篠山市八上にある高城山は、山上に八上城跡があることで有名で、登山道も整備されている。その高城山になかなか足を向けなかったのは、ごく低山であるだけで無く、歩き易過ぎて登山時間が短すぎるのではと思えたためだった。せっかく篠山まで行くのなら、どうしてもじっくり登れる山に関心が向いてしまう。その高城山を2010年12月に入って登る気になった。特に城跡の雰囲気を楽しみたくなった訳では無く、弥十郎ヶ嶽を近くから眺められる山は無いものかと「福住」の地図を開いたとき、目に止まったのが高城山だった。ただ高城山だけでは時間が短すぎるので、午前は高城山とするものの、午後は別の山を登る考えだった。
向かったのは2010年12月の第三日曜日のこと。日曜日は行事が多く、あまり山へは行かないのだが、好天になるとの天気予報につられて行くことに決めたものである。但しパートナーは用事があり、単独行だった。デカンショ街道の国道372号線で篠山市を目指していると、加東市を過ぎる頃より霧の中に入った。国道176号線から国道372号線に入ったときは、町並みは見えているものの上空は霧の空で、周囲の山並みは霧に隠れていた。高城山を北西麓の春日神社からのコースで登る予定だったが、車をどこに止めようかと考えたとき、少し離れた農地に止めるのも悪くないと思えた。国道372号線を離れてそちらに向かう道は歴史の道として整備されており、石畳の歩道も付いていた。すぐに小さな橋が現れ、そのそばに駐車スペースを見たので、そこに駐車とした。そこから登山口までは400mほどの距離だった。高城山は裾野を見せるだけで、ほぼすっぽりと霧に包まれていた。その高城山へと駐車地点を離れて石畳の遊歩道を歩き出した。国道372号線を横切ると、「十兵衛茶屋」バス停のそばから住宅街への細い車道に入った。その通りは宿場町の佇まいを色濃く残しており、十兵衛茶屋は古色ゆかしい建物だった。通りを東へと歩いて行くと、骨董店があり、そのそばの小径が春日神社への道だった。神社に近づくと、車2、3台なら止められそうな駐車スペースを見たので、手早く登るのなら、そこが駐車地点として良さそうだった。春日神社を横目に山裾に近づくと、登山道が始まった。その入口には熊に注意の立て札を見た。始めに南西方向へ歩いて、北西尾根に取り付いた。登山道は丸太の階段道として整備されており、登山道と言うよりもすっかり遊歩道の雰囲気だった。季節がら落ち葉が登山道をすっかり覆っていた。その落ち葉を踏みながら黙々と登って行く。中腹辺りに来たのではと思えた頃より、周囲に霧が漂いだした。霧の中に入ったようだった。陽射しが無いとあって冷え冷えとしており、温度計を見ると3℃と低かった。遊歩道を歩く分にはただのハイキングだったが、やはりそこは城跡だけに、登っていると城跡を示す標識がよく現れた。鴻ノ巣、下ノ茶屋丸、上ノ茶屋丸と。右衛門丸跡を過ぎて山頂が近くなっても霧に包まれたままなので、薄暗い中で山頂に着いてしまうのではと心配し出したとき、急に霧が薄れてきた。上空には青空も現れてきた。左手が明るいのでそちらを見ると、木々の隙間からだったが、多紀アルプスの主峰、三嶽が山頂部を雲海の中から突き出していた。三の丸跡、二の丸跡と歩く頃にはうっすらと陽射しを受けるようになり、明るい中での山頂到着となった。その山頂は八上城跡の本丸跡だった。中央には落城時の城主、波多野秀治の顕彰碑があり、一帯は広くは無かったが平らに開けていた。その地表はネザサが生えていたが、今は落ち葉に覆われていた。その本丸跡より北東に一段低く岡田丸跡があり、そちらの風情も悪くなく、本丸跡と共に城跡の雰囲気が十分に漂っていた。またぽつぽつとベンチが置かれて、良い感じの休憩場所にもなっていた。その城跡の雰囲気に浸かっていたいところだが、山頂から見える雲海風景が気になった。山頂は周囲を木々が囲んでいたが、北の一部だけ切れ目があり、そこに雲海が覗いていた。よく見ようとそちらに移動すると、背後の山並みはすっかり現れて、朝日に明るかった。見えていたのは西ヶ嶽から西の尾根で、北西遠くには淡く粟鹿山も見えていた。三嶽も木々にじゃまをされながらも半分は見えていた。ちょうど雲海は薄れようとしており、見る間に足下に田園風景が現れてきた。暫しその移り変わる様を眺めていた。その北の風景は良かったが、そもそもこの高城山に立ったのは、弥十郎ヶ嶽を間近に見たいがためだった。その弥十郎ヶ嶽はなるほど南東方向にその姿を見せていたが、樹林を通してでしか見えておらず、期待した眺めでは無かった。天気はすんなりと晴れるものと思っていたのだが、霧の雲は多く残っており、山頂は陽射しが現れたり消えたりを繰り返していた。他に誰も見かけない山頂で城跡の雰囲気を十分に楽しんで40分ほど過ごした後、下山開始とした。下山は南東方向へと下って行く。そちらも丸太の階段道が作られて遊歩道になっていた。その登山道が途中で二手に分かれた。野々垣コースと藤ノ木坂コースで、野々垣コースに入れば国道372号線から離れてしまうので、藤ノ木坂コースの道に入った。こちらの尾根は緩やかで、はりつけ松跡を過ぎると、ほぼ平坦になった所が現れた。馬駆場と標識があった。その辺りまで来ると周囲の木々は低木が増えてきており、展望に期待していると、程なく、弥十郎ヶ嶽がまずまずすっきりと眺められた。これで何とか当初の目的が達せられた思いになれた。その先に芥丸跡があったが、そこが地図で標高388mと書かれたピークのようだった。そのピークを過ぎて、漸く本格的に高度を下げ出した。北東へと下って行く。また周囲を樹林が囲むようになり、展望はなくなった。木陰の中を歩くとあって、気温もまた5℃まで下がってきた。急尾根を下って小さな沢のそばに出ると、道は八上上集落へと入った。その後は372号線沿いを歩かず、372号線を渡ると農道を歩いて駐車地点へ戻った。もう上空はすっかり快晴となっており、雲は僅かに見えるだけだった。高城山もすっかり全姿を現せていた。逆光で見るためシルエットの姿だったが、丹波富士と呼ばれるだけに小ぶりながら端正な姿だった。その山上で明智軍の城攻めが行われていたことを思い出しながら、駐車地点へと近づいて行った。
(2011/1記)(2021/7改訂) |