TAJIHM の 兵庫の山めぐり <南但馬 
 
金梨山    かなしやま 464.4m 朝来市
1/2.5万地図 : 但馬竹田
 
【2003年7月】 No.2 2003-55(TAJI&HM)
 
    竹田城跡より  2003 / 7

 この山への再登山は秋の季節でもと考えていたが、なんと初登山から3日後になってしまった。この日は平日であったが、朝から澄んだ空が広がっていた。ずっとぐずついた天気が続いていたので、この快晴を見て急きょ休暇をとって山歩きを楽しむことにした。三日前に京丹波の山を目指したところ、悪天で断念して途中の金梨山で雨中登山をしていた。そこで改めて京丹波の山を目指すことにした。播但道に入るとどの山も稜線はくっきりとしており、鮮やかに眺められた。ただ北の空は雲が厚かった。それも天気予報は快晴となっていたので、気にせず北に向かった。市川北ICで播但道を降りると、後は国道312号線を走った。神崎町に入ると空は晴れから曇りへと変わった。そして生野町にかかると小雨が降ってきた。これでは三日前の二の舞だった。何のために休暇をとったのかと空を恨みたくなった。それでも朝来町に入ると雨は止み、空は回復の兆しが見えてきた。ただ快晴とはならなそうに思えて和田山町に入ったとき、予定を変更して再び金梨山を登ることにした。まだ周囲の山の稜線にはガスがかかっていたが、山頂に立つ頃には晴れも期待出来るそうに思えた。そうなると前回は見ることが出来なかった展望を楽しめそうだった。三日前と同様に南東麓の農道に入ると、最奥の位置に駐車とした。そして農道から続く小径に入った。この日は尾根道に続く道を見つけようと、小径が怪しくなってもそのまま谷筋を登って行った。傾斜がきつくなっても周囲は木々が疎らな雑木林とあって、空いた所を探しながら登った。さほど時間がかからず支尾根に出て尾根道に出会った。どうやらそれは麓から続いていたように思えたので、帰路はその尾根道を辿ることにした。支尾根を登ると、金梨山の南尾根に合流した。山頂と409mピークとの中間点辺りだった。後は三日前と同じだった。山頂手前の大岩に着くとそこは東に向かって開けていたが、そちらはガス雲が山稜を隠していた。どうも天気の回復は思わしくないようだった。程なく山頂に立った。この日は西の展望を得ようと、山頂直下の岩場に立ち寄ることにした。けっこう雑木が茂っており枝を払いながら岩場に近づいた。岩場に着くも雑木が視界を遮っていたが、展望の良さそうな岩を見つけてそこに立つと、素晴らしい展望が広がっていた。足下には古城山と竹田の町並み、そしてその背後には大倉部山を始めとする山並みが広く眺められた。上空はどんよりとした曇り空で、さほど回復しているようには見られず、一部の山稜にはガスが残っていた。それでも視界はくっきりとしていた。暫しその岩場で寛ぎのときを過ごした。その間に少しは山稜にかかるガスは薄らいだが、南方遠くの生野高原辺りはガスが濃かった。標識で岩場の直下には金梨山大権現があると知ったので、そちらに向かおうとしたとき、別の展望岩を見つけた。その岩からは南向かいの朝来山がはっきりと見えた。まずまずの展望に満足すると、おもむろに大権現へと向かった。そこは岩の隙間にある洞窟と言えそうな所で、小さな祠が安置していた。辺りの佇まいから里人に大事に守られてきていることが分かった。ちなみに岩室の入口の標識には「金梨山岩谷大権現」とあった。この大権現には西側から登山道があるようだった。南尾根コースに戻ると下山に移った。東の展望がある大岩に戻ると、東の空はまだまだガスが多かった。その展望はあっさり諦めて下山を続けた。409mピークとの中間地点まで来ると支尾根に入った。緩やかなまま尾根道は続いており、そのままずっと東へと歩くのかと思っていると、突然尾根を離れて南に向かい出した。とにかく小径を辿ると、往路で谷筋の小径が不確かになった辺りに合流した。やはり農道終点から始まる小径は山頂へと続くコースだったようである。この金梨山登山を終えても上空は曇り空のままだったので、午後にもう一山として考えていた北の山は諦めて南の山に向かうことにした。その前に昼どきを古城山で過ごすことにした。車で向かったので登山では無かったが、古城山から金梨山を眺めたいとの考えからだった。城跡に上がると、この日は曇り空とあって涼しさを感じながら展望を楽しめることになった。城跡からの展望は何度来ても素晴らしいの一言で、期待した金梨山はすっきりと全姿を眺められた。
(2003/8記)(2021/5改訂)
<登山日> 2003年7月16日 8:50スタート/9:06尾根に着く/9:15〜10:10山頂&金梨大権現/10:22展望地/10:45エンド。
(天気) 曇り空で終始する。
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頂上のすぐ下に大きな岩室があった そこが金梨山大権現だった 岩室の中には小さな祠が安置していた
金梨山大権現の上にある岩場の展望地より、西の山並みを眺めた 左の写真の左手は朝来山だった
婆々山の左手奥は生野高原だったが、その山稜はガスに隠されていた 古城山の山上に広がるのは竹田城跡だった
山頂の南東側にも大岩があり、そのそばからは東に展望が開けていたが、遠方はガスに閉ざされていた 左の写真に写る町は山東町の矢名瀬町だった
下山後に車で竹田城跡に移動した 城跡からは金梨山と朝来山の並ぶ姿が眺められた