国道29号線を走って宍粟市一宮町に入ると、東市場交差点で坂の辻峠へと向かう県道8号線が分かれている。その県道に入ると程なく、両側から迫っていた尾根が少しずつ離れて、染河内川沿いに田畑の風景が広がてくる。そして前方を見ると暁晴山の尾根が大きく立ちはだかっており、県道はその暁晴山へと近づいて行く。鍋山はその暁晴山の手前に佇んでいるのだが、始めは暁晴山と重なって見えるため、それと注意しないとただの尾根としか見えず見過ごしそうになる山である。その鍋山が近づくほどに暁晴山を後ろに隠して、間近では名前のごとく鍋を伏せたような姿で、立派に存在感を見せてくれる。但し大きな山とは言えず、県道との標高差は200mほどでしかない。
この鍋山を訪れたのは2006年5月20日のこと。この日の朝方は曇り空で小雨も降るあいにくの天気だった。その中を同じ市内の山崎町にある長水山に登っていたのだが、天気は急速に回復して、山頂ではほぼ晴れの天気となっていた。そして空気の汚れがきれいさっぱりと落とされたような澄んだ視界が広がっていた。その目の覚めるような視界にうれしくなって、午後ももう一山、ごく軽い山を登ってみたいと考えた。そして思い付いたのが鍋山だった。この山の知識は全く無かったが、以前からこの山だけを目指すのでは無く、他の山に登った序でに登ってみても良いのではと考えていた山だった。知識は無くともごく低山なので、取り付き易そうな山裾から適当に登って行けるのではと見ていた。東河内の福田集落に近づくと鍋山は間近となり、県道から鍋山の北に位置する山田集落への道が分かれた。その車道へと入り道が鍋山の北東へと回り込み出すと、鍋山の山裾に車道が行くとも付いているのが見えた。その車道へと下りることにした。そして適当に道そばの空き地に駐車した。そこは鍋山の西麓に当たるが、その空き地に立って西を見ると、棚田の続いている風景が見えた。棚田は田植え直後で水が張られており、いかにも日本の田舎と言った良い風景だった。さてどこから登り出すかだったが、山裾は集落が近いだけに、ぐるりとフェンスが張り巡らされていた。その中はすっかり植林地だった。間近のフェンスに扉が見えたので、それを通って登り出すことにした。扉には「開放厳禁(福田農会)」の札が付けられていた。管理者を示すものだろう。その扉の内に入って山頂方向を見上げたが、びっしりと山頂まで植林に覆われているようだった。その植林で薄暗くなった斜面を登り始めた。登ることに関してはきつい傾斜も無く、植林地とあって下生えも少なくけっこう気楽だった。植林の間を歩き易いままに登って行くと、山頂が近くなって松などの雑木が混じり出した。そして歩き始めてから20分も登れば、もう山上に出た。山上は植林と雑木の混合林が広がっていたが、そこに小径を見た。小径はどうやら北東側から続いているようで、道そばには参道と書かれた細い杭が点々と立っていた。その小径の先を見ると、ブロック積みの祠が見えた。少し大ぶりの祠で、扉を開けてみると神変大菩薩と馬頭観世音菩薩の二体の石仏が安置されていた。その前には真新しい花も添えられており、人の訪れの多いことを窺わせた。地元で大事にされているのだろう。石仏に挨拶した後、その祠の少し先にある最高点に立ってみた。そこもすっかり植林に囲まれており展望は無し。ところで四等三角点(点名・鍋山)が山頂近くにあるはずだったが、三角点の位置を示す白いプラスチック杭は祠の近くに見えるものの、そのそばに三角点は見えなかった。地表は松葉などの枯れ葉で覆われていたので、足探りで探すと、まず小さな岩が四つ現れた。そうなるとその間に三角点があるはずで、更に松葉を除けていくと、10センチほど下から漸く三角点が現れた。もうずいぶん以前から隠れていたようだった。山頂からの展望は期待出来ず、また三角点を確認出来たことでもあり、山頂を離れることにした。下山は参道をすんなり辿ることにする。松の木に囲まれた参道は始めは北東に向かっていたが、すぐに方向を北に変えるとやや急坂となった。そして5,6分も歩くと、もう車道に出た。そこはまだ中腹と言える位置だったが、一帯には瀟洒な家が点々と建っており、どうやら別荘地のようだった。その別荘地の奥詰めに下り着いたようだった。後は別荘地の車道を下って行くと、山田集落の外れに出た。そこから見える風景が良かった。北には新緑の山を背景に古びた集落があり、西は棚田の風景が広がって思わず写真に収めたくなる佇まいだった。その風景も一時間あまり山中にいただけなのだが、気温が上がったこともありはや薄モヤがかって見えていた。
(2006/9記)(2012/5改訂)(2022/3写真改訂) |