534mピークが「播磨山の地名を歩く」で淡路ヶ丸と呼ばれていることを知り、また淡路島が見えることからの名でもあると分かり、今一度訪れようと考えていた。ただ展望の悪い尾根との印象が強く、単に運動としての尾根歩きをしたいときでもと思っているうちに時間が過ぎていた。漸く二度目の山頂を踏むことにしたのは2006年1月になってからだった。15日の日曜日のことだったが、この日は午前は予定があり、午後になって身体が空いた。そこでひとときを近場の尾根散歩でもと考え、思い付いたのがこの淡路ヶ丸だった。山頂の様子も少し変わっているのではの期待もあった。今回は安富町側からとも考えたが、少し長く歩こうとすれば、どうしても宍粟市側からとなる。姫路の空はまずまずの晴れだったが、北の空は思わしくなかった。宍粟市に入ると山崎町の空は薄晴れから薄曇りと言った感じになっていた。前回と同じく、林道・名坂山崎線の起点にある空き地に駐車して歩き出した。この日は暖かく車から降りたときの気温は15℃近くあって、ちょっとした春の暖かさだった。それが山間へと入ると一気に冷えてきた。たちまち10℃を割ってきた。その山の様子が少し変わっているのに気が付いた。枝道として作業道が幾本も作られていることだった。どうやら2004年秋の台風で大量に出た倒木を切り出すためのように思われた。前回は尾根に出る手前で終わっていた林道は既に尾根まで続いており、更に町境尾根に沿って北へと延びていた。尾根から先の道は作業道と呼べそうな道だったが、その作業道が続くうちは作業道を歩くことにした。尾根を含めて一帯は植林地で、すっかり視界は閉ざされている。のんびりと歩くだけである。ただ山上に出て北風が吹きつけてきた。冷たい風で気温も7℃まで下がっていた。その作業道は尾根を宍粟市側に十メートルほど低い位置で続いていたのだが、524mピークに近づいた辺りで終点となった。その先も続きのように小径が続いており、524mピークの真南の位置まで来て不確かとなった。そこでまず524mピークに立つことにした。その辺りは、尾根側に害獣除けネットが張られていたが、そのネットにも緩んだ所があり、その隙間より中に入った。そこは前回登ったときは苗木だった植林がすっかり生長しており、5mを越すばかりになっていた。またその下草としてイバラがはびこっていた。少し雪も見られたが、溶け残っているだけで、まずは無いと言ってもよさそうだった。524mピークに立ってみたが、当然生長した植林により展望は無くなっていた。ただまだ枝打ちがされていないので、どんな風景が見えるのかと、適当な木に登ってみることにした。1本のヒノキに取り付いたところ、数メートルも登れば以前に見た展望を思い起こさせる広々とした風景を目にすることが出来た。薄晴れの空の下、長水山から水剣山、黒尾山と一望だった。その後は尾根筋を北へと向かった。尾根は植林地で続いており、薄暗い中をひたすら歩いて行った。始めは歩き易かったのだが、次第に倒木が目立ち始め少々煩わしくなって来た。麓の林道沿いと言い山上と言い、台風の爪痕は大きいようだった。展望の得られないままに淡路ヶ丸へ近づいた。そのピークに向かって急坂となる頃には辺りの木々は雑木林となっていた。ただ展望の悪さには変わり無し。その急坂登りで漸く体が温かくなって来た。そして二度目の淡路ヶ丸山頂に着いた。そこは中央の三角点一帯こそ空いていたが、その周囲は雑木林が取り囲んでおり以前と変わらぬ佇まいだった。じっとしているとたちまち体が冷えて来た。すぐに通過しようかとも考えたが、東面側の木々が少し空いているのを見て、淡路ヶ丸の名に相応しい展望が得られるかも知れないと探ってみることにした。安富町側へと下ったのだが、やはり少し下った程度では木々の切れ目は現れず、かろうじて木々の隙間から雪彦山の方向や明神山が眺められただけだった。気温も6℃まで下がっており、そこで尾根歩きは淡路ヶ丸までとして下山に向かうことにした。ただ淡路ヶ丸から宍粟市側の麓へと延びる尾根は無く、そこで今少し北へと歩き、北隣のピークから西へと向かう尾根を下ることにした。その尾根はそれまで歩いて来た町境尾根とは違って純然たる雑木の尾根だった。松の木が多く松葉が尾根に積もっていた。その踏み心地を楽しみながら下っていると、幹周り3メートル以上はありそうな松の巨木にも出会えた。尾根は緩やかで木立は空いており、植林地で多く見た風倒木も少なかった。落ち着きのある良い感じの尾根だった。ただこの尾根も麓が近づくと植林地が広がり、最後はやや急坂となって林道に下り着いた。その辺りの地名は「モモノキザコ」と記されており、名坂山崎線の通る谷より一つ北の谷だった。そこから駐車地点までは数分の距離だった。
(2006/1記)(2015/1改訂)(2022/8写真改訂) |