白旗山を再訪したのは8年後の2000年3月半ば、まだまだ風に冷たさの残る季節だった。上郡町の国道373号線を北上すると、白旗城跡の看板が右手に見えてきて、道標も現れた。それに従って細野集落に入り、それに続く林道を進んで、適当な空き地を見つけて駐車した。この林道はご遠慮下さいとなっていたが、林道の手前には駐車場所が見当たらず、中程まで進んで駐車することになってしまったものである。林道は遊歩道と言って良いほど整備されており、いたって歩き易かった。間もなく右手の斜面に細道を見た。この日は始めに白旗山の西向かいとなる401mピーク(点名・柏野)を登る予定にしていたため、その細道を辿って行くことにした。枯れ沢沿いに登っていたが、やがて細道は怪しくなり、後は石の多い斜面を適当に登ることにした。石は崩れやすいため、落石に注意しながら登って行く。麓は植林帯になっていたが、やがて雑木帯となり、尾根の直前ではシダヤブに直面した。
そのシダヤブを巻いて尾根に出ると、尾根道に出会った。もう傾斜は緩やかで楽なものである。尾根を登り詰めると、まず420mほどのピークに着いた。その辺りは全くの常緑樹帯で、展望は無し。そのピークの辺りから尾根道に沿って荷造りヒモが張られていた。一帯はマッタケ山らしかった。やがて「入山禁止、罰する」
の標識を多く見るようになった。尾根道が南に向かっているときは暖かい陽射しを受けたが、道が西向きとなると北風をまともに受けて、けっこう肌寒かった。尾根は灌木が繁っており、そのためすんなりとは歩けず、401mピークまでが長く感じられた。その401mピークも灌木や松の木で展望は良いとは言えず、ピーク手前の尾根より千種川流域が望める程度だった。さほど特徴のあるピークでも無かったので、すぐに白旗山へと向かった。道なりに南東方向へと進んでいると、「共有山、尾長谷川西共有組合、立入禁止」の標識を見た。どうやら今歩いている道はマッタケ山用で、白旗山には向かわないらしい。白旗山に向かいそうな尾根を見つけると、それを適当に下って行く。そのまま白旗山との間にある峠に向かうと考えていたが、尾根は急傾斜となり道も見当たらない。その時点で漸く地図で現在地を確認することにした。周囲の様子とも合わせて見ると、どうも一つ南よりの尾根を下っていたようだった。そこでトラバースして北に向かい、北隣の尾根に着くと、傾斜も緩くはっきりとした尾根道もそこに見た。漸く正しい尾根に出たようで一安心だった。その尾根を下って峠に下り着いた。そこからはハイキングコースとなり、一気に白旗山山頂へと登って行った。8年ぶりに歩く登山道はよく整備されており、いたって歩き易かった。周囲の樹木も程良く整備されていた。三角点は山頂部北東詰めの本丸跡にあり、堂々とした一等三角点である。山頂には先着の4名グループがいたが、間もなく下山すると静かな山頂になった。そして三角点そばの冬枯れた芝で暫しの休憩を楽しんだ。山頂は杉や椿の木によって展望は悪かったが、北東の展望は良く播磨科学公園都市も眺められた。また本丸の北にある三の丸からは梢越しだったが、後山から駒の尾山へと続く白い尾根を眺めることが出来た。この日は下山する前に、山頂部の西南端にある櫛橋丸跡にも立ち寄った。ここは山頂部で一番展望が良く、南部だけでなく北の白い山々も良く見渡せた。改めてここで小休憩をとる。下山はハイキングコースで戻って行く。峠の位置からは植林帯を歩いたが、道には小石が多く現れて歩き易いとは言えなかった。やがて雑木帯となり、また植林帯となって登山口に下り着いた。後は林道を歩きとなり、程なく駐車地点に戻り着いた。
(2004/3記)(2009/1改訂) |