二度目の国見山登山は急なきっかけだった。2005年11月12日は前日の雨が止んで、姫路の空は朝から青空が広がっていた。そこで宍粟市深部の山を目指そうと、勇躍して国道29号線を北上して行った。そして安志峠を越して山崎市街へと入るとき、国見山の山頂に何やら東屋のようなものが出来ているのが見えた。それが朝日に光っていた。それを気にかけながらも北上して行くと、一宮町に近づいて、どうも北の空がすっきりしていないことが分かった。どんよりとした曇り空で、宍粟の奥は雨雲が残っていそうな雰囲気だった。そこですっぱりと北の空は諦めて、ひらめいたのが国見山だった。山頂の建物は何なのかと確かめたくなったものである。急なひらめきのため、登山コースは前回と同じく東麓の金谷地区側からとした。その金谷地区の北辺となる尾根端に着くと、尾根端の円丘は「金谷山辺古墳」と説明板があり、そのそばに駐車スペースがあった。そこに駐車して古墳の先の墓地へと歩いて行くと、尾根が現在工事中であることを示す説明板が立てられていた。それを読むと尾根は「国見の森公園」として2006年3月完成を目指していることが書かれていた。墓地の奥へと進み尾根道に近づくと、入口のゲートが作られていた。これは害獣除けのもので、そのゲートを通るとなるほど尾根には真新しい遊歩道が作られていた。道幅は2mほどあり、丸太の階段道もあったが、山道の雰囲気を壊さずに作られており、遊歩道も進化しているようだった。その遊歩道を気楽に登って行く。まだ工事中とあって切り払われた雑木が道そばに残っていた。朝のうちは快晴だった空は雲が広がり出しており、木立に囲まれた遊歩道は、少し薄暗かった。ただときおり陽射しが現れ、遊歩道を明るく照らすこともあった。やがて319mピークに着くと、そこはすっきりと木立が刈られており、三角点の周囲は空き地となって、傍らにはベンチも置かれていた。山頂までの中間点として、一休みの場所にされていた。その先で尾根は急傾斜となったが、そこは遊歩道がつづら道となって、無理なく登れるようにされていた。雑木が切られたばかりとあって、遊歩道からは展望の開けることもあり、山崎市街や東の山並みの中に明神山が望まれたりもした。尾根道は再び真っ直ぐとなり、とうとう山頂まで続いていた。つまり遊歩道としては完成していたようだった。そして山頂には立派な展望台が作られていた。麓から東屋かと見間違えたが、三層構造にも見える立派な二層の展望台で、それを支える柱は直径1メートル近くはあるかと思える見事な杉丸太だった。山頂一帯はまだまだ工事中で重機も置かれていたが、展望台はすでに完成していた。この展望台を見た限りは登らずにはおられず、早速二階へと上がった。そして目に飛び込んで来たのが山崎市街とそれを取り囲む山々だった。遊歩道からも見えていた風景だったが、山頂からとあって、一段と広く眺められた。そして揖保川が南へと流れているその流域の山々をよく見えており、その先には瀬戸内海が光っていた。ただ北側が木立が多く、黒尾山や水剣山は梢越しに少し覗くだけだった。まずは展望台としては十分な眺めだった。この山頂からは更に北へと道が続いており、展望台を下りて少しそちらに歩いてみた。するとすぐに林道に出た。そちらはまだまだ工事中だったが、立派な林道が北側から山頂そばを通って西へと延びていた。完成すれば山頂そばまで車道が通じるわけで、そうなると山頂は俗化するのではと要らぬ心配も出てくる工事風景だったが、この工事のため一帯の植林が切られており、のり面の上に立ってみると、山頂の展望台よりも素晴らしい風景が広がっていた。北西から北東がすっかり見渡せられ、黒尾山も水剣山もすっきりと見えていた。その更に北の空はどんよりとしていたが、ガスは消えているようで
うっすらとながら後山や植松山も望めた。視界の良い日には三室山まで見えそうだった。新しい遊歩道に展望台、そして山頂をよぎる林道と、いま国見山は大きく変貌を遂げようとしているようだった。何も山頂まで林道を付けなくともと、その林道を見て寂しい気持ちも起きたが、新しい遊歩道は山崎町の市街地近くに一つハイキングコースが増えたことになり、そのことはうれしく思いながら、遊歩道を戻って行った。
(2005/11記)(2011/4改訂)(2020/10改訂2) |