18年ぶりに数曽寺山塊を登ろうと向かったのは、2017年も残り3日となった12月29日のことだった。数曽寺谷コースを歩く予定だったので、車を止めたのは山口集落の南に建っていた住吉神社の境内とした。上空は曇り空だったが、青空も覗いていた。まずは北へと歩いて山口集落内を抜けると、車道は数曽寺池の西に広がる別荘地へと上り坂になるが、その手前で分かれた数曽寺池へと向かう道に入った。数曽寺池は大規模に改修中で、この日も作業が行われていた。池を通り過ぎると広い道から分かれる形で巡視路が始まっており、その巡視路が登山コースだった。落ち葉に覆われた巡視路で始めは雑木林の中を歩いていたが、歩くうちに沢に沿うようになった。沢は冬場とあってか枯れており、ときに沢を横切ることもあった。巡視路に入って25分ほど歩いたとき、道は二手に分かれた。尾根コースを登る予定だったので、右手の小径に入った。上り坂となって斜面を登り尾根に出た。尾根は緩やかで易しく登って行けた。登るほどに後方に風景が広がってきて、南東方向に見えてきたのは三草山だった。西向かいの尾根もすっきりと眺められた。尾根では露岩地もあっていっそう展望が広がった。前方に見えてきたのは送電塔で、その背後のピークは山頂手前の400mピークで、山頂は頂をちらりと見せるだけだった。露岩の尾根を登って送電塔を過ぎ、その先の400mピークを越すと山頂がはっきり見えてきた。あと一登りだと思ったが、意外やその辺りよりヤブっぽくなり、足下にシダが増えてきた。また灌木の小枝を避けることもあり、そのヤブっぽい状態が続いまま山頂到着となった。山頂に着いたのは12時前のこと。巡視路に入ってから1時間20分が経っていた。大坂山の山頂は狭い範囲で開けてはいたものの、木々に囲まれて展望は良いとは言えなかった。それでも少しは展望を得たいと辺りを探ると、尾根道を少し北西へと入った所で北面側が開けていた。西光寺山の尾根ががすっきりと見えており、遠くは黒田庄町の妙見山も望めて、まずまず満足出来る展望が得られた。南の方向にも展望が得られて、改めて三草山を山頂からも眺めた。昼食を山頂でとっていると、次第に上空は再び雲が広がって陽射しを受けなくなってしまった。そうなると寒々しくなったので、次の目標である459mピークに向かって東に延びる尾根道に入った。始めに急坂があって80mほど下った。後は緩やかな道で東南東へと歩いて行く。430mピークに近づいて上り坂が始まろうとしたとき、右手に小径が始まっているのを見た。テープは付いているものの標識は無かった。地図を見ると仏谷に通じているように思えた。それを見たことで下山は仏谷に向かおうと考えた。まずは先へと進んで459mピークを目指した。430mピークへと登ると、その先に459mピークが見えてきた。緩やかに下り緩やかに登り返して459mピークに着いたときは大坂山のピークを離れてから40分近くが経っていた。そこは三角点の無いピークで展望も大坂山と比べると悪く、北の方向に少しあるだけで、それも大坂山からも見えていた風景だった。少時の休憩をとっただけで459mピークを離れることにした。前回は南へと下って馬瀬集落に下りたのだが、この日は先ほど見た仏谷コースに入ることにした。その分岐点まで戻って仏谷コースに入ると、始めこそごく無難に歩けていたのだが、次第にヤブっぽくなってきた。まだ支尾根に沿って歩いていたのだが、仏谷は右手だったので少し手前で谷筋へと下りる道を見過ごしたのではと思えてきた。そこで今立っている位置から適当に谷の方向へと下ることにした。その判断により何とも難儀することになった。最初のうちは雑木ヤブの斜面を下っていたのだが、次第にシダが増えてきた。それを回避しながら下っていたところ急斜面となって回避出来なくなり、シダヤブを突き進むことになった。猛烈なシダヤブの上に急斜面とあってけっこう危険な状態だったが、慎重に行く手を見定めながら下ると、無事谷筋に下り着いた。そこが仏谷だった。小径は見なかったが、危ない所は無くごく普通に歩けた。季節がら落ち葉が辺り一面を覆っていた。谷筋は急坂になることも無く歩けたが、ときに枯れ沢の中を歩いたり沢を横切ったりした。そのうちに小径を歩くようになり、沢筋を抜け出すことになった。そのまま国道372号線に出られると思っていると、畑地との間に三草川があり行く手を阻まれてしまった。橋も無かったので川に沿って東へと歩くと、うまく飛び石伝いに渡れる所が現れて、無事畑地に出ることが出来た。後はあぜ道を歩いて国道のそばに出てきた。そこからは山口集落まで国道沿いを歩くことになったが、途中で三草川沿いの土手道に入れたので、車を気にせず歩けるようになった。山口集落への道に入ると、車を止めている住吉神社まで5分ほどの距離だった。
(2018/1記)(2020/4改訂) |