釜床山の山頂を今一度訪れたいと、二度目の訪問は初登山から6年後の2004年6月のことだった。この日も快晴で、午前は生野ダムの東方に位置する三国岳を訪れていた。そして午後の山として釜床山へ向かったものである。往路コースは一度歩いてみたいと考えていた生野町の市街地側からとした。車は新町の外れにある小野(この)大橋を渡ると、生野銀山に向かえる車道に入って程なく現れた空き地に駐車とした。地図にある破線路を目指して新町の家並みへ入り、奥銀谷(おくがなや)小学校の東の脇を山中の方向に進んだ。すると寺町地蔵尊の前に出た。そこより北西方向へ天満宮に向かって石段が始まっていたが、地図の破線路と思える山道も北方向に始まっていた。その山道を進んで行った。道は十分な幅があり、緩やかに続いていた。そして点々と石仏が置かれていた。頭の無い石仏の多いことが気になったが、この道が古くから歩かれてきたことを頷かされた。やがて周囲は植林が多くなり、道が少し分かり難くなってきたが、迷うほどでは無かった。道は緩やかな上り坂で続き、なかなか高度を上げていかなかった。そして標高も500mを過ぎて漸く植林帯を抜けて尾根に出た。そして急坂のつづら道が始まった。始めこそ周囲が少しは見えていたが、すぐに樹林に包まれた。ただ今度は自然林とあって雰囲気は悪くなかった。その雰囲気のまま小ピークに登り着くと、そこは山頂では無く、今少し北へと辿って山頂に着いた。前回は少しは展望があったと記憶していた山頂だったが、樹木が生長したのか全く展望の無い山頂だった。ただ新緑の季節とあって、この日の自然林の佇まいは素晴らしかった。どの木も陽射しを受けて新緑の葉がきらきらと輝いており、その美しさは目映いばかりだった。そして涼しげな風が終始吹いていた。思わず何も考えず、小笹が疎らに生える地面に寝そべってしまった。そして上を見上げて、ひたすら美しい新緑を眺めていた。それでも暫く経つと、少しは周囲を眺めたいと、辺りを少々うろついてみた。しかし満足な展望は得られず、西の急斜面を下ってみたときに、樹間を通して生野高原方向を僅かに眺めるにとどまった。まずは山頂でひたすら休んでひとときを過ごした。この後は尾根を北へと辿り、前回に歩いたコースで生野ダム近くに降りることも考えたが、その後の車道歩きをしたくなく、結局は生野市街へと、往路と同じ道を戻った。
(2004/7記)(2013/11改訂)(2022/3写真改訂) |