淡路島の山を考えたとき、まずは最高峰を目指すのが自然な考えで、この諭鶴羽山を淡路島最初の山として訪れたのは1994年2月のことだった。そしてそのコースとしては旅情の感じられるコースとして海側の黒岩からの登山道を登った。なるほど始めは背後に紀伊水道の風景が広がり、足元には沼島も眺められて南淡の山を登っている雰囲気があって悪くなかったが、その後は展望は無く、山頂も電波塔が多くあって雑然とした印象だった。その諭鶴羽山の印象も10年も経てば薄れるもので、沼島が見えていた風景だけが印象強く残っており、再訪も悪く無いと思えてきた。
2008年11月最後の週末を淡路島のハイキングで過ごそうと計画を立てたとき、最初に兜布丸山(かぶとやま)を登ろうとすんなり決めたが、せっかく行くのだから一泊をして土日とも山で過ごそうと考えた。そして二日目は諭鶴羽山の再訪を思いついた。北側にある諭鶴羽ダムからの裏参道コースが一番歩かれているようで、その登山道ではまた違った印象を受けるのではと期待した。初日の29日は晴れてはいたものの、午後にはいっとき小雨も降る変化のある天気だったが、30日の日曜日は朝から快晴の空が広がっていた。但し強い北西風が吹いており、十分に冬の冷たさがあった。福良港に近い宿を出たのは7時半過ぎ。8時には諭鶴羽湖畔の駐車場に着いていた。他に数台の車が止まっていたが、いずれも諭鶴羽湖での釣りが目的のようだった。諭鶴羽湖はダム湖。そのダム湖の水面が朝日で光っているのを眺めながらダム上を南側へと渡ると、そこに登山口があり階段で始まっていた。階段はすぐに終わり、植林地の中を登るようになった。この植林が長く続くのではと思っているとそのようなことは無く、牛内ダム湖からのコースと合流して尾根を歩くようになると、周囲は自然林に変わっていた。そして神倉神社の前を過ぎる頃には穏やかな落ち着いた登山道になっていた。木々は南淡の地らしく常緑樹が多く、色づいた木は少なかった。その常緑樹も枯れ葉を落とすので、その枯れ葉が地表を覆っていた。そして程よい道幅で緩やかに続いている。道の途中でこの道が近畿自然歩道になっていることを知ったが、納得出来る感じの良さだった。全くのハイキング気分で歩いて行く。丁石があり道標も適度に立っていた。朝の光が射す所では木々が明るく、歩いているのが楽しかった。尾根が馬ノ背のようになっている所があり、そこを過ぎていま少し登ると諭鶴羽中継局の前に出た。ずっとゆっくり歩いていたのだが、ここまでで1時間だった。そしてその先はコンクリート舗装になっており、数分で一等三角点のある山頂に着いた。なんとも気楽なハイキングだった。山頂は広く平らになっており、一隅に小さな祠が二つ並んでおり、対極に展望台が建っていた。その山頂を陽射しが明るく照らしていた。ここでのんびり休憩と言いたかったが、風が強かった。しかも冷たく身にしみる風だった。それを我慢しながら展望台に上がった。周囲の木々が茂ってさほど展望は良いとは言えなかったが、北西方向に広がる三原平野が一望だった。その先に鳴門大橋が見えており、四国の山並みもくっきり見えていた。南の方向には紀伊水道が逆光で光っている。展望台を降りた後は、登山道をいま少し先へと、南の方向に歩いてみる。そこに巨大な電波塔が現れたが、これが遠くから山座同定の目印になる電波塔で、NTTの諭鶴羽無線中継所だった。そこは風が当たらず、陽射しは程良い暖かさだった。一帯には前日の兜布丸山でも多く見かけたナルトサワギクが黄色い花を咲かせており、足元は紀伊水道の海が広がっていた。そして北には柏原山を中心とした山並みが一望だった。その電波塔の前まで車道が来ていたが、一般車が通れるかは分からない。その先にもう一つ電波塔があり、そこにも立ち寄ると、ちらりと沼島が見えていた。この諭鶴羽山の山頂では沼島を見たい希望があったので、今少し良く見ようと手頃な木に登ると、「く」の字の形で沼島を何とか眺めることが出来た。こうして山頂一帯を歩き回ると、諭鶴羽山の淡路での位置がよく分かると共に、前回よりも好印象を持つことが出来たようだった。それは朝早い時間帯に登っての静けさの中であり、空気感であったこともそれを強くしていた。山頂に戻ると次の登山者が風を避けるように、三角点そばの台座の陰で休んでいた。それを横目に下山とする。下山は登ってきたコースを引き返す。朝よりも登山道を陽射しが照らすようになっており、明るい登山道になっていた。そしてときおり登山者とすれ違った。グループもあったので、昼にはけっこう賑わう山頂になりそうだった。そして下りとなっていっそう気楽な道となった近畿自然歩道を戻りながら、この裏参道コースは淡路の山の中では、一級の雰囲気と歩き易さを持った登山道だと思わされた。
(2008/12記)(2019/2写真改訂) |