TAJIHM の 兵庫の山めぐり <西播磨
 
母栖山    もすやま 653.9m 宍粟市・姫路市
 
1/2.5万地図 : 山崎
 
【2014年10月】 No.3 2014-100(TAJI&HM)
 
    関西電力山崎実験センターの近くより  2014 / 10

 前回の母栖山は、宍粟50山が選ばれていなかった2005年に登っていたが、ほぼガイド本の「宍粟50名山」の紹介コース通りに登っていた。ただその日はモヤの強い視界だったため視界は悪く、結果として印象の薄いコースになっていた。その母栖山の母栖集落からのコースを急な思い付きで再訪したのは、9年後の2014年10月のことだった。その日は宍粟市北部の山を目指して出かけたのだが、前日の澄んだ空とは打って変わって、ガス状の雲が空を覆っていた。北へ向かうほどにガスは低くなり、高い山はすっかり雲に隠されていた。低い山でもうっすらとしか見えていなかった。その空を見て、宍粟市北部まで行くのは諦めることにした。既に宍粟市に入っていたので、宍粟市南部で手頃な山を登ることにした。どの山を登ろうかと考えながら車を進めていたのは、五十波の宮山を間近に見る位置だった。その宮山に登っても良いかとも思ったが、その先に母栖山があることを思い出した。宮山はけっこう濃い印象を持っていたのに対して、母栖山の母栖コースの印象は薄かった。そこで再訪して新たな印象を持つのも悪くないと思えた。そうなると急に登りたくなって、母栖山に向かった次第だった。
 母栖山のそばには関西電力山崎実験センターがあり、その管理道路を走って、前回同様に西側から尾根を登って行くことにした。国道29号線を井ヶ瀬橋を渡った先で離れて、右手の車道に入った。杉ヶ瀬集落には入らず、山へと向かう車道を進むと、車道はすぐに林道の様相になった。落石が多くあり、注意しながら進んだ。上り坂となって暫く走ったときに現れたのが、母栖集落だった。数軒しかなかったが、こんな所になぜと思えるほど麓から離れていた。その母栖集落の先で登山口標識が現れた。母栖山が宍粟50山に選ばれたときに作られたものだろう。その登山口辺りには手頃な駐車場所が見えなかったため、今少し進んで、路肩が広くなった所に駐車とした。そして車道を引き返す形で歩き始めた。登山口に入ると、すぐに足下に母栖集落が眺められた。家の数は四軒だった。但し後で調べると、一軒のみに人が暮らしているようだった。その先で尾根に近づくようにトラバース道があり、尾根に着くと少し急坂となって東へと向かった。尾根ははっきりとしている上に目印もあって、特に地図を見る必要も無く登って行けた。左手には連絡道路の見えることもあった。自然林の中を登って行くが、紅葉は始まったばかりで、まだ緑のままの木がほとんどだった。最初に着いた640mピークには送電塔(播磨西線83番)が立っており、北に向かって開けていた。但しガスがほぼ視界を遮っており、近くの尾根がうっすら見えるだけだった。これでは前回と全く同じ状況で、少々がっかりする思いだった。進む先に小さなピークが見えたが、それは次の650mピークのようだった。送電塔を離れると、植林地の中を歩くようになった。650mピークを越えた先も同じぐらいのピークが幾つかあるため、小さなアップダウンで尾根を歩くことになった。ごく緩やかな尾根歩きだった。但し、周囲は植林が続くため、展望は無かった。母栖山が近づくと少し傾斜が増した。そして程なく着いた母栖山は、三角点の周囲こそ木が伐られていたものの、相変わらず植林に囲まれており、山名標識があってこそ山頂と分かる佇まいだった。送電塔の位置で展望が楽しめていたのならこれでも良かったが、視界の悪い中で展望の無い山頂に着いてみると、何とも物足りなかった。そのとき近くに立っていた案内標識に目を向けると、母栖山の先に「金鉱跡」があるようだった。往復で30分と書かれていた。歩き足りなかったこともあり、金鉱跡まで歩いてみることにした。金鉱跡へは下って行くことになったが、緩やかな下りと言うこともあって、あまり抵抗は感じなかった。周囲の木立も自然林に変わってきた。そろそろ着くのではと思えてきたとき、突然前方が一気に開けた。先ほどまで空を覆っていたガスはほぼ消えようとしており、青空が広がろうとしていた。その明るい空の下に荒々しい岩肌が見えていた。その近くには作業小屋も見えており、どうもそこが金鉱跡のようだった。荒涼としているものの、山水画にも見えるその風景に暫し瞠目した。その右手もずっと山並みが見えており、素晴らしい展望地と言えた。金鉱跡まで行けるのかどうかは分からなかったが、この風景に出会えただけで満足の思いとなり、引き返すことにした。さて肝心の母栖山だが、再び山頂に立っても印象が薄かったため、その姿を離れて眺めたくなった。そこで送電塔ピークの一つ手前のピークまで戻ったとき、北東方向へと下って山崎実験センターに近づいてみることにした。実験センターの一帯は立入禁止になっていたが、ぎりぎりまで近づくと、植林にすっぽりと覆われた母栖山の姿を何とか目に収めることが出来た。もう空は青空が多く現れていた。尾根に戻って送電塔ピークへ近づいて行く。この帰路では送電塔から展望が楽しめるのではと思っていると、その通りだった。83番鉄塔のそばに立つと、西から北まで広く眺めることが出来た。遠くこそまだ雲に包まれていたが、北西には黒尾山を、北には東山も望めて、ここが母栖山登山で一番の展望地と言えそうだった。送電塔から先も往路コースを引き返して登山口に戻るつもりでいたところ、右手に車道が見えたときにそちらへも小径が続いていたので、車道に近づくことにした。するとまさにゲートの位置に下り着くことになった。ゲートは車こそ通行出来ないものの、人の通行は可能になっており、すんなりとゲートを通過することが出来た。後は車道を歩いて行くと、ゲートから10分ほどで駐車地点に戻って来られた。
(2014/11記)(2020/10改訂)
<登山日> 2014年10月26日 9:11スタート/9:33登山口/9:40[83番]鉄塔/10:12〜19母栖山/10:32〜46金鉱跡を見る展望地/11:00母栖山/11:15〜30関西電力山崎実験センターのそば/12:00〜17[83番]鉄塔/12:29ゲート/12:38エンド。
(天気) 朝の空はガス状の雲が空を覆っていた。尾根の気温は16℃。鉄塔の建つ展望地から周囲を見ると、高い山はガスに隠されていた。近くの山もごくうっすらとしか見えなかった。山頂の気温も16℃。風はほとんど無かったが、空気は爽やかだった。その後は急速にガスが薄れて、青空が広がってきた。気温も20℃まで上がってきた。再び展望地に立つと、少しうっすらとしているものの、周囲の山並みが眺められた。
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登山口より少し北の位置に駐車して、車道を戻る形で歩き始めた 登山口に入った 少し登ると、足下に母栖集落が見えてきた 戸数は四軒だった
やや急斜面を登る 登山道はトラバースで尾根に近づいた 標識に従ってフェンス沿いを登る
尾根を登るようになったが、けっこう急坂だった ロープを掴んで登って行く 尾根が緩んできた 自然林の中を登る
色付き始めた木を見かけた 展望が現れたが、山並みはガスに隠されていた 自然林の雰囲気は良かった
岩のそばを通る 送電塔の建つピークに着いた 近くの山しか見えなかった 送電塔(関西電力・播磨西線83番)にもガスがかかっていた

 次の向かうのが
 650mピーク
 だった

   その650mピー
   クに向かい出すと
   植林地を歩くよう
   になった
650mピークを越して、先へと進む 尾根はなだらかに続いた 小さな起伏があるものの、緩やかな下りだった
植林の中に色付きの進んだ木を見かけた ほぼ植林地の中を歩いた 山頂が近づいて、傾斜が増してlきた

 山頂に着いた

 以前よりもすっき
 りとしている印象
 を受けた

 山頂の三等三角点
 (点名・母栖)を
 見る
植林が周囲に広がる風景は以前のままだった 金鉱跡まで足を延ばすことにした 金鉱跡へは緩やかな下りが続いた
陽当たりの良い所はアセビが茂っていた 標識があるので、迷わず近づいて行けた この岩場を越えてみると一気に展望が広がった

 この風景が前面に広
 がった 左手の岩場
 が金鉱跡のようだっ
 た

 金鉱跡は荒々しい
 風景だった

   東に見えていたの
   は雪彦山の尾根だ
   った
展望地で満足して引き返した 母栖山の山頂に戻ってきた 今少し戻ったとき、実験センターに近づくことにした

 実験センターのそ
 ばまで来ると、そ
 の先は立入禁止に
 なっていた

 立入禁止区域の周
 囲を歩いて、何と
 か母栖山が見える
 位置を見つけた
立入禁止区域外から実験センターの設備を眺めた 尾根に戻って尾根歩きを続けた 前方に83番鉄塔が見えてきた
青空が広がっており、送電塔のそばからは北から北西にかけてをすっきりと眺められた 水剣山を大きく見る
上の写真に写る東山の方向を少し大きく見る 行者山を大きく見る

 黒尾山の方向を見
 る

  実験センターの方
  向を見る見る
83番鉄塔を離れて下山を続ける 往路と違って、陽射しを受けながら歩いた 車道が見えたとき、その車道に近づくコースに入った
ゲートの位置に下り着くことになった ゲートは人が通られるようになっていた 後は車道を歩いて駐車地点へと戻って行った