TAJIHM の 兵庫の山めぐり <中播磨 
 
禿の行者山 649.8m 姫路市
かむろ
1/2.5万地図 : 寺前
 
【2023年10月】 No.3 2023-187(TAJI)
 
    南東尾根の展望地より  2023 / 10

 夢前町佐中は奥まった集落で、その辺りを地図で見ると、階段記号が目立つ尾根があった。尾根も歩き易そうに思えて、その先の三角点ピークまで歩こうと初めて向かったのは1995年6月のことだった。その650mピークが近づいたとき、突然のように現れた石像には少々驚かされたものだった。そして4年後の1999年に再訪したときは、山上のことよりも麓のイチョウがすっかり葉を落としており、その落ち葉が辺り一面を真っ黄色にしていたのも印象的だったた。その650mピークはいつしか「禿の行者山」と呼ばれるようになっており、知名度は少し上がってきたようだった。
 二度の登山から24年が経って再び行者山を登ってみたい気持ちが起きてきた。向かったのは2023年10月の第四日曜日のことで、この日は単独行だった。佐中集落に入ると、長い石段を抱く尾根が三角錐の姿で迎えてくれた。その尾根を見る位置にゴミステーションがあり、そのそばなら駐車していても迷惑にはならないと思えて、そこに駐車とした。そばを夢前川の支流が流れており、小橋が架かっていた。その小橋を渡ってイチョウの巨木に近づいた。秋に入っても暑い日が続いたためか、イチョウはまだ色付いていなかった。そのイチョウのそばに鳥居があり、その先から長い石段が始まっていた。それは「妙見堂石段」で、姫路市の文化財になっていた。石段を登りきると三つのお堂が現れて、中央の奥まった位置に建っていたのが妙見堂だった。その妙見堂の裏に回って尾根歩きを開始した。尾根は始めは緩やかとあって易しく登って行けたが、程なく急斜面を登るようになった。木に掴まりながらの登りで、目印テープに関係なく登り易そうな所を探りながら登った。420mピークを越すと、緩やかな尾根歩きとなった。周囲は植林もあったがモミの木も多くあり、社叢の趣が感じられた。尾根はときにヤブっぽい所があって易しく歩けるとまでは言えずマイナー感はあった。その尾根をとにかくマイペースを心がけて登って513mピークに着くと、漸く展望が現れた。木々の隙間からとなるが、西に雪彦の尾根が眺められた。そこより先は岩を尾根上に見るようになり、ときに大岩を巻いて登ったりした。また尾根の傾斜が増してきて、岩の目立つ所を登りきると行者像が立つピークに着いたその辺りはなかなかの展望地で、北東から南東にかけて広く眺められた。七種山の展望台と言えそうだった。その右手には明神山も見えていた。その先は岩尾根になっているため、その岩稜を巻いて山頂へと向かった。そして行者像の位置から10分で山頂到着となった。そこは木々に囲まれたピークだったので、三角点を確認すると南東尾根に入った。南東尾根を40mほど下ると岩場の展望地が現れて、そこで休憩とした。そこは行者像の位置よりも更に展望が良く、山頂も含めて眺められた。そこから眺める行者像の岩壁は、けっこう迫力があった。その岩場で10分ほどの休憩を終えると、山頂へと引き返した。山頂では休憩をとらず、すぐに下山に移った。下山はひたすら登ってきた尾根を忠実に戻った。方向を誤り易い所があったので、ときどきGPSで現在地を確認しながら下った。特に420mピークの先の急斜面は慎重にGPSを見ながら下った。おかげで尾根筋を外すこともなく無難に妙見堂に戻ってきた。ところで石段を下り終わってイチョウの巨木に近づいたとき、数秒に1回の割合で何かが物置の屋根や地面に当たる音を聞いた。よく見るとイチョウが盛んに銀杏を降らせていた。それに当たらないようにと足早にイチョウのそばを離れた。
 車に戻った後のことだったが、地元で「禿の行者山」と呼んでいるのかを確認することにした。ちょうど午後の散歩に出ているお年寄りが何人かいて聞くことが出来た。それが妙見堂までは当然知っていたが、その先の尾根に関しては知識を持っていなかった。一人は何度か行者像を見ていたが、山の名は忘れてしまったとのこと。どの地方でも共通することだが、山関係の仕事をしている人以外では、お年寄りであっても山には無関心のようだった。
(2023/11記)
<登山日> 2023年10月22日 8:49駐車地点スタート/8:59妙見堂/9:52〜58[513m]ピーク/10:39〜52行者像/11:02〜17行者山/11:21〜32展望岩/11:38〜44行者山/11:53行者像/12:23〜31[513m]ピーク/13:09妙見堂/13:19駐車地点エンド。
(天気) スタート時は快晴だったが、登るうちに雲が増えてきた。但し、晴れとは言えるほどの雲だった。気温はスタート時は12℃だったが、山頂に着いたときは15℃まで上がっていた。風は僅かにあり。視界は澄んでいた。
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(←)
佐中集落に入ると
三角錐の山が眺め
られた その尾根
の先が禿の行者山
だった
 (→)
  駐車地点のそばに
  小橋があり、それ
  を渡って対岸に向
  かった
小橋から先は、車の通行は禁止になっていた 小橋を渡ると、その先は林道だった すぐに妙見堂に通じる道が左手に分かれた
すぐに鳥居が見えてきた 鳥居の先が「妙見堂石段」だった 長い石段を見上げた
長々と続く石段を登って行く 一度石段は終わって平坦な所を歩いたが、その先でまた石段を登ることになった 三つのお堂が現れた 手前の左側は大蔵神社で、奥まって一段高い所に建つのが妙見堂だった
石段を登って妙見堂の前に出た 妙見堂の裏から尾根筋に入った 緩やかな尾根にはモミの木を多く見た
急坂になってきた 木に掴まりながら登ることもあった 最初のピークに着いた 標高420m地点だった 420mピークの先は、緩やかな尾根となった
岩を点々と見ることもあった 易しく歩けることもあれば、木々の間隔が狭まって歩き難くなることもあった 513mピークが近づくと、木々の隙間からながら漸く展望が得られた

大天井岳の方向が
眺められた

513mピークに
着いた

そこも少し展望が
あった

(←)
513mピークか
らも、木々の隙間
からの展望だった

 (→)
  上の写真の右隅に
  写る三辻山の辺り
  を大きく見る
黒滝を大きく見る 513mピークを離れて、一度緩やかに下った 鞍部の辺りはヤブになっていた
上り坂に入って、露岩の上を歩くことがあった 緩やかな尾根が続いた 行く手に山頂の辺りを見ることがあった
少し傾斜が増したとき、岩を見ることが多くなった また緩やかな尾根が続く 岩壁が近づくと、露岩地の斜面を登るようになった
斜面の途中で放置されているワイヤーロープを見た 東に展望が現れるようになった 岩場のピークが間近になった
ピークに着いて、そこに行者像を見た 行者像を間近で眺めた 24年ぶりの対面だった 行者像の先は岩壁の上とあって、歩くのは危険だった

行者像の辺りは好
展望地でもあった
上の写真に写る書写山を大きく見る 立つ位置を変えると、上の写真の右に続く尾根も眺められて、明神山を見た
日光寺山を大きく見る 七種槍の背後に志方城山を見る 明神山を大きく見る
山頂へは岩壁の西側を巻くことになった 尾根筋へと戻って行く 尾根筋に戻ると、山頂は間近となった

禿の行者山の山頂
に着いた

山頂の三等三角点
(点名・山の内)
を見る

雑木に囲まれてお
り、展望は無かっ

すぐに南東尾根に入った 尾根が緩むと、その先が岩場の展望地だった その岩場の展望地で休憩とした

岩場からは山頂が
仰ぎ見られた

山頂の左手に岩壁
を見る

展望地は南の方向が広く眺められた 北東方向も望めて、障子場の尾根を眺めた
上の写真に写る七種山の辺りを大きく見る 上の写真に写る明神山の辺りを大きく見る
休憩を終えると、山頂へと引き返した 山頂に着くも、足を止めずに下山に移った 岩壁の巻き道を通る
再び行者像と対面した 後は南西尾根をひたすら下るだけだった ウリハダカエデの紅葉が始まっていた

513mピークに
戻ってきた

改めて雪彦の尾根
を眺めた
明るい大天井岳が眺められた 南西尾根の下りを続ける 420mピークまで戻ってきた
急斜面を下るようになると、方向を誤らないように慎重に下った 妙見堂のそばに下りてきた 石段を下って大蔵神社のそばに出た
境内に立つモミの大木を見上げた 姫路市の保存樹だった 長い石段を下って行く 鳥居の前に下りて来た
鳥居前の大イチョウも姫路市の保存樹だった 地表には銀杏がいっぱい落ちていた 林道に出て小橋が見えてくると、駐車地点は近かった