TAJIHM の 兵庫の山めぐり <南但馬 
 
古城山    こじょうざん 609m 朝来市
太盛山      たいせいやま 605.5m
釜床山      かまとこやま 648.7m
 
1/2.5万地図 : 但馬新井
 
【2014年6月】 2014-55(TAJI&HM)
   《古城山》 生野マインホールのそばより  2014 / 6

 生野の中心部の背後で、丸い山容を見せているのが古城山だが、その名の通りに山上には生野城跡があり、麓から登山道が通じている。その古城山に続くのが太盛山で、こちらは古くから鉱山だったために、山肌は大きく削られている。その向かい合う二山を登ろうと考えたところ、どうも二山だけでは短いハイキングになってしまいそうに思えた。それなら少し離れているが、尾根続きとなる釜床山まで足を延ばせばどうだろうと地図を見たとき、適度なハイキングとなるのではと思えた。
 それを実行したのは2014年6月の第2土曜日のこと。播州南部は晴れていたが、北に向かうにつれて雲が増えてきた。生野の中心部に入ると、生野小学校の前が観光駐車場になっていた。下山では国道429号線を歩いて戻ってくる予定だったので、その観光駐車場を起点とすることにした。スタートすると、まずは家並みを抜けて古城山に近づいた。「びわの丸公園」への案内標識が点々とあり、それに従って歩くと10分で公園に着いた。その入口にも駐車場があったので、古城山のみが目的なら、そこに駐車するのが良さそうだった。公園にはアスレチックの施設があり、そのそばを展望台への階段が続いていた。その階段を登っていると足下に展望が開けて、生野の町並みとその背後の尾根が眺められるようになった。そして展望台に着く手前で、古城山への登山道が始まっていた。先に展望台に立ってみたところ、意外や樹木が視界を遮っており、途中で見た展望の方がずっと良かった。すぐに引き返して古城山への小径に入った。小径は古から山上に通じていた道のようで、つづら折れで続いていた。終始緩やかなため、ごくのんびりと登って行けた。展望台から歩くこと12分で「びわの丸」に着いた。そこは広く平らになっており、展望もあった。そのびわの丸を抜けると、またつづら折れで登山道は続いた。樹林帯を抜けると、草がいっぱい茂った風景が見えてきた。山上の城跡が近づいたようで、最初に着いたのが三の曲輪だった。そこは一面タケニグサだらけだった。どうやら以前はササが茂っていたと思われるが、そのササは鹿の食害に遭って消え、替わりに鹿の忌避植物が繁茂したのではと思われた。そこより少し進んだ所が二の曲輪で、そこはタケニグサだけでなくイワヒメワラビも繁茂していた。その二の曲輪の一角が一段高くなっており、そこが主郭と呼ばれる所で古城山の山頂だった。山頂からは展望があり、びわの丸公園から見るよりも一段と広く生野の町並みとその背後の尾根、そして西の山並みが眺められた。その景色を見て、かつての生野城が要害の地に建っていたことが良く分かった。まだ11時だったので、古城山では昼休憩とせず、太盛山に向かうことにした。山頂から北東へと尾根なりに進むと、山肌が大きく削られた所に出た。採石のために削られたもので、足下はほぼ垂直に切れ立っていた。けっこう危なっかしいため、出来るだけそのそばに近寄らないようにして歩いた。進むうちに崖から離れたので、易しく歩けるようになった。太盛山へは、主稜線を離れてごく緩やかな支尾根を歩くことになった。古城山から太盛山までは20分少々だった。太盛山の山頂は樹林に囲まれていたが、最高点のそばは木々が無く広場のようになっていた。その広場に三角点を見た。持っていた地図には載っていない四等三角点で、後で調べると点名は古城山だった。2009年に設置されていた。この太盛山で昼休憩とした。木陰は涼しく、良い感じで昼どきを過ごすことが出来た。そして昼食後は展望を楽しんだ。東には金ヶ瀬山や法道寺山など銀山湖を囲む山並みが眺められた。生野ダムもちらりと見えていた。西を見ると、足下は採石場の風景で、そこを挟んで古城山が対峙していた。この太盛山からは尾根なりに北へと歩いたが、これがけっこう歩き易い尾根で、すっかり森林浴の雰囲気だった。但し展望は悪かった。その歩き易いままに釜床山に近づければと思っていると、途中で灌木の茂る所が現れて、そこは多少煩わしさを感じながら歩いた。釜床山が近づいて、標高で500mの鞍部を過ぎると、送電線が頭上を横切った。その先辺りから再び尾根は歩き易くなった。プラ階段を登るようになって、尾根道は巡視路の様相を見せていた。そのプラ階段は途中までで、その先はこれから作ろうとしている状態だった。それでも登り易さに変わりなく、ゆったりと登れた。そして太盛山を離れてから1時間以上かかって釜床山に到着した。10年ぶりの釜床山だったが、相変わらず周囲は雑木に囲まれており、展望の無い山頂だった。すぐに引き返すことにした。後は下山だったが、下山は新町に通じるコースを下る予定だった。そのつもりで引き返し始めたところ、なぜか違う小径に入ってしまった。その小径には点々と石仏が置かれており、四国八十八カ所巡りが出来るようになっていた。往路の尾根コースよりも少し離れたコースだった。方向としてはあまり変わらないので、そのまま歩いていると、自然と往路コースに合流した。合流すると言うよりも交差して東の方向に続いていた。その道の様子から麓に下りられるように思えたので、往路コースに入らずそのまま東に向かった。相変わらず石仏が道そばに置かれていた。その小径だが、どうもなかなか下り坂とならず、山肌をトラバースするように南に向かうようになった。途中でそのまま歩くのもどうかとの思いも出てきて、一つの谷筋を越えるときにその谷筋に沿って下ることにした。その谷筋に入ったのは結果的には失敗だったようで、途中から幾つも倒木が行く手を塞ぎだした上に山ヒルまで見るようになった。たまらず谷筋を離れて左手の尾根に上がった。尾根に出ると後はスムーズに歩けたので、最初から尾根を歩いておけばと思った。麓が近づくと水路が現れて、それを越すと市川のそばに出た。市川の川幅は広く、橋でないと渡れないので、市川に沿って下流側へと歩いた。暫く歩くと数軒の民家が建つ所に出た。竹原野地区の一角で、向イ田橋を渡って国道429号線に出た。近くにあったバス停は緑ヶ丘だった。もう後は国道沿いを歩いて戻るだけだったが、そこからが長かった。国道429号線を暫く歩くと小野地区の住宅地が現れた。国道を離れて住宅地の道を歩いたが、小野大橋を渡ると再び国道に合流することになった。但し国道は横切って、奥銀谷と新町の二つの街区を貫く細い道を歩いた。国道とは少し離れて静かに歩けたのは良かったのだが、新町が終わるとまた国道に合流することになった。山裾と市川の間は狭く、暫くは国道沿いの歩道を歩くしかなかった。三菱マテリアルのそばを抜けると漸く口銀谷地区が近づいて、ゴールの観光駐車場に戻ってきたときは、緑ヶ丘バス停の位置から1時間が経っていた。
(2014/9記)(2020/12改訂)(2023/1写真改訂)
<登山日> 2014年6月14日 9:58観光駐車場スタート/10:08びわの丸公園/10:27びわの丸/10:51〜11:06古城山/11:28〜12:27太盛山/13:40釜床山/14:26登山道を離れる/15:01国道429号線に出る/16:00エンド。
(天気) 雲が多いながらも、青空も空の半分ほどを占めていた。登るほどに雲は増えて、太盛山ではほぼ曇り空に変わっていた。それでもときおり青空が現れた。山上の気温は22℃ほど。湿っぽい空気ながら、木陰は涼しかった。風はほとんど無し。視界は少しうっすらとしていた。
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観光駐車場に車を止めると、「びわの丸公園」を目指して歩き始めた 駐車場のそばに立っていた生野町広域案内板には、古城山と太盛山の並ぶ姿が描かれていた  但陽会館の前を通った
「びわの丸公園」の標識が点々とあって、それに従って近づいた びわの丸公園に着いた そこに立っていた銅像には
「びわの丸健康公園」と書かれていた
公園にはアスレチック遊具があり、早速パートナーが遊びだした

(←)
遊具設備の上部ま
で来ると、南に向
かって広く展望が
開けた

 (→)
  更に上へと階段は
  続く
公園の最上部に着くと展望台が建っていた 足下に生野の街並みが広がっていたが、広い範囲では眺められなかった 古城山への登り口は展望台の手前から始まっていた 少し戻って登山道に入った
登山道は緩やかな道として始まった つづら折れの道を登るようになった 中間地点の「びわの丸」に着いた
びわの丸からも生野の町が眺められた びわの丸を離れて山頂方向に向かう また登り口の標識が現れた

またつづら折れの
道となって古城山
の山頂に近づいた

易しい道で歩いて
行けた
三の曲輪が見えてきた すっかり草地になって
いた
二の曲輪に着くと、そこはすっかりタケニグサに占められていた
二の曲輪の先で一段高くなっている所が古城山の山頂だった 山頂(主郭)に立って、その佇まいを眺めた
古城山の山頂から展望を楽しんだ 広く南の方向が眺められた ここに来て高畑山も望まれた
足下の生野の町並みを大きく見る 高畑山の方向を少し大きく見る 八幡山を大きく見る

山頂(主郭)から
二の曲輪を見る

左の写真に写る達
磨ヶ峰を大きく見


(←)
古城山を離れて太
盛山に向かった

 (→)
  太盛山が見えてく
  ると、その西面は
  採掘で大きく削ら
  れていた
足下も断崖になっており、足がすくむ思いだった 採掘跡に3匹の鹿を見た パートナーが恐る恐る崖の縁を歩いている
太盛山に近づいて行く 主コースを離れて太盛山への尾根に入った 樹林の切れ目から高畑山が眺められた

緩やかな尾根道
として山頂に近
づいた

山頂が間近にな
った 樹林が目
に優しかった
太盛山の山頂に着いた 最高点のそばが広場のように開けていた 広場の方に四等三角点(点名・古城山)を見た
山頂の樹林を出て西に少し下ると、古城山の方向が広く眺められた 古城山の東面も採掘で削られていた

上の写真に写る生
野高原の方向を大
きく見る

山頂の木々の中に
ホウノキの実を見

(←)
東の方向を見ると
法道寺山と金香瀬
山が眺められた

 (→)
  法道寺山の右手前
  にちらりと生野ダ
  ムが見えていた

(←)
立つ位置を変える
と法道寺山の左手
に釜床山が見えて
いた

 (→)
  香瀬山をすっきり
  と眺める
太盛山を離れて主コースに戻った 前方にこれから向かう釜床山を見ることがあった 左の写真に写る釜床山を大きく見る
易しい尾根歩きが続く すっかり森林浴だった ヤマボウシが満開だった
次第に釜床山が近づいてきた 青いキノコを見かけた 尾根道は途中か少しヤブっぽくなってきた
尾根は植林地になることもあった 遠くに見えていた送電塔を間近に見るようになった 釜床山手前の鞍部に着くと、小径が交差していた
釜床山への登りにかかると、また雰囲気が良くなった 巡視路の階段道を登るようになった 曇り空からときおり陽射しが漏れてきた
(←)
釜床山の山頂が近
づくと、階段道は
終わってしまった

 (→)
  釜床山の山頂に着
  いた 相変わらず
  展望の無い山頂だ
  った

(←)
山頂の三等三角点
(点名・釜床山)
を見る

 (→)
  別の角度から釜床
  山の山頂を眺めた
すぐに山頂を離れて尾根道を引き返した 往路で見なかった石仏を見かけた 道の様子も往路の道とは違っていた 何度か石仏を見ることで、別のコースを歩いていることがはっきりした

往路の尾根道とは
さほど離れていな
かった そのまま
歩いて行くと尾根
道と交差すること
になった 尾根道
に入らず小径を歩
き続けた

尾根道との交差後
も石仏は点々と現
れた
周囲はすっかり植林地だった 麓に向かうものと思っていたのに、ずっとトラバース道として続いた 小径が沢を横切る位置に来たとき、小径を離れて沢沿いを下ることにした
順調に下っていたが、途中から倒木が行く手を阻むようになった 倒木を越すのが面倒になり、左手の斜面を登って尾根に出ることにした 尾根に出ると、けっこうスムーズに下って行けた
麓が近づいたとき、水路が尾根を横切っていた その水路を越えて尾根を下ることにした 最後に市川の畔に出た 川幅があり、深そうだったので徒渉は無理だった 川幅から徒渉は無理とみて、川沿いを南へと歩いた
害獣避けゲートが現れて、それを越した 行く手に民家が見えてきた イ田橋を渡って市川の右岸側に出ることにした
国道429号線に出ると、そこは緑ヶ丘バス停の近くだった 登っていた尾根の方向を見る 国道429号線沿いの歩道を生野の町を目指して歩いて行った 国道を離れて小野地区を抜けると、小野大橋を渡ることになった
再び国道429号線に合流したが、国道に入らず国道を横切って奥銀谷の住宅地に入った 奥銀谷から新町へと入る ずっと静かな住宅地が続いた 住宅地が終わると国道429号線に合流して、市川沿いを歩いた
三菱マテリアルの工場地区が終わると、漸く口銀谷地区に入った 市街地へと入った 観光駐車場が見えてきた 国道に出てから1時間が経っていた