佐用町の中央に位置する行者山は地図には山名も三角点も無く、標高点も載っていない山だが、その鋭角的な姿は周囲の山から一際目立っている山だった。また山頂には祠が祀られており、信仰の山でもあった。その行者山を初めて登ったのは2年前の2007年のことで、そのときは北麓の井ノ久保集落側から山頂に立って、尾根を南へと点名・和正谷のピークまで歩いていた。そのおりに南麓の田坪集落側からの登山道が尾根に来ているのを見た。そのコースがあることに意外さを感じてちょっと気になった。行者山を再び登りたくなったのはこの6月に平谷深山を登ったときで、山頂に立ったとき、その平谷深山が行者山から良く見えていたことを思い出して、次に佐用の山を登るのなら行者山を再訪しようと決めた。それもまだ歩いていないコースでと。そう決めると、翌週、7月に入った最初の週の金曜日に向かった次第だった。
国道373号線を宗行交差点で離れて奥長谷への道に入った。2007年に高伏山の登山をしたときに同じ道を走っていたが、そのときは鳥取自動車道の工事が行われていたが、その工事は既に終わっており、その部分完成した鳥取自動車道の高架下を通って奥へと車を進めた。田坪集落へと入ると、駐車地点を探った。そのとき車で通りがかった里の人がいたので、駐車地点について尋ねてみた。するとその先の岩谷川に沿って林道が走っており、二つ目の堰堤辺りに止めるのが良いのではと教えていただいた。山のことも尋ねると、多少荒れているものの登れることは登れるとのことだった。礼を言って聞いた通りに林道を走ると、透過型をした二つ目の堰堤そばに適度な駐車スペースを見た。まだ先へと林道は続いていたが、足慣らしとして林道を歩く気持ちがあり、聞いた通りに堰堤のそばに車を止めて、そこから登山開始とした。岩谷川沿いの林道は10分も歩けば終わり、小さな橋を渡ると山道が始まった。岩谷川はごく小さな沢になっており、それに沿う山道を普通の感じで歩いていると、次第に草深くなってきた。シダヤブの所も現れたが、そこは長くは続かなかった。その道の傾斜が増してきたとき、大きな岩が三つほど並んでいる所が現れた。その位置で谷は二手に分かれたのだが、何となく歩き易そうに見えた右手の方へと歩を進めた。道の傾斜が次第に増してきて、木に掴まりながら登ることもあった。その登っているとき、方向が北西で無く真っ直ぐ北であることに気付いた。そこで地図を出して確かめると、道が二手に分かれた位置でどうやら選択を誤ったようだった。ただそのまま登っても行者山から東に延びる尾根に出るだけなので、そのまま登り続けることにした。むしろ下山時は予定していた尾根を歩けば周回で行者山を歩けることになりそうだった。急斜面を登りきって尾根に出ると、そこで一休みとした。尾根は灌木の小枝を払う程度で、軽いヤブコギと言った感じで歩けた。460mピークを越すと、そこからは前回で歩いたコースだった。今少し進んで岩に手をかけて登った先が山頂だった。祠がある風景は以前と変わっておらず懐かしかった。ただこの日の視界は思っていた以上に悪かった。空気は湿気をたっぷり含んでおり、遠くの山並みは全く見えなかった。西の方向に大撫山と平谷深山が淡く見えているのが目立つぐらいで、前回に味わった開放感ある展望では無かった。それでも山頂にはほのかながら涼しい風があり、一休みには良い感じだった。薄ぼんやりとした風景を眺めながら昼どきを過ごした。下山は予定コースを歩こうと、古びた木の鳥居を潜って南へと尾根を歩き始めた。尾根は行者山登山のメインコースと呼べそうで、緩やかな尾根にはっきりとした尾根道が付いていた。少し下ると左手の谷に向かえる小径が分かれた。それが予定していたコースで、そちらへと入った。植林地の急斜面に小径がジグザグで付いており、どんどん下って行った。その小径が緩やかになると共にはっきりしなくなった。ただ谷へと下りればよいので適当に下ると、見覚えのある大岩の前に出た。やはりこの岩の位置で左手の谷筋に向かうのが正解だったようである。シダヤブ帯を抜けると、岩谷川に沿って左岸側を歩いたり右岸側を歩いたりと下って行くと、左岸の小径がはっきりしてきた。後はその小径を辿るだけだった。結果として行者山を周回で歩いたことになったが、もっとはっきりしたコースではと思っていたのに意外とマイナーだったのは予想外だった。
(2009/8記)(2021/10写真改訂) |