兵庫県の北東の位置にあって、兵庫丹波と京都丹波を分ける尾根上にこの烏帽子山はある。この県境の山に登ろうと2004年12月半ばに向かった。姫路からだと大回りになるが、国道9号線を和田山町から山東町へと入り、国道427号線に折れた。そして遠阪トンネルを越して青垣町に入り、山垣集落を過ぎると北側に北近畿豊岡自動車道の高架工事現場が見えて来た。その向こうに見える尾根に烏帽子山があると思われた。そこで適当に国道を離れて北へと向かう車道に入ると、うまく工事中の高架の下を潜った。そしてその先で「いきものふれあいの里」に着いた。ここを起点に登る予定だったので、その駐車場に車を止めた。「いきものふれあい館」のそばから遊歩道が始まっており、その遊歩道で山頂に出来るだけ近づこうと考えていたので、その遊歩道を登り出した。この日の丹波の空は薄黒い雲が空を覆っていたが、厚みは無くときおり青空も現れて陽射しが洩れていた。丸太の階段道を登って山頂の真南辺りに来たところで、遊歩道を離れることにした。はっきりとした尾根は無く適当に斜面を登って行くのだが、一帯は疎らな雑木林で松の木が多かった。松葉を踏む感触が快かった。雑木に取り巻かれての登りのため展望は良くなかったが、樹間が空いているため登る分には気楽だった。次第に尾根がはっきりしてきて、それと共にアセビが増えてきた。アセビの小枝が煩わしく、少々歩き難さがあった。471mピークに着いて尾根は北西へと向きを変えた。暫くは緩やかな登りだったが、県境尾根が近づくと急坂になった。それも僅かな距離で、県境尾根に出るとまた緩やかになり、もう山頂は目前だった。この県境尾根に出てはっきりとした尾根道に出会った。それを辿ってこともなく山頂に着いた。山頂は細長く平らになっており、地肌が現れていた。石柱が立っており、そこが「烏帽子山古城跡」であることを示していた。なるほどこの平らになった山頂には長閑さがあり、いかにも城跡と言った雰囲気であった。ただその広さからしてあくまでも物見程度の城だったと思われた。そこに着いて漸く展望が現れた。東の方向のみだったが、間近に和久山が姿良く見えていた。そしてその右手の福知山市街はうっすらとした雲海の底に沈んでいた。山頂に着いたときに、いっとき晴れ間が広がって暖かさを感じたが、つかの間のことで、陽が隠されると寒々しい山頂に戻ってしまった。山頂に立った後は県境尾根を今少し西へと歩くことを考えていたのだが、反対に東へと歩いて梨木峠に下るのも悪く無いと思え、そちらに向かうことに決めた。尾根道があるので楽な尾根歩きだった。ただ尾根が北東方向と南東方向に分かれる所だけは注意を要した。南東方向へと向かい出すと、後は尾根なりに下るだけだったが、そちらに向かい出した辺りで尾根の展望が良くなった。南西から南にかけてが開けており、大箕山や岩屋山から東へと続く尾根がすっきりと見えていた。また少し位置を変えれば五台山辺りの尾根も見えており、本日一番の展望と言えた。昼どきになっており、その展望を眺めながらの昼食とした。この後は少し道が不確となったが予定通り梨木峠に下り着くと、そこではっきりとした小径に出会った。そして兵庫県側へと歩くと、僅かな距離で林道終点に合流した。そこは「いきものふれあいの里」遊歩道(ふれあいの道)の終点でもあったので、林道で戻らず「ふれあいの道」を歩いて戻ることにした。そして途中では展望休憩所にも回り道をして、のんびりと「いきものふれあい館」へと戻った。その「いきものふれあい館」を覗いてみたが、そこに展示されていたシダの種類の多さには、ただただ感心させられた。
(2005/1記)(2025/10写真改訂) |