TAJIHM の 兵庫の山めぐり <北但馬編
 
東里ヶ岳    とうりがだけ 663.5m 豊岡市
 
1/2.5万地図 : 出石
 
【2011年9月】 No.2 2011-93(TAJI&HM)
 
    但東町坂野より  2011 / 9

 今は豊岡市の一部となった但東町へ行くときは、いつも不思議な感覚を味わう。国道9号線を東へと走って漸く京都府に着くも、更に県道56号線を北へと走って天谷峠を越える。その峠越えで漸く着いた但東町がまた兵庫県であるという感覚である。これも但東町がコブのようになって京都府に食い込んでいる地形のなせるわざと言えそうだった。その但東町で目立つ山は法沢山に高竜寺ヶ岳、そしてこの東里ヶ岳。法沢山と高竜寺ヶ岳が兵庫百山に選ばれて知名度があるのに対して、東里ヶ岳は姿としては引けを取らないのに、登山対象の話題に上がることは少ないようである。その理由は1997年に東里集落から登ったときに、おおよそ掴めた。登山道は山頂まで付いておらず、その山頂もササヤブで、展望も僅かだった。姿の良い山なのにもったいないと思ったものである。その東里ヶ岳に登山道が作られて、山頂も木が切られて展望が良くなったことをWEBで知った。そうなると再訪の気持ちが起きてきて、さっそくの行動とした。
 向かったのは2011年9月の第三日曜日だった。その新たに作られた登山道は、深く考えもせず、東里ヶ岳の名からして北麓の東里集落からと思い込んでしまった。前回も東里集落からの山道を歩いており、沢沿いを続くその山道は途中で消えてしまったのだが、その先が整備されたのではと勝手な推測をしてしまった。いつも但東町に向かうコースとして、国道9号線を離れて夜久野町で県道56号線に入った。そして兵庫に入って、合橋小学校前で国道426号線に合流する。太田川に架かる大田橋を渡ると、右手に東里集落への道が分かれた。その辺りで登山標識が現れるかと思っていたのだが、何も無かった。集落内を抜けて林道に入っても同じだった。その林道が以前と違っているのは、電気柵が出来ていることだった。この十数年で害獣被害が大きくなったようである。電気柵を通った先にまたゲートが現れたが、その手前に駐車スペースを見たので、そこに駐車とした。この日は曇り空だったため、ガスのかかることを心配していたのだが、北に見える高竜寺ヶ岳はすっきり見えていたので、まずは一安心だった。林道を歩き始めても標識の見えないことから、どうも東里集落側には登山道は作られていなかったようである。漸く思い込みが強かったことに気付いた。ただ山頂までの道が無くとも、ここは前回に歩いたコースなので、山頂まで特に難しくもなく登れると分かっていることもあり、不安も無く歩いて行けた。林道は堰堤の位置で終わので、その手前で右手に分岐した枝林道に入った。その道は堰堤の上に出て、その先は山道だった。暫く沢沿いを歩いて行くと、道は小橋を渡って左岸に出た先で不確かになった。前回はその先をも沢沿いを歩いたのだが、尾根の歩き易さが分かっているので、その位置で右手の斜面に取り付いた。急斜面だが下生えは少なく、ただ踏ん張って登るのみ。周囲は自然林で、その木に掴まりながら登るうちに、次第に傾斜が緩くなってきた。この東里ヶ岳もササが枯れてしまったようで、ササはほとんど見られず、むき出しの地表が広く現れていた。おかげでスムーズな登りだった。北尾根に出ても同じで、スムーズな登りが続いた。ササが消えたとなると何ともあっけらかんとした尾根で、何やら寂しくもあったが、そのうちに別の植物が繁り出すことであろうと思いながら、その様を眺めた。北尾根は急斜面になることも無く続き、山頂が近いと思われた頃、広々とした所に出た。そこには真新しいマイクロウェーブ反射板が建っており、一体の木々が伐られているので、西に向かって展望が開けていた。そこに見えたのは妙見山から蘇武岳に続く尾根だったが、そちらは今にも雨が降り出しそうな空だった。また北には法沢山がさほど距離を置かずに立っていた。そこは少時足を止めただけで山頂に向かった。その先も特に傾斜のきつくなる所は無く、歩き易いままに山頂へと近づいた。そして反射板の位置から10分少々で山頂到着だった。山頂はなるほど木が伐られたようで展望が良くなっていた。南北は尾根となるため展望は無かったが、東と西に展望が開けていた。特に東が良く、遠く日本海まで眺められて、そこには天橋立も望まれた。西もここに来て、床尾山から鉄鈷山の尾根が間近に眺められた。山頂はひたすら静かで、風も涼しく快かった。その風に吹かれながら風景を眺めたり、横になって体を休めたりと、一時間ほどをのんびりと過ごした。その東里ヶ岳の下山だが、同じルートを引き返すのでは芸が無いので、ルートを変えることにした。但し、東里集落へ向かうのは同じこととしてだが。「出石」の地図を見ると、朝に歩いた集落内を通って始まる林道とは別に、西側にも林道が近くに付いていた。しかも起点は東里集落だった。そこでその林道に向かって下ることにした。まずはマイクロウェーブ反射板の建つ位置まで戻り、そこから北西方向へ下って尾根を目指した。尾根をすんなりと辿れだしたものの、はっきりとした尾根では無いため、何度か尾根を外しそうになった。ただ方向だけは法沢山の方向、北西と定めて下って行く。尾根からの展望はほとんど無かったが、この尾根もササが消えたようで、無難に歩けた。ただ少し傾斜のきつくなることはあった。植林地に入って、尾根があやふやになり、また急傾斜になった先で林道が右手に現れた。そこが林道の終点位置だった。後は林道をただ下って行くだけだった。こちらの林道も東里集落が近づいたときに害獣避けの柵が現れたが、その柵のゲートを通ったとき、そばの檻に小さな鹿が捕らわれているのを見た。鹿はこちらを見て必死に逃げようと体を檻にぶつけていたが、こちらとしてはただ眺めるだけだった。そこを過ぎて集落が見えたときに、近くの草むらから鹿が飛び出した。やはり鹿は多いと言うか、増え過ぎているようだった。山裾で畑をするのもけっこう大変なことだと思いながら、東里集落へと入って行った。
(2011/9記)(2021/6改訂)
<登山日> 2011年9月18日 10:08スタート/10:25沢筋を離れる/10:39〜45尾根に出た所で休憩/11:17〜25反射板/11:38〜12:26山頂/12:35〜45反射板/13:26林道終点/13:54エンド。
(天気) 曇り空ながら空の一部には青空が覗いていた。スタート時の気温は27℃で、少し蒸し暑さあり。尾根に出ると少し気温は下がって、ときおり風を受けるようになった。山頂の気温は24℃で、涼しい風もあって過ごしやすかった。視界は良く、曇り空ながらくっきりと見えていた。但し西の方向、蘇武岳辺りは雨雲がかかっているのか、うっすらとしていた。
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東里集落を抜けると、電気柵が張られていた その先も柵があった その手前に駐車とする 振り返ると、高竜寺ヶ岳がはっきりと見えていた
林道を歩き出すと、道そばに小さな社を見た 林道は沢に沿って延びていた 堰堤が近づいて、左手の車道に入る
車道は堰堤の上で終わり、その先は山道だった あまり歩かれていない山道が沢沿いを続く 小橋を渡って、山道は左岸側に移った
すぐに草ヤブが現れて、山道は不確かとなった 右手の斜面に取り付いて尾根を目指すことにした 急斜面だったが、下生えは少なかった
次第に傾斜は緩くなってきた 北尾根に出る ササが消えて地表がむき出しだ
った
自然林の中を登って行く
山頂が近づいたとき反射板が現れた 周囲の木立は伐られている そのおかげで西の展望が良かった 遠くに蘇部岳の尾根が望まれた
反射板を離れたとき、五輪塔を見る すっかり緩やかな尾根だった 丸い岩を見る 尾根を覆っていたササはすっかり消えていた

 東里ヶ岳の山頂が
 目前になった

     東里ヶ岳山頂を見
     る ここもササは
     きれいに消えてい
     た

東里ヶ岳は好展望
の山に変わってい
た 遠くに天橋立
が見えていたのは
予想外だった
磯砂山の方向を大きく見る 天橋立の方向を大きく見る 権現山の方向に但東ダムを望む

 南東には大江山
 の尾根が近かっ
 た

   立つ位置を変え
   ると江笠山も眺
   められた
山頂から南西を見ると、遠くに粟鹿山が望まれた また鉄鈷山から東床尾山へと続く尾根がすっきりと眺められた
上の写真の粟鹿山を大きく見る イワカガミの艶々とした葉を多く見た 山頂には別の方向からの登山道があった
下山は登ってきた尾根を引き返して行く 山頂のそばで高竜寺ヶ岳を良く見る位置があった 高竜寺ヶ岳の左手後方に日本海が眺められた

 反射板の位置まで
 戻ってきたとき、
 北西に法沢山を見
 る

   左の写真の法沢
   山を大きく見る
往路でも眺めたが、この帰路でも改めて西の尾根を眺めた 左の写真の蘇武岳を大きく見る
反射板の位置からは、北西尾根を目指す 尾根に着いて、岩に這う木の根を見る この尾根もすっかりササは消えていた
パートナーが大岩の上に出てしまった 植林地となった急坂を下る その先が林道の終点位置だった
後は林道をただ下って行くだけだった 林道はあまり使われていないようで草むしていた こちらの林道も害獣避けの柵があった
柵を抜けると、そばの檻に小さな鹿が捕われて
いた
東里集落が近づくと、高竜寺ヶ岳が望まれた 東里集落の道を歩いて駐車地点へ近づいた