三川山を再訪したのは初登山から10年後の2004年2月のことだった。シャクナゲの季節も考えていたが、いっそ冬季に登って、味わえなかった山頂展望が有るのではとの期待で訪れることにした。前週初めにドカ雪が但馬を襲ったことでもあり、雪が多過ぎるのではと心配したのだが、道路上の雪はすっかり溶けており、むしろ雪が少ないのではと逆の心配した。朝方の但馬はすっぽりと霧に包まれていたが、日本海側に出ると、霧は晴れて青空が広がってきた。国道178号線を離れて三川集落へと向かい出すと、路肩には雪が高く積まれて大雪の跡を見せていた。ただ道には雪は無かった。そのまますんなりと三川権現に着くと、そこで除雪は終わっておりその先は全くの雪景色だった。三川権現前に駐車して出発準備を始めたときに、大失敗に気付いた。これから雪山を登るというのにスパッツを忘れてきたのである。目の前に山があるのに断念する気にはなれず、少々足を濡らしても登ることにした。歩き出すと、これが潜ること潜ること。一歩一歩に30センチは潜るため、もうワカンを履くことにした。そして堰堤まで来てまた失敗に気付いた。車にストックを忘れてきたのである。ストックは雪山でしか使うことが無いので、つい忘れてしまったものである。一度、車まで戻ることになってしまった。再スタートとなり、いよいよシャクナゲコースを登り出すと、今度は雪質に悩まされた。表面は固いのだが、体重をかけるとワカンを履いていても30センチほど潜ることがあった。やはり灌木の多い尾根は、しっかり雪が載っていないと思えた。そして潜ると灌木に足をとられたりした。急斜面では1メートル登って1メートルずり落ちることもあった。それにシャクナゲを傷つけないように迂回をすることがあったが、それも一苦労であった。とにかく一歩一歩がラッセルで、「あと1000m」の地点までで2時間を使っていた。標高が上がれば雪は締まってくるだろうとの願いは裏切られ、いつまでも潜りっぱなしだった。標高も700mを過ぎると、漸くシャクナゲ帯を抜け出して、周囲にブナなどの巨木が現れ出した。もうすっかり雪山の雰囲気で、真っ白な雪面にトレースを付けながら登って行った。一帯は落葉樹ばかりとなり、その枯れ枝越しに日本海側の風景、香住港や佐津海岸が望まれた。そして最後の坂を越すと、山頂の植林地に入った。そこを歩き出すとトレースと出会った。不思議に思いながらトレースを追うと、山頂の通信設備の並ぶ場所に出た。登り始めて4時間後だった。山頂の通信設備まで南側から林道が来ているが、その林道に雪上車の跡が見えた。どうやら点検作業で最近に来たようだった。トレースもその作業の一端と思えた。山頂は1メートルほどの雪ですっかり覆われており、強い陽射しに明るく輝いていた。また建物の周囲は森が囲んでおり、あまり山頂に立っている感じはしなかった。風も無く暖かい陽射しの中に居ると、先ほどまでの厳しい尾根登りがうそのようだった。その山頂で少しは展望は無いかと辺りを見ると、北側の植林の一部が空いており、香住港方向が望まれた。この日の視界は少し薄ぼんやりとしていたが、山頂で展望に出会えるのは、やはりうれしいことだった。「KISS
FM KOBE」塔の前で遅い昼食をとっていると、急速に西から薄雲が広がってきた。瞬く間に薄曇りの空に変わってしまった。山頂には1時間ほど佇んだ後、下山とした。下山は当然登ってきたトレースを追うことにした。下るとなれば楽なもので、シリセードをしたりとどんどん下って行くが、シャクナゲ帯に入って俄然速度が落ちた。トレースは追えるのだが雪が緩んでおり、登りのときよりも更に潜ってしまった。それとスパッツ無しの影響で、足は完全に濡れて冷えてきた。そしてこの下りも、枝を潜ったりかき分けたり、また迂回したりと苦労のしっぱなしだった。漸く下り終えたときは、曇り空に夕暮れの気配が漂い始めていた。
(2004/2記)(2021/11改訂) |