吼子尾山は兵庫の難読山名の一つではと思えるが、その吼子尾山を意識したのは2023年4月に高砂峰を登ったときのことで、高砂峰も端正な山だったが、それと劣らず吼子尾山も青垣町塩久の里から端正な姿で眺められた。そこで吼子尾山をネットで調べてみると、南東麓の交流施設「ごりんかん」から手頃なコースのあることが分かった。向かったのは高砂峰登山から18日後の5月9日のこと。朝から兵庫全域で快晴の約束された日だった。この日は午後に用事があったため、午前で登山を終えようと移動は高速道を利用することにした。姫路の自宅を7時前に離れると、山陽道、播但道、豊岡道と走って青垣ICで高速道を降りた。そこから「ごりんかん」までは数kmの距離だった。「ごりんかん」に着くとその前は広場になっており、その片隅に終車とした。「ごりんかん」に駐車のことわりを言いたかったが、この日は無人のようだった。その「ごりんかん」の建物の右手に登山口があり、害獣除けゲートを通って登山道に入った。その登山口の標識を見ると、吼子尾山は「城の丸」と呼んでいるようだった。登山道はすぐに二手に分かれて、右手が尾根に向かうコースで、左手は大岩を巡ってから尾根に向かうコースだった。そこは大岩コースに入った。その大岩コースは単なる寄り道コースで、大岩の下を通るとすぐに尾根コースに合流することになった。尾根コースは易しい道で、傾斜のきつい所は少なかった。標識も点々と付いており、その標識も山頂を「城の丸」としていた。易しく歩けるのは良かったが、難点は植林地が多いことで新緑を見ることは少なかった。展望も大岩コースとの合流点の先で一度南の方向が開けただけで、ほぼ植林に切れ目は無かった。その少ない植林の切れ目から山頂が眺められることがあり、そこに展望台が建っているのを見た。どうやら山頂では展望を期待出来そうだった。中間点辺りまで登って来ると右手から胎蔵寺コースが合流した。その先も植林地の登りを続けていると、今度は西麓側にあるグリーンベルからのコースが合流した。その辺りから登る方向は北東となり尾根の傾斜が増してきた。周囲は植林地が続くため、このまま山頂まで展望は期待出来ないと思っていたところ、突然のように西の方向に展望が現れた。そこは元からの展望地ではなく斜面の崩壊によって出来た展望地で、そこに見えていたのは粟鹿山、岩屋山、大箕山と三つの著名山の並ぶ姿だった。もう山頂は近かった。山頂が目前になると尾根は急坂と言えるまでになり、そこを登りきって山頂に到着となった。大岩巡りの寄り道をしたが、それでも登山口から70分程度での到着だった。山頂は広い範囲で木が伐られているだけでなく展望台が建っているとあって、存分に展望を楽しめることになった。その展望台だが、いわゆる行政によって作られたものでなく手作り感たっぷりのもので、地元の有志が村おこしの一環で作ったのではと思われた。二層構造になっており、床板は少々危なっかしさがあったが構造としては十分な強度はあった。まだ作られてさほど年月が経っていないのではと思われた。その展望台から眺められたのは南東から南西方向にかけてで、足下には田植えの準備が出来た水田風景が広がっていた。東には木々に遮られながらも親不知が望めた。展望台を下りると展望台の下に置かれたベンチで休憩とした。展望台が作られたのは良いことだが、使用されているのが間伐材のようなので、長い期間耐えられる構造で無いことが少々心配された。山頂で30分ほどの休憩を過ごすと下山に移った。下山は往路を途中まで引き返し、胎蔵寺コースが分岐するとそちらに入った。その胎蔵寺コースはごりんかんコースと比べるとマイナー感がある道で、コース標識は無く少々歩き難さがあった。それでも道ははっきりしており、標識は無くとも無難に下って行けた。沢筋に出ると石垣を見るようになった。どうやら沢の左岸側は元は棚田になっていたのではと思われた。その辺りの登山道は石ころが多く、歩き難さが増していた。道としては緩やかになっており、程なく集落が見えてきた。二カ所の害獣除けゲートを抜けると胎蔵寺のそばを通った。もう県道109号線は近かった。車道に出ると、そこから「ごりんかん」までは5分ほどの距離だった。
(2023/6記) |