2004年6月に釜床山に登ったおり、生野町内でその釜床山をすっきり眺めようとしたが、間近過ぎるのかどうもすんなりと眺めることが出来なかった。そこで近くの山からでも眺めようとの思いを持つようになった。そして7月に入って暑さも厳しくなり、週末登山は手頃な山で済まそうと考えたとき、釜床山の見える山を登ることを思い付いた。そこで「但馬新井」の地図を眺めて見つけたのが、この点名・伊谷(標高560m)だった。
7月11日は快晴の予報だったが、但馬が近づくと上空は雲が増えてきた。弱い陽射しで薄晴れと言えそうな空だった。登山コースを決めずに向かっていたのだが、朝来町に入って適当にこの山の東面側に近づくと、何となく播但自動車道の側道に入ってしまった。そして朝来第2トンネルの北口そばで行き止まりとなった。ただそのそばのフェンスには扉があり、そこより山中に入って行けるようになっていた。また細流があり、それに沿って小径らしきものも見えていた。地図で現在地を確かめると、この近くの尾根で山頂に向かうのも悪くないと思えた。山頂までの距離が短過ぎる気もしたが、その側道終点より登り出すことにした。なお、その位置より南東を見ると、釜床山の山頂部がすっきりと見えていた。フェンスの扉には鍵が無く、すんなりと入って行けた。そして薄暗い細流沿いの小径を歩いて行った。その小径ははっきりしたものでは無く、すぐに消えてしまった。そこで南に見えていた尾根に上がることにした。小笹のまばらな斜面を登ると、ごく簡単に尾根上に出た。植林地の緩やかな尾根で、小さなこぶを越すと、後は山頂まで一気に登るだけだった。尾根にはハッキリとした道は無かったが、下草も少なく気楽な感じで登って行けた。ただこの日の湿度は高く、すぐ大汗になってしまった。尾根はやがて雑木が主体となり、明るい緑の風景に変わった。登り出したときは植林で終始するのかと考えていたが、けっこう垢抜けた風景だった。木の間越しにちらちらと釜床山も見えていた。山頂が近づくと急坂となって来たため、休み休み登って行った。木に掴まりながら急坂を登りきると、はっきりとした尾根に合流した。そこより一登りしたところが三等三角点(点名・伊谷)が置かれた山頂だった。少々雑然とした感じの山頂で、三角点もなかば草に隠されていた。周囲は雑木が取り囲んで展望も無かった。暑い最中に辿り着いた山頂だったが、ちょうど陽射しが山頂を照らしており、火照った体には厳しい暑さだった。まずは陽射しを避けて適当な所に落ち着きたかった。疲れた体で辺りを探ると、すぐに絶好の場所が見つかった。三角点の位置から南西へ20メートルほど離れただけで、涼しげな風が通っていたのである。適度な木陰となっており、すぐに倒れ込んでしまった。そして暫し死んだように眠っていた。体の火照りが冷めると、少し肌寒ささえ感じてきたので、気温を見ると22℃だった。この山上で快い涼しさに出会えるとは思っていなかっただけに、何とも得した気分だった。しかし季節がら嫌なものにも会ってしまった。手のひらに痛みを覚えて見てみると、そこに山ヒルが貼り付いていた。すぐ払い飛ばして他を見ると、ズボンの裾にもう一匹貼り付いていた。それでも気にせず、眠りの続きを楽しんだ。人心地がついたところで、この山頂からの展望を得ようと辺りを探った。南は全く樹林に阻まれていたが、北側の急斜面を少し降りると、西から北にかけてを木の間越しだったが、少し展望を得ることが出来た。西にはトンガリ山が、そして北の婆々山までが眺められた。ただ視界は水分を多く含んだ空気のために薄ぼんやりとして、眠たげな風景になっていた。下山は尾根を変えて下ることにした。まず南北に長い頂稜部を北に歩き出したのだが、少し歩くと展望が現れた。西の植林がまだ若く、その梢越しに生野高原方向が眺められた。その位置より東へと尾根を下り始めた。緩やかな尾根で、ひざ丈ほどの笹が広がり、雑木も疎らで歩き易い尾根だった。東方向に下るので、木の間越しだったが法道寺山から行者岳へと続く尾根がちらちらと見えていた。良い雰囲気で終始歩き易いままに下っていたのだが、中間点辺りより次第に笹丈が大きくなって来た。やがて胸丈ほどになり、また傾斜もきつくなって俄然歩き難くなった。我慢して下り続けるしかなかったが、やがて播但道が足下に見えてきて漸く一安心となった。そして側道の法面の上に出て、今日の登山は終わったと思ったとき、大変な災難に遭っていることに気がついた。ズボンにいっぱいひっつき虫が付いていたのである。その数は数百個はありそうだった。情けない気持ちで駐車地点へと戻って行った。
(2004/7記)(2025/9写真改訂) |