丹生山系を丹生山から金剛童子山まで歩くとなると電車とバスを利用することになるが、車を利用してとなると一部の山に絞ってとなる。2015年10月の最終日はその丹生山系に向かったが、稚子ヶ墓山と花折山に絞ってだった。阪神高速7号北神戸線を箕谷で降りると、国道428号線を走った。丹生山系を越えると双坂池が右手に現れるはずだったが、木立のために見過ごしたようで岩谷峠の近くまで走ってしまった。引き返して双坂池に近づくと、左手に数台分の駐車スペースを見たのでそこに駐車とした。そこにあったガードレールには小さな文字で稚子ヶ墓山と書かれていた。その先には小径が始まっていたので、それを歩いて行くことにした。すぐに右手に双坂池が現れると、小径は池の縁を巡るようになった。程なく左手に稚子ヶ墓山の登山口が現れた。そこからは山道を登って行くが、適度な歩き易さだと思っていると、次第に石ころがごろごろとしてきて、少々歩き難くなった。ただ急坂でもないので、歩き易い所を選ぶようにして登った。石ころ道はすぐには終わらなかったが、石ころが少なくなると坂の傾斜は緩んできた。小さなピークを巻いたりして緩やかな道を暫く歩くと、少し傾斜が増して来た。そこを過ぎて少し進んだ所が稚子ヶ墓山の山頂だった。そこには大きな山名標識が立っていたものの、周囲は樹林が囲んでおり展望は無かった。少し足を止めただけで先へと足を進めると、山頂とあまり変わらぬ高さの所に標柱が建っていた。「稚子墓山伝説遺跡」と書かれており、そのそばが展望地だった。展望は南に向かってのもので、展望の中央に淡路島が大きく見えていた。左手には須磨アルプスが、右手には雄岡山、雌岡山も見えていた。もう正午が近くなっていたので、その展望を見ながら昼休憩とした。休憩を済ませると、花折山を目指して登山道のままに東へと歩いた。地図の上では登山道は尾根筋に付いていなかったため分かり難いように見えたが、実際は標識が的確にあり道もはっきりしていたため、迷うことなく歩いて行けた。コースが途中で沢筋に沿うようになると、また歩き難くなった。沢筋は石がごろごろしているだけでなく、ときに枯れ沢を歩くこともあった。その沢筋を肘曲りと呼ばれる所で離れて北の方向に登り出すと、そちらも石ころ道で、相変わらずの歩き難さだった。石ころ道は長く続いたが、ようやく終わるとほぼ平坦な道を歩くようになって一気に歩き易くなった。そしてコースが二手に分かれたとき、左手の道に入った。そちらも緩やかな道で、途中で抉れた所やまた石のごろごろした所が現れたが、肘曲りから30分ほど歩いたとき舗装路に合流した。そのとき地図を確かめておけばよかったのだが、何気に車道を歩いてしまった。その道がゴルフ場への道と分かりコースを誤ったことに気付いたが、少し離れた位置から花折山が見えればとの気持ちが起きて、上り坂の車道を今少し歩いた。すると右手に広場になった所が現れた。無線塔が建っており、貯水池かと思われるプールのような水槽もあった。そこは展望もあって、期待通りにすっきりと花折山が眺められた。その展望に満足して歩いてきた車道を引き返した。登山道との合流点まで戻ると、花折山の方向にはちゃんと標識が付いていた。車道に出ずに90度折れ曲がるようにして南西へと向かうのが正しかったようだった。花折山への道は植林地を登ることになった。薄暗い道を辿ると、車道の位置から10分とかからず山頂到着となった。そこは狭い範囲で開けていたが、展望が良いとは言えなかった。南の方向に淡路島がちらりと見える程度だった。これで二つの山を登る目的を達したので、後は下山へと向かうだけだった。花折山には二つの登山道があり、登ってきた北東方向からの道の他にも北西へと向かえる道もあった。そちらの道を歩いて往路コースに合流することにした。その方向に小径が見えたのでそれを辿ったところ、すぐに道は不確かになってしまった。それでもそのうちに道ははっきりするのではと思って下りを続けたものの、はっきりとした道は現れなかった。これはコースが違うと一度山頂に戻って改めて探ったところ、何のことはない、登ってきた北東からのコースに入ってすぐの所から北西へのコースが分岐していた。その北西に向かうコースははっきりとした登山道で、何の問題もなく下って行けた。そして10分ほどで往路で歩いた道に合流した。後は往路コースを戻るだけだった。再び石ころ道を下り、沢沿いに入ってそちらも石ころ道を登るので、稚子ヶ墓山の展望地に戻ってきたときは、十分に足は疲れていた。その展望地から見える南の風景は午後の光を受けており、瀬戸の海は逆行に光っていた。稚子ヶ墓山の山頂を越すと後は下る一方で、ようやく下山の気分となった。足の下りるままにゆっくりと下った。駐車地点に戻ってきたときは16時が近くなっており、スタートしてから5時間が経っていた。次は金剛童子山を中心に歩いてみたいと思いながら帰路についた。
(2015/11記)(2020/9改訂) |