暁晴山から西へと延びる尾根は最後は花咲山の山塊となって揖保川そばまで来ているが、その中ほどに小槍を従えた姿の良い山が一ピークを作っている。それが行者山で、その特徴ある姿はけっこう遠くからでも目立っており、播但尾根からも眺められる。その行者山は姿の美しさだけで無く山頂展望にも恵まれているとあって、宍粟50山にも選ばれている。その行者山を突然の思いつきで訪れた。
2009年6月に入っての最初の日曜日は、快晴の空で朝を迎えた。その空を見て急に鳥取の山に登りたくなった。そこでパートナーを誘ったところ、急とあってあっさりと断られてしまった。それでは一人ででもと勇躍向かったのだが、北の空はどうも雲が多いようだった。ただ青空も見えていたので安心していると、その天気が大暗転した。戸倉トンネルに入るとき、上空は曇り空かと見たのだが、鳥取側に入るとそちらは雨だった。若桜町の市街に近い所まで進んで、そこで暫く様子を見ることにすると、30分ほど待つうちに雨は小止みとなった。ただ上空はガス雲が広がったままで、周囲の山並みもすっかりその中だった。昼ごろまで待てば良くなるかも知れなかったが、そこまで待つ気は無く、諦めて引き返すことにした。その空が兵庫側に戻ると、少し雲が多いものの青空が覗いていた。そして旧波賀町の中ほどまで来ると、上空はすっかり青空だった。そこでそのまま帰るのはもったいなく、手頃な山で軽いハイキングを楽しむことにした。但し地図を持っていないため地図無しでも気軽に登れる山はと考えて、思い浮かんだのが行者山だった。国道29号線を安積橋の交差点で左折して揖保川沿いの県道に入る。その県道6号線を数分も走れば生栖の里で、標識のままに県道を離れ集落内の急坂道に入る。車道はすぐにダートの林道へと変わって、急坂のまま山中を進んで行った。程なく五合目の標識が現れ、そこは小さな広場になっており、休み小屋やお堂が建っていた。そこが生栖側の登山口で、広場のすみに車を止めた。他に車は見えなかった。この行者山は三度目の登山となるのだが、この位置へと下ってきたことはあるものの、登るのは初めてだった。お堂の横から登山道が始まっている。前回に下山したときの記憶では、この生栖の道はほとんど植林地の中を歩くだけで、少し面白味に欠けるとの印象だったが、それは変わっていないようで、ときおり雑木が混じるものの、ほぼ植林の中を展望も無く登って行く。ただこれも運動と考えれば、適度な上り坂がずっと同じ感じで続くので、リズム良くは登って行けた。コースには何合目を示す標識が付いていた。またコースは尾根を登るのでは無く、傾斜のきつい山肌をつづら折れで続いていた。まずはマイペースで歩いて、歩き始めてから50分ほどで主尾根に着いた。尾根の北面はまだ植林だったが、尾根を含めて南面は自然林となり、雰囲気は良くなった。後は緩やかな尾根を山頂へとひと登りするだけだった。その山頂への道の途中で、行者道への小径が分かれたので、その行者道に寄り道をした。そしてエスケープ道で山頂に向かった。山頂の手前には僅かな距離ながら急坂があり、ロープを伝って登ると、山頂手前の三角点の前に出た。これまでどうも三角点を見ていなかったのだが、何のことはない、三角点はただの石ころになっていたのだった。どうも悪いいたずらをする者がいるようで、哀れにも大きく削られて、ほとんど原型をとどめていなかった。その三角点の位置に宍粟50山の山名標柱が立っていた。ただそこは山頂とは言えず、僅かに東に歩いた位置が山頂だった。その山頂の様子が前回と変わっていた。ここは元々北の展望が良かったのだが、次第に木立が生長して、視界を塞ごうとしていた。そこで広く木が切られたようで、元通りに再び北の風景がすっきりと眺められるようになっていた。また山頂を示す標識も付けられていた。この行者山の山頂での楽しみは、何と言っても播但尾根まで一望の展望だったのだが、再びその伸びやかな風景をすっきりと眺められることになって、登ってきた甲斐があると言うものだった。堂々とした東山を左手に、その右には藤無山から須留ヶ峰までの播但尾根が広がる。そして右手には高峰と大段山がどっしりと座っている。その風景に目を楽しませながら、昼どきを過ごした。その展望に十分に満足の思いとなり、下山はあっさりと登ってきたコースを引き返した。適度な坂になっている登山道は下るにも優しく、30分ほどで戻れてしまった。
ほんの思いつきで登って、しかも2時間ほどで終わってしまった行者山だったが、一日楽しんでいたような充実感を持てたのはうれしかった。
(2009/6記)(2014/9改訂)(2020/12改訂2) |