は晴れとは言えず、形のはっきりしない雲が空を多く占めていた。晴れ間の広がることもあれば、曇り空になることもあり、その繰り返しだった。山上の気温は8℃と冷え込みは少なかったが、湿っぽい冷たさはあった。長谷寺では冷たい風を受けた。視界はモヤがかっており、遠方ははっきりと見えなかった。その後は雲が広がって来て、羽城に出る手前ではアラレを伴った小雨が降って来た。ただ小雨はすぐに止んだ。
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参道の入口には灯籠が立っていた 参道に入った 参道の鄙びた雰囲気は悪くなかった
落ち葉が積もっている所を通る のどかな参道歩きだった 尾根に出ると、車道に出会った
案内板が立っており、この先の長谷寺は高伏山長谷寺(たかふしさんちょうこくじ)と書かれていた 谷寺が近づくと、一帯は開けていた 石段の先に長谷寺を見た

(←)
長谷寺の前からは
西の展望が良かっ


 (→)
  長谷寺へと近づい
  た
境内の一角に鳥居があり、そこから高伏山山頂への小径が始まっていた 山頂までの道も、落ち葉が積もる道だった 山頂に着くと、社が建っていた 三等三角点(点名・高伏山)はその前に置かれていた
山頂の一角には祠も置かれていた 高伏山を離れて北東へと尾根歩きを始めた 次第に尾根の木々は疎らになってきた

前方に木々を通し
て見えてきたのは
400mほどの無
名ピークだった

昼食は尾根の途中
の比較的展望の良
い所でとった
北へと尾根を辿って行くと、木立を通して羽城が見えて来た 複雑な尾根なのに、簡単に近づけると思って注意が散漫になったのか、途中で尾根を外してしまった 軌道修正するも今度は447mピークに登ってしまった その447mピークの近くで南に展望を得た
羽城へは尾根なりに西から北西へと歩いた 羽城への登りにかかると自然林が広がり出した 左の写真の左端に写る鋭い山は行者山だった
羽城の山頂に着くと地表は落ち葉に覆われていた そこに三等三角点(点名・奥長谷)を見た 一帯は雑木林だった
下山で西尾根に入ると、北西に展望が開けて行者山の尾根がすっきりと眺められた 西尾根の下山は、疎らな雑木林を気楽に下れた 麓に下り着くとそこは谷あいであり、畑地が広がっていた