真夏の丹波で熱中症になるのではと思うほど苦しんだのは、1994年7月の三尾山登山だった。それがトラウマとなっており、真夏の丹波はどうも敬遠したくなるのだが、2011年の夏は丹波で汗をかくのも悪くないと思えて、久々に夏の丹波を味わうことにした。それもまだ登っていない山でと考えて、柏原町のそばに立つ譲葉山を目指した。譲葉山をはっきり意識したのは2010年に金山から眺めたときで、優しげな響きの名前であるだけでなく、ゆったりとした姿に好感が持っていた。緑が濃さそうなのも、夏の登山に向いていそうだった。ただ暑い盛りでの登山なので、コースとしては易しい道を辿ろうと考えた。「柏原」の地図を見ると、山頂から南に向かって緩やかな尾根が延びており、柏原市街からアプローチ出来そうだった。そこで登路はその尾根と決めたが、取り付き点がすんなり見つかるかが心配だった。山頂に立ってからは尾根を北へと歩き、567mピークを越えた先の峠から破線路を下って柏原市街に戻って来ようと考えた。
向かったのは8月に入った最初の土曜日。この日の天気予報は午前は曇り、午後から晴れるとなっていたが、丹波の空はその通りに雲が広がっていた。県道86号線から国道176号線に合流すると、柏原市街は間近だった。その柏原市街の道に入ると、一帯は町並みの景観保全地区のようで、道路はカラー舗装になっており、ゆったりとした歩道と小ぎれいな町並みは好感が持てた。その車道の先は柏原高校で、そちらに近づくと、あっさり譲葉山の標識を見た。その標識は目的の尾根を指していたので、標識のままに登って行くことに決めた。後は車をどこに止めるかだったが、町の中心部へと車を進めると、八幡神社のそばが観光駐車場になっており、駐車もすんなりと出来ることになった。車を止めて外に出ると、むっとする空気に包まれた。天気予報では湿った空気が南から流れ込むと言っていたので、まさにその空気感だった。ただ気温は30℃になっておらず、曇り空とあって直射光を受けないのは助かった。町の中を通り、柏原高校の前から標識に従って、南の方向へと歩く。標識は譲葉山の名と観音堂が並べて書かれていた。最初は住宅地を歩き、住宅の先で害獣避けゲートを通ると、小さな沢沿いの小径を歩いた。その先は枝道へと入るので、標識があってこそ登山道に入れるコースと思えた。鉄の小橋を渡ると登山道となり、植林地の中へと入った。すぐに大安寺6号古墳が現れ、その先が観音堂だった。そこを過ぎて登山道のままに歩いて行くが、終始植林が続いて、薄暗い中の登山だった。気温は25℃まで下がってきたが、風は無く、ひたすら蒸し暑かった。地図を見たとき、道が有るとすれば尾根に付いているものと思っていたのだが、登山道は尾根を少し北に離れて付いていた。尾根が緩やかだけに登山道も緩やかで、それがつづら道にもなっているので、いっそうの緩やかさだった。それにしても植林がずっと続くので、少々退屈を感じながら歩いた。その様子が変わったのは登山道が尾根に出たときで、そこは十字路になっていた。そこに立っていた標識を見ると、尾根の道は南西麓の崇広小学校から続いていたようで、尾根コースもあったようである。周囲の木立は雑木林となって明るくなった。尾根道を歩くようになっても尾根の緩やかさは変わらず、無理のない登りだった。ただ展望が無いので、少しは欲しいと思っていると、一度岩場が現れて、そこからは北の方向に少し視界が開けて、清水山の尾根が眺められた。またその先では南から西へと広く開けた所が現れて、白髪岳、妙見山、篠ヶ峰などが眺められた。上空は朝よりも青空が増えており、天気は確実に良くなっているようだった。尾根歩きを続ける。また展望は無くなったが、尾根はいっそうの緩やかさで、歩き易かった。ただずっと汗をかきどおしで、徐々に歩度は鈍ってきた。蒸し暑さにばて気味になったようだった。山頂が近づいて、一度開けた所に出た。反射板が建っていた跡地で、展望所と標識があったが、それは以前のことのようで、今は木立がすっかり視界を塞いでいた。そこを過ぎると植林地に入った。その植林地のど真ん中と言った感じの所が山頂だった。平らな山頂はすっかり植林に占められて、その真ん中に譲葉神社がぽつんと建っていた。とにかく体がだるくなっていたので、さっそく寝ころんで休んだが、植林地とあって木陰に不自由しなかった。そして木立の中を涼しい風が通っていた。夏場の山頂で涼しさを味わえるのはうれしいことで、軽く昼食を済ませると、後はただ横になって昼寝を楽しんだ。寝ていたのは一時間ほど。元気になったところで、北へと尾根歩きを始めた。昼となっても木陰の多い尾根は気温は25℃のままで、また弱い風もあって、午前の尾根歩きよりも楽に思えた。優しさのある尾根道は「分水界の径」と名が付いており、ポイントごとに標識が立っていた。次のピークには三等三角点があり、点名と同じ権現山の名が付いていた。その先の峠は棚原峠だった。尾根は整備されて歩き易いものの、展望は恵まれなかった。木立の隙間から西に三嶽が見える程度だった。もう尾根の雰囲気を楽しむのみだった。尾根の先に567mピークの見えることがあったが、その567mピークへ回り込むようにして近づいた。小さなピークを越しながら標高を470mまで下げたので、567mピークへの登りは少々長く感じられた。漸く着いた567mピークには梅堺(うめのきょう)の名が付いていた。最後は急坂になっていたので、蒸し暑さもあって倒れ込むようにして山頂に寝ころんだ。そしてここでも昼寝とした。20分ほど寝ると人心地もついたので、起きあがって下山モードに入った。ずっと下り坂になり、野村峠に出た。地図にはそこより西の谷には破線の道が描かれている。地図に描かれるぐらいだから適度な道ではと思っていたのだが、実際は薄暗い植林地のはっきりしない道だった。目印があるので下って行ける感じだった。沢沿いを歩き出すと石がごろごろしていたり急坂があったりと、けっこうワイルドになった。周囲の風景も植林が多いためか、雰囲気としてもマイナーだった。ただ悪路ながらも目印はずっと付いており、それを追うだけなので、ただ歩き難いだけと言えた。道は下るうちに少し歩き易くなった程度で、特に変化も無く続き、中腹辺りで林道に合流した。そこは林道の終点になっており、もう後はそのダートの林道を下って行けばよいだけだった。下るうちに前方が開けてきたが、もうすっかり快晴の空になっており、視界も十分過ぎるほどに澄んでいた。麓に下りると最後に害獣避けゲートがあり、それを通って民家に近づいた。真夏の陽射しを一気に受けるようになり、気温も30℃を越えてきた。民家の中を抜けて行くと、自然と柏原高校の前に出たので、後は駐車地点へともう知った道を歩いて行くだけだった。
(2011/8記)(2021/6改訂) |