2003年も新緑シーズンを待って、戸倉峠を越えて鳥取県東部の山へと向かったのは5月10日のこと。雪解けの後とあって、音水湖は満々と水をたたえていた。その湖面の美しさに連想されてか、湖面の背後に佇む山品山のことが思い出された。初めて登った1994年は今一つ山品山の良さを掴めないまま終わったとの印象があって、再訪をしようとは考えていたが、その日の湖面を見て今一度登ってみようとの思いが強く湧いてきた。早速、翌週の週末に9年ぶりの再訪となった。前回とは違ったコースからと考え、南麓となる音水集落側から始まる尾根で登ることにした。車は音水休憩所の駐車場に止める。取り付いたのは駐車場の近くにある金山神社の裏からだったが、いきなりの急斜面だった。神社の両側とも民家のため、落石をしないように慎重に登って行った。一帯は鬱蒼とした林で薄暗かった。幹に捕まりながらあえぐようにして登って行くと、100mほど登ったろうか、突然目の前に鹿の赤ん坊が現れた。まだ背中が濡れており、今必死に立ち上がろうとしていた。どうやら生まれた直後のようである。親鹿はこちらの気配で逃げたのであろうか辺りには見えなかった。子鹿はメェーメェーともニャーニャーとも聞こえるかわいい声を必死に出していた。親鹿が早く戻って来ることを期待して足早に通り過ぎることにした。この急尾根を200mばかり登っただろうか、岩場が見られるようになると、漸く尾根は緩くなった。尾根は下草も無く、足どりも軽く気楽なハイキング気分になった。尾根は今が新緑の盛りで、緑の鮮やかさが本当に素晴らしかった。この尾根には植林は見えず、ほぼ自然林だけと言ってよく、大木も多く見かけられた。展望は得られなかったが、木洩れ日のもれる自然林の中は清々しい空気で、歩いているだけで十分に楽しかった。登り詰めたところが930mピークだった。ここに着いて漸く展望を得た。北西側の木立が疎らになっており、そこから見えていたのは音水川の北に広がる尾根だった。930mピークから三角点のある最高点ピークまでは500mほど。もうほとんど高低差は無く、至って気軽な山稜歩きだった。左手は自然林で、右手は植林地となって薄暗い。山上からは東に位置する阿舎利山から三久安山へと続く尾根の見えることを期待していたのだが、植林の壁とあっては望むべくも無かった。少しクマザサが現れたが、この山上の記憶としてはクマザサがもっと繁っていたはずで、それが今はほとんど枯れかかっており、クマザサに煩わされることは無かった。歩き易いままに急ぎ足になったこともあり、10分ほどで三角点ピークに着いた。そこは以前と変わらず周囲は植林地で、展望は無し。ただ静けさが漂うのみだった。この三角点ピークで休憩をと考えていたのだが、930mピークの方が明るく伸びやかさがあったため、そちらで休憩しようと、すぐに930mピークへ引き返した。その引き返す道中で西の展望は無いかと注意していると、中間点辺りで少し木立がばらけて、そこからは西向かいの1161mピークが覗いていた。930mピークで昼食を済ませた後、改めて展望を楽しむことにした。そこでもっとよく見ようと手頃な木に登ってみると、いっそう展望は広がって、その中で最も目に付いたのが北西向かいの丸い山容のピークだった。地図で確かめると1044mの標高点が付いていた。そのピークは山頂こそ樹林が残っていたが、その手前は伐採でもされているのか全く木が見えず、笹原だけが広がっていた。いかにも展望が良さそうだった。そこで考えたのが、そのピークから山品山を眺めるのも悪くないのではと言うことだった。また今立つ山品山が展望が今一つと言うこともあって、すかっとした展望を得たいという気持ちもあって、気持ちは1044mピークに傾いた。そこでさっそく実行することにした。既に13時を回っていたが、それでも夕暮れまでには駐車地点まで戻れそうに思えて、手早く荷物をまとめると、すぐに北西に延びる尾根を下って行った。
(2003/6記)(2014/6改訂)(2020/12改訂2) |