TAJIHM の 兵庫の山めぐり <丹波 
 
高城山    たかしろやま 462m 丹波篠山市
1/2.5万地図 : 福住
 
【2010年12月】 2010-109(TAJI)
 
    北麓の八上内地区より  2010/12

 篠山市八上にある高城山は、山上に八上城跡があることで有名で、登山道も整備されている。その高城山になかなか足を向けなかったのは、ごく低山であるだけで無く、歩き易過ぎて登山時間が短すぎるのではと思えたためだった。せっかく篠山まで行くのなら、どうしてもじっくり登れる山に関心が向いてしまう。その高城山を2010年12月に入って登る気になった。特に城跡の雰囲気を楽しみたくなった訳では無く、弥十郎ヶ嶽を近くから眺められる山は無いものかと「福住」の地図を開いたとき、目に止まったのが高城山だった。ただ高城山だけでは時間が短すぎるので、午前は高城山とするものの、午後は別の山を登る考えだった。
 向かったのは2010年12月の第三日曜日のこと。日曜日は行事が多く、あまり山へは行かないのだが、好天になるとの天気予報につられて行くことに決めたものである。但しパートナーは用事があり、単独行だった。デカンショ街道の国道372号線で篠山市を目指していると、加東市を過ぎる頃より霧の中に入った。国道176号線から国道372号線に入ったときは、町並みは見えているものの上空は霧の空で、周囲の山並みは霧に隠れていた。高城山を北西麓の春日神社からのコースで登る予定だったが、車をどこに止めようかと考えたとき、少し離れた農地に止めるのも悪くないと思えた。国道372号線を離れてそちらに向かう道は歴史の道として整備されており、石畳の歩道も付いていた。すぐに小さな橋が現れ、そのそばに駐車スペースを見たので、そこに駐車とした。そこから登山口までは400mほどの距離だった。高城山は裾野を見せるだけで、ほぼすっぽりと霧に包まれていた。その高城山へと駐車地点を離れて石畳の遊歩道を歩き出した。国道372号線を横切ると、「十兵衛茶屋」バス停のそばから住宅街への細い車道に入った。その通りは宿場町の佇まいを色濃く残しており、十兵衛茶屋は古色ゆかしい建物だった。通りを東へと歩いて行くと、骨董店があり、そのそばの小径が春日神社への道だった。神社に近づくと、車2、3台なら止められそうな駐車スペースを見たので、手早く登るのなら、そこが駐車地点として良さそうだった。春日神社を横目に山裾に近づくと、登山道が始まった。その入口には熊に注意の立て札を見た。始めに南西方向へ歩いて、北西尾根に取り付いた。登山道は丸太の階段道として整備されており、登山道と言うよりもすっかり遊歩道の雰囲気だった。季節がら落ち葉が登山道をすっかり覆っていた。その落ち葉を踏みながら黙々と登って行く。中腹辺りに来たのではと思えた頃より、周囲に霧が漂いだした。霧の中に入ったようだった。陽射しが無いとあって冷え冷えとしており、温度計を見ると3℃と低かった。遊歩道を歩く分にはただのハイキングだったが、やはりそこは城跡だけに、登っていると城跡を示す標識がよく現れた。鴻ノ巣、下ノ茶屋丸、上ノ茶屋丸と。右衛門丸跡を過ぎて山頂が近くなっても霧に包まれたままなので、薄暗い中で山頂に着いてしまうのではと心配し出したとき、急に霧が薄れてきた。上空には青空も現れてきた。左手が明るいのでそちらを見ると、木々の隙間からだったが、多紀アルプスの主峰、三嶽が山頂部を雲海の中から突き出していた。三の丸跡、二の丸跡と歩く頃にはうっすらと陽射しを受けるようになり、明るい中での山頂到着となった。その山頂は八上城跡の本丸跡だった。中央には落城時の城主、波多野秀治の顕彰碑があり、一帯は広くは無かったが平らに開けていた。その地表はネザサが生えていたが、今は落ち葉に覆われていた。その本丸跡より北東に一段低く岡田丸跡があり、そちらの風情も悪くなく、本丸跡と共に城跡の雰囲気が十分に漂っていた。またぽつぽつとベンチが置かれて、良い感じの休憩場所にもなっていた。その城跡の雰囲気に浸かっていたいところだが、山頂から見える雲海風景が気になった。山頂は周囲を木々が囲んでいたが、北の一部だけ切れ目があり、そこに雲海が覗いていた。よく見ようとそちらに移動すると、背後の山並みはすっかり現れて、朝日に明るかった。見えていたのは西ヶ嶽から西の尾根で、北西遠くには淡く粟鹿山も見えていた。三嶽も木々にじゃまをされながらも半分は見えていた。ちょうど雲海は薄れようとしており、見る間に足下に田園風景が現れてきた。暫しその移り変わる様を眺めていた。その北の風景は良かったが、そもそもこの高城山に立ったのは、弥十郎ヶ嶽を間近に見たいがためだった。その弥十郎ヶ嶽はなるほど南東方向にその姿を見せていたが、樹林を通してでしか見えておらず、期待した眺めでは無かった。天気はすんなりと晴れるものと思っていたのだが、霧の雲は多く残っており、山頂は陽射しが現れたり消えたりを繰り返していた。他に誰も見かけない山頂で城跡の雰囲気を十分に楽しんで40分ほど過ごした後、下山開始とした。下山は南東方向へと下って行く。そちらも丸太の階段道が作られて遊歩道になっていた。その登山道が途中で二手に分かれた。野々垣コースと藤ノ木坂コースで、野々垣コースに入れば国道372号線から離れてしまうので、藤ノ木坂コースの道に入った。こちらの尾根は緩やかで、はりつけ松跡を過ぎると、ほぼ平坦になった所が現れた。馬駆場と標識があった。その辺りまで来ると周囲の木々は低木が増えてきており、展望に期待していると、程なく、弥十郎ヶ嶽がまずまずすっきりと眺められた。これで何とか当初の目的が達せられた思いになれた。その先に芥丸跡があったが、そこが地図で標高388mと書かれたピークのようだった。そのピークを過ぎて、漸く本格的に高度を下げ出した。北東へと下って行く。また周囲を樹林が囲むようになり、展望はなくなった。木陰の中を歩くとあって、気温もまた5℃まで下がってきた。急尾根を下って小さな沢のそばに出ると、道は八上上集落へと入った。その後は372号線沿いを歩かず、372号線を渡ると農道を歩いて駐車地点へ戻った。もう上空はすっかり快晴となっており、雲は僅かに見えるだけだった。高城山もすっかり全姿を現せていた。逆光で見るためシルエットの姿だったが、丹波富士と呼ばれるだけに小ぶりながら端正な姿だった。その山上で明智軍の城攻めが行われていたことを思い出しながら、駐車地点へと近づいて行った。
(2011/1記)(2021/7改訂)(2026/1写真改訂)
<登山日> 2010年12月19日 9:33スタート/9:45春日神社登山口/10:17〜57山頂/11:20[388m]標高点/11:35藤ノ木坂コース登山口/11:50エンド。
(天気) 朝の空は霧がかかっており、どの山も霧に隠れていた。山中は冷え込んでおり、気温は3℃。登るうちに霧は薄れだした。山頂に着く頃には、周囲の山が現れてきた。その後は空の霧の雲も薄れて、次第に青空が広がってきた。陽射しの下では気温は10℃まで上がってきた。霧の消えた視界は良く澄んでいた。風はほとんど無し。下山を終えて見上げる空は、すっかり快晴だった。
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登山口から少し離れた位置より歩き始めた 南へと石畳を歩いて行く 高城山は霧に包まれていた 国道372号線を越えて古い街並みに入って行った
程なく骨董店が現れた 骨董店の横の道が春日神社に通じる道だった 左の写真に写る標石を見る
春日神社口の近くには高城山と八上城跡の案内板が立っていた 春日神社まで歩くと、その手前から登山道が始まっていた 登山コースに入ると、階段の遊歩道が見えてきた
始めは植林地の中を南西に登って行った 緩やかな北西尾根は、すっかり遊歩道だった 下の茶屋丸跡に着いた 霧の視界だった
登山道も霧に包まれるようになった すっかり落ち葉に覆われている所もあった 丸太の階段を歩いた
山頂が近づくと木々を通して雲海が眺められた 右衛門丸跡では石垣が見られた 二の丸跡まで来れば、間近に山頂が見えていた
山頂に着くと、木々の切れ目から雲海が眺められた 雲海の先に見えていたのは多紀アルプスから西に延びる尾根だった
立つ位置を変えると、右上の写真の右に三嶽が望めた 暫く眺めていると、雲海は急速に薄れてきた 上の写真に写る鋸山を大きく見る

柔らかい陽射しを
受けながら、山頂
の佇まいを眺めた
山頂の一角にまだカエデの紅葉を見た その落ち葉が地表をすっかり覆っていた 山頂は風も無く穏やかだった
(←)
展望が良いのは北
の一角だけのよう
だった 改めてそ
こからの展望を楽
しんだ 北西方向
を眺めた
 (→)
  弥十郎ヶ嶽は木々
  に遮られてよく見
  えなかった
空の雲はどんどん薄れていた 下山は始めに南東方向へ下った 途中で二手に分かれたので、藤ノ木坂コースに入った
こちらのコースも遊歩道の雰囲気で続いた 馬駆場の辺りは暫く平坦路で続いた 振り返って山頂を見る
左の写真に写る弥十郎ヶ嶽を大きく見る 芥丸跡に着いた 緩やかな道はそこまでだった

急坂の登山道を下
るようになった

程なく北西に展望
が開けて、篠山盆
地が眺められた
堰堤のそばを通った 沢沿いを歩いた、すっかり里山歩きの雰囲気となった 柵沿いを歩いて八上上集落へと近づいた
八上上集落の登山口に出てきた 国道372号線を越えて、農道を北へと歩いた 駐車地点に戻り着いて、高城山を眺めた