円山川の河口が近づくと、この来日岳が西岸間近にすっくと立つ姿が目立ってくる。標高は500メートル台ながら、どっしりと重量感のある姿は堂々としており、登高意欲のそそられる山である。その来日岳を「城崎」の地図だけを頼りに登ったのは1996年1月のことで、雪の積もる中での登山だったが、標高以上に登り応えがあって、良い山だと思ったものである。その来日岳も兵庫50山、兵庫100山と選ばれるようになって、ポピュラーな山に変わってきたようだった。その来日岳を再訪したいと考えたとき、登山ルートは前回と同じく登山道のある東側からとするものの、季節は変えようと考えた。それを実行したのは2011年の7月だった。
来日バス停を目指して行くと、バス停の隣に車7、8台分の駐車スペースがあった。何の標識も無かったが、バスの方向転換場所でも無いようなので、近くに登山口標識があることでもあり、そこに駐車とする。雲が空の八割ほどを占めるものの、青空も見えるので、まずは晴れと呼べそうな空だった。時間は10時になっており、気温は26℃ほどだったので、少し暑いかと思える程度だった。登山口標識に従って宮代川橋梁の下をくぐると、その先は野道のようになっており、それを歩いて行くと、すぐに登山口標識の前に出た。害獣避けゲートを通って登山道に入る。すぐに登り坂が始まった。周囲の木立は始めは植林が主体だったが、登るほどに雑木が増えてきた。木陰の中を登るようになって、気温は22℃まで下がってきたものの、湿度は高いようで、大汗をかきながらの登りだった。登るほどに登山道の傾斜が増してきたが、しっかり登る感があって悪くは無かった。また周囲の自然林の佇まいも感じが良かった。ただ展望は無かったが、それも登るうちに円山川対岸の尾根が眺められるようになった。また天望と名付けられた所に着くと、そこからも円山川を目にすることが出来た。その天望を過ぎて少し登った位置がピークになっており、「304mの頭」と名があった。その辺りはクマザサが鹿の食害に遭わずによく茂っていた。尾根は緩やかになり、小さなアップダウンを繰り返す。周囲は目に優しい自然林が続いており、尾根の雰囲気を楽しみながら歩いた。前方に来日岳の山頂が見えると、まだ見上げる位置だった。中間点を過ぎて少し歩いた位置より、また尾根の傾斜が増してきた。気温は夏としては低めながらも登り坂が続くため、再び大汗となって歩度がにぶってきた。ただ木陰の中が多いので、あまりばてる感じでは無かった。登るうちに道幅は広くなり、地表は落ち葉に覆われて、道は一段と優しい姿になってきた。足は疲れていても、その風景の優しさに気分としては楽しかった。坂が緩やかになって電波塔が見えてくると、その先が山頂だった。歩き始めてから一時間半だったので、夏としては普通に歩けたと言って良さそうだった。その山頂には電波塔が数基建っており、また車道が通じていたので少し無粋さがあったが、三角点付近は石仏も置かれて、少しは山頂らしさがあった。また展望があるのは良かった。見えるのは円山川流域で、この日の視界はかなり霞がかっていたが、穏やかな流れを見ることが出来た。またそれまであまり受けなかった風も山頂には吹いており、意外と涼しさがあった。上空は雲が広がっているため、直射光を受けないのもかえって助かった。山頂で軽く軽食をとると、木陰で暫し昼寝を楽しんだ。その休んでいる間に山頂に人が現れたが、どうやら車で来た人のようで、登山者の雰囲気では無かった。山頂ではずっと曇り空ばかりでも無く、休むうちに青空の広がることもあって、晴れたり曇ったりを繰り返していた。山頂で涼しさを十分に楽しんだ後、下山とする。その下山の前に山頂そばの展望台に立ち寄ると、円山川の河口風景が眺められた。下山はすんなりと登ってきたコースを引き返す。易しい登山道は下りではいっそうの易しさで、木立の佇まいを眺めながら、また蝉しぐれを聞きながら戻って行った。ほぼ曇り空の下だったので、あまり汗をかくことは無かったが、「304mの頭」を過ぎて下り坂にかかった頃より、木漏れ日が増えてきた。空を見上げると、青空が広がろうとしていた。その後は曇り空に戻ることは無く、青空は更に広がって、麓に下りてきたときはすっかり快晴の空になっていた。
真夏の来日岳登山はやはり厳しさがあったが、終わってみれば、登山道は十分な登り応えがあるだけでなく優しさもあり、また樹林帯の美しさも楽しめて、来日岳は良い山だったと十分に満足の思いを持つことが出来た。
(2011/8記)(2020/12改訂) |