大河内町と神崎町を限る尾根は、南の大岳山で始まって入炭山をピークとし、八幡山から一気に高度を下げて生野の町に下りて行くが、その北限となる八幡山に登ったのは1996年10月半ばの、風の強い肌寒い日であった。
車は大河内町渕集落内の、真名谷踏切そばに駐車とした。八幡山の西側には市川と平行してJR播但線が走っているが、その播但線は八幡山の尾根をトンネルで突き抜けている。そのトンネルの上から登って行くことにした。そこで踏切横の鉄橋を渡って、トンネルの横より登り出した。取り付き部はイバラや潅木が繁っていたが、すぐに杉の植林地となり、そこを登って行った。尾根までの距離は短く、すぐに尾根筋に出た。この尾根はほぼ真っ直ぐに山頂まで続くため、もう迷う心配は無かった。尾根はかなりの部分が植林地だが、所々で雑木の部分も現れた。雑木は麓近くでは広葉樹が多くて瀬戸内側の樹相に似ていたが、登るほどに落葉樹が多くなってきた。
植林地では伐採中の所や幼木の所もあって、展望は悪くは無かった。多少勾配のきつい所もあったが、まずは無理なく山頂手前手前にあって、山頂とほぼ同じ高さの770mピークに着いた。麓からは尖って見えるピークだった。そのピークが素晴らしい展望地だった。北西には生野高原、そしてその南に平石山から高星山への尾根、他にも雪彦連山に七種の山々とあまたの山々が眺められた。そこより山頂までは僅かな距離だったが、松の倒木が多く歩くのに多少煩わしさがあった。山頂は雑木があって先ほどのピークほどすっきりとした展望は無かった。それでも北から南東の眺めが割合い良く、先ほどのピークとは別の山々が眺められた。粟鹿山から高畑山そして笠形山と続く山並みだった。特に高畑山が間近に見えており、そのどっしりとした姿は良かった。この眺めを見ながらの昼時とした。下山は登りと同じコースを辿って戻った。なお山頂では季節がらかスギヒラタケを多く見かけた。
(2002/5記)(2005/7改訂)(2021/10写真改訂) |