旧黒田庄町の白山を登ったのは1993年10月のこと。やはり妙見山と併せて登っていたので、通過途中のピークとなってしまい、どうも白山の印象は少なかった。その白山は兵庫100山に選ばれていたので、その良さをしっかり味わいたいと考えた。そこで白山を妙見山に向かう途中のピークとして登るのではなく、白山だけを目標にして登ることにした。そこで南面側にある二つの登山口を組み合わせて、周回で歩くことにした。
向かったのは2016年の4月下旬、うっすらとした青空の日だった。旧黒田庄町に入るとJR加古川線路に沿った車道を走った。岡交差点を過ぎた先で山裾を通る車道に入り、東へと向かって行くと「緑と水の郷秋谷」の標識が現れた。その標識の示す方向に入ると、すぐに広場に出た。そこが「緑と水の郷秋谷」の入口広場でトイレも作られていた。南に見える池は秋谷池で、その近くに駐車とした。白山への登山道(喜多秋谷コース)は広場の一角から始まっていた。準備を済ませて登山口に入る。少し暑さを感じたので温度計を見ると、既に25℃を越えており初夏と呼べそうな暑さだった。登山道はごく普通の里山道と言った感じで始まったが、少し登ると背後が見えるようになり、秋谷池が美しい佇まいを見せていた。木々が新緑色になっているのも良かった。その感じで登って行くものと思っていると、露岩地が現れた。それも尾根の一部でなく、少し登ると尾根全体が岩となって傾斜も緩くは無かった。その岩が足がかりが良く、けっこう楽しく登れた。露岩地とあって、足下に風景がどんどん広がってきた。その岩尾根は傾斜が緩んでも露岩地のまま今暫く続き、そしてごく易しい尾根道に変わった。北へと登っていたのだが、主脈に合流すると、東の方向に登るようになった。程なく主コースと言える前坂コースが左手から合流した。尾根ではミツバツツジを多く見たものの、少し萎みかげんになっていた。代わりにモチツツジやヤマツツジが花開こうとしていた。主脈を歩くようになってもときおり展望が現れて、南にどっりとした姿の三角点山が眺められた。足下に見える山肌の新緑がまぶしかった。前方に見えるのは南山で、次第に近づいてきた。その南山を越すものと思っていると、ピークを巻いて進むことになった。その主コースから分かれて南山に向かう小径が見えたので、南山をピストンすることにした。ごく短時間でピークに立つと、そこに四等三角点(点名・南山)を見た。また北東方向には白山の姿が眺められた。白山を見たことで南山に立った甲斐があったと思えた。引き返して主コース歩きを続けた。緩やかな道が続き、白山が近くなると右手から門柳コースが合流した。下山で歩く予定としているコースだった。程なく山頂への急坂が始まった。ロープを必要とするほどの傾斜でも無かったので、無理なく登って行けた。白山山頂へは主コースから分かれる形で西へと登った。分岐点から山頂まで僅かな距離だった。白山山頂はすっきりと開けており、山頂の雰囲気は悪くなかった。展望も良く、ここまで歩いてきたコースの歩き味と併せて、兵庫100山に選ばれるだけの良さがあると思えた。休む所としても適度な所で、南に広がる風景を楽しみながら昼休憩とした。涼しい風が快かった。ただ空を見ると、西から薄雲が広がろうとしていた。また風景も少しモヤがかっており、くすんだ色合いで眺められた。昼休憩を終えて、改めて周囲を眺めた。北には千ヶ峰を、東には尾根続きとなる妙見山が樹林の間から大きな姿を見せていた。一通り展望を楽しむと、下山に移った。下山は門柳コースを下るべく、急坂を引き返して門柳コースに入った。ここまで歩いてきた道と同様に易しく歩けるものと思っていたのだが、ちょっと荒れ気味のマイナーな登山道だった。登山道の一部は分かり難くなっており、目印テープを追うようにして下った。枯れ沢に下り着いた後は沢沿いを下るのだが、石ころが多いとあってけっこう歩き難かった。それも下るうちに次第に歩き易くなり、ようやく気楽に歩けるようになったと思えたときは、門柳集落が近かった。集落に出ると山際の車道を歩いて西の方向に向かった。「緑と水の郷秋谷」まではけっこう距離があり、途中には「黒田庄ふれあいスタジアム」があって大勢の人を見た。また道そばではボタン桜が満開になっていた。「緑と水の郷秋谷」に戻ってきたときは、門柳集落から30分ほどかかっていた。上空はすっかり曇り空に変わっていた。
(2016/5記)(2023/11写真改訂) |