国道9号線は村岡町の市街地を過ぎて村岡トンネルを抜けると、県道香住村岡線が分かれるが、その先で春来トンネルが近づいて来る。その春来トンネルを抜けると、湯村温泉へと長い下り坂が始まる。春来トンネルが出来たのは30年ほど前のことで、それまでの国道9号線は少し北にある春来峠を越して春来集落を抜けていたそうである。その春来集落のことでは、いにしえは椿村と呼ばれていたそうだが、村人が冬の雪深さから春の待ち遠しい気持ちを込めて、いつしか春来と呼び変えるようになったとか。椿の字から春木ともじって、春来となったとも考えられる。その春来集落に立つと、北の方向のごく近いところにこんもりと盛り上がった山が眺められる。それが城ヶ山で標高は600mに近い山なのに春来集落の位置が標高400mはあるだけに、ごく小さな山にしか見えなかった。その城ヶ山がガイドブック「但馬ハイキング」に紹介されており、登山道も付いているようだった。そこで2006年6月中旬に城ヶ山を訪れることにした。
この日は姫路を離れるのが遅かったため、春来集落に着いたときは11時を回っていた。その空は晴れの予想に反して、どんよりと曇っていた。ただ高曇りのようで、高い山も雲に隠されてはいなかった。小さな集落なのでどこに車を止めようかと少し集落内で迷ったが、高台にあった春来小学校の前に駐車スペースを見たので、そこに駐車とした。それにしてもこの小さな集落に小学校があることは、小さな驚きだった。その高台からは城ヶ山がすっきり見えていたが、曇り空の下では少し暗い色合いで見えていた。坂道を下りて旧9号線に出ると、そこより北は更に低くなって、田畑や数件の家屋が見えていた。その中を車道が通っており、その道で城ヶ山に近づけるのではと思えた。そこで適当に集落内を抜けて、その車道へと下りて行った。車道に出ると田植えが終わったばかりの棚田を左手に見ながら城ヶ山へと近づいた。集落から離れると、その車道から城ヶ山への山道が分かれた。その入口には登山口の標識が立っており、山頂まで900mとあった。もうその登山道を登って行くだけだった。始めに竹ヤブのそばを通り、後は自然林の緩やかな尾根を登ることになった。曇り空とあって林の中は薄暗くなっていたが、気温は20℃までと低めで、登る分には楽だった。緩やかだった尾根も、中腹を過ぎるとやや急坂となって、ロープも張られていた。その急坂を登りきると、小さな広場のような所に出た。小ぶりな祠もあり、そのそばに立っていた案内板を見ると、そこは曲輪跡とあった。祠の中に祀られている地蔵尊は「清光院殿城山妙見大姉」と書かれていた。また山上にあった山城(春来城)の謂われが書かれていた。そこは草地となっており絶好の休憩場所だったが、山頂が近いように思えたので、先を急ぐことにした。もう急坂は無く緩やかな登りのまま数分で山頂に着いた。そこも城跡らしく平らになっており、中央に四等三角点を見た。但し木々が多くあって、展望は木々の間を通して北の山並みが覗くだけだった。やはり休憩場所は先ほどの曲輪跡が良さそうなので、すぐに引き返した。曲輪跡に戻ると、その一角にシートを敷いて暫く横になっていた。山上の気温は20℃を切っており、じっとしていると肌寒さを感じるほどだった。一段落したところで昼食とした。その曲輪跡からは展望もあり、南の方向が良く、大野山から大峰山へと続く尾根が間近に見えていた。そしてその麓には春来の集落が静かな佇まいを見せていた。展望は東の方向にも僅かにあり、そちらは蘇武岳から三川山へと続く尾根が梢越しに眺められた。その風景を眺めながら昼どきを過ごした。そして13時を回ったところで、往路を辿って春来集落へと戻って行った。
(2006/7記)(2022/2写真改訂) |