兵庫県も南部の姫路市に住んでいると、鳥取県と県境を接する新温泉町はずいぶんと遠くに感じるが、初めて扇ノ山を目指したときはその新温泉町を抜ける国道9号線を西へと走って鳥取県境手前で岸田川沿いの道を南下した。そして青下集落へと入ったのだが、その地の人には失礼ながら兵庫の最遠の地に来たとの思いを持ったものだった。ところがその岸田川沿いの道を更に進んで、道が林道の様相を帯びて来たころに菅原集落が現れたときは、こんな所まで集落があるのかと驚かされることになった。もうその先は扇ノ山の登山口へと向かうだけだが、菅原集落の先で林道が分岐しており、その枝道は東に向かって上り坂になっていた。その枝道を登り詰めた所に、数軒からなる肥前畑集落が現れた。それこそ本当に驚くことになったが、正真正銘の兵庫最遠の集落だろう。その肥前畑集落から東に仰ぎ見えるのが水池だった。山頂こそ見えないが、優しげな草地の山肌を見せていた。持っていた地形図では道路は肥前畑集落までだったが、実際は林道工事(普通林道・中辻肥前畑線)が何年来と続けられており、尾根を越して北に位置する中辻集落まで通じる計画のようだった。この水池を初めて目指したのは2003年11月初めのことで、肥前畑から更に延びる林道を見て、それを車で走ってしまえばアプローチが簡単になりすぎるのではと逆の心配をしたものだ。そこで肥前畑集落のそばに車を止めて、そこより歩き出した。林道は工事用のトラックが頻繁に走っており、林道がまさに工事中であることを窺わせたが、その工事中の林道を登って行けば問題なく水池に近づけはずだった。そこで気軽に登って行ったのだが、尾根が近づくと林道は町境尾根と平行してどこまでも続いており、どこから取り付いてよいのやら判然としなくなった。そこで尾根に出れば何とかなるだろうと、適当に斜面を登って尾根上に出ることにした。それが間違いのもとで、尾根に出たもののやはり現在地がよく分からなかった。辺りを見ると北にピークが見えたのでそれを目指したのだが、そこに三角点は無かった。その先にもピークが見えており、そこまで歩けば現在地だけでも分かるのではと思ったのだが、そこに着いてもよく分からなかった。そして現在地が分かる位置まではと歩き続けて、漸く分かったときは水池よりもずいぶんと北の位置に来てしまっていた。実際の水池は、尾根上に出た地点のわずか南の位置のようだった。そこまでで体力の消耗は激しく、もう水池を目指すには時間的にも体力的にも余裕は残っておらず、その日は断念となった。
再度の挑戦は2年後の2005年11月と、前回とほぼ同じ季節で、アプローチも同じく肥前畑集落からとした。もう失敗はしたくなく、事前に地図をよく眺めてイメージトレーニングをしておいた。この日は姫路の自宅を7時前に離れたのだが、途中で朝食をとったこともあって、肥前畑集落に着いたときは10時を回っていた。やはり最遠の地と思ってしまった。車は集落内にある霧畑シャクナゲセンターの前に止めた。歩き出して林道の入口に着くと、工事中のため通行禁止と立て札があった。まだ林道工事は続いているようだった。この日は薄雲の広がる空のため冷え込みは少なく、林道上の気温は10℃程度あった。林道を歩くのは、林道が町境尾根に近づいて東へと大きく回り込む位置までと考えていた。そこからの支尾根に取り付けば、真っ直ぐに山頂に向かえるはずだった。もう紅葉は終わっていると思っていたのだが、林道そばの木々にはまだ見頃の木も見られた。この地区の紅葉も今年は遅れ気味のようだった。弥一郎滝を過ぎると林道の傾斜が増してきた。それと共に林道からの展望は良くなり、西向かいの扇ノ山から上山へと続く長い尾根が一望出来た。扇ノ山はうっすらと雪化粧をしていた。やがて予定していた林道が大きく東に回り込むポイントに着くと、工事中を示すかのように大型の重機やダンプが道ばたに置かれていた。但し人影は無かった。そのそばの法面は少し急傾斜だったが、そこより支尾根に取り付くことにした。支尾根までは数十メートル登るだけだったが、急斜面のうえに掴まる木が少ないため、草の根を掴むようにして登って行った。そのまま尾根上までと考えていたが、灌木の枝がじゃまをしていたり、けっこうイバラも多かった。また足元も軟らかいとあって一苦労だった。そのため尾根に出るまでの僅かな距離に20分ほどかかってしまった。その尾根はと言うと、もうクマザサの海だった。杉木立が一部にあって、そこはクマザサが疎らになっていたが、そこ以外は密生したクマザサをかき分けて行くしかなかった。暫く我慢のヤブコギだったが、ササにも丈の高い所や低い所があり、出来るだけ易しい所を選んで行くと、小さなコブのような所に出た。その上に立ってみることにした。すると林道上から見たよりもずっとすっきりと扇ノ山が眺められた。そして南には仏ノ尾に青ヶ丸も姿を見せていた。行く手を見るとクマザサの海は続いていたが、その中に茶色い所も見えていた。草枯れとなったカヤトの原のようで、そこなら少しは歩き易そうだった。そのカヤトへと入るも長くは続かず、またクマザサ帯に入った。そしてまたカヤトが現れた。そのうちにうっすらとながらケモノ道も現れて、山頂方向に向かっている所はそれを辿った。山頂が近づいて急斜面となった。そこはクマザサが疎らになっており、灌木に掴まりながら登って行った。登りきるとそこは平坦地になっており、カヤトの原が広がっていた。そしてその中にはっきりとケモノ道が付いていた。どこから続いていたのだろうか。そのカヤトの原を突っ切って山頂に立った。山頂は雑木の混じる杉林になっており、そこに三等三角点を見た。木立に囲まれているとあって薄暗く、展望は悪かった。それでも木々の空いた所から扇ノ山の姿は見えていた。昼どきとなっていたので、手前のカヤトの原に戻って一休みすることにした。尾根を歩いているときは薄曇りだった空はまた陽射しが戻っており、その光にカヤトが照らされていた。そのカヤトの原の中央にぽっかりと草地の広がっている所があったが、どうやらシカの寝床のようだった。その一隅で一休みとした。そこは草地とあって展望も良く、昼食後、改めて周囲を眺めてみた。尾根から見えていた扇ノ山は当然良く見えていたが、その位置からは一段と広く見えており、まさに扇ノ山の展望台と言えそうだった。扇ノ山の北には上山、その先には牛ヶ峰山が名のごとくどっしりと姿を現していた。ケモノ道を辿って少し北に歩くと、北の展望が一気に広がった。水池から北へと続く尾根や林道の様子が一望で、前回に誤って登った尾根もよく見えていた。この日の目的は、ともかく水池の山頂に立つことだったので、この先の尾根を歩く気持ちは持っておらず、一時間ばかりの休憩で下山とした。下山はカヤトの原に付いているはっきりとしたケモノ道を辿ることにした。ケモノ道はカヤトの原を北へと抜けると、クマザサの中を北西に向かった。やがて樹林帯に入った。そこは下草も少なく歩き易くなったが、ケモノ道は判然としなくなった。そこまで来れば樹林の尾根を辿ればよく、歩き易いまま尾根なりに下って行くと、やがて林道が足下に見えて来た。最後は少し急斜面となったが、ごく楽に林道に下り着いた。意外と早く林道に下り着いたので、時計はと見ると、山頂から20分経っているだけだった。この下山で辿ったコースを歩くのであれば、ほとんどヤブコギも無く簡単に山頂に立てそうで、立派な林道があることでもあり、水池は簡単な登山と言えそうだった。その後は林道を歩いて肥前畑集落へ戻って行ったが、往路の取り付き地点までは7分の距離だった。下山後、肥前畑集落で里人に出会ったので、水池のことを尋ねてみた。その人の話では以前はクマザサの所も含めて山頂一帯は放牧地だったそうで、人手が離れたことで荒れてきたとのことだった。また山上に三つの池があって、そこより三ツ池(みついけ)と呼んでいたのが、それが水池に変わったことも教えていただいた。
(2005/12記)(2014/4改訂)(2022/3写真改訂) |