TAJIHM の 兵庫の山めぐり <西播磨 
 
東山    ひがしやま 1015.9m 宍粟市
 
1/2.5万地図 : 音水湖
 
【2005年12月】 No.7 2005-82(TAJI&HM)
 
    下山時に東山尾根コース登山口に近づいて  2005 / 12

 雪山を歩くための装備として、近年はスノーシューが普及しているようだが、20年来ワカンを履いてきたこちらとしては、ワカンとどれほどの違いが有るのかがよく分からず、スノーシューに興味はあるものの、手に入れないままに過ごしてきたものである。それが「山と渓谷」の2005年12月号でスノーシューが取り上げられており、どうやらワカンよりも便利であるとの記事をみかけた。そこで漸く手に入れることにした。そして早速、試そうと考えて、試し履きの山として東山を選んだ。しかし今年は雪こそ12月初めから何年ぶりの大雪となったが、北の天気がなかなか良くならない。特に休日がそうだった。それが24日となって、漸く小康状態になりそうだった。
 24日は朝のうちに車のタイヤをスタッドレスに取り替え、快晴の姫路を後にして国道29号線を北上した。ところが宍粟市に入る頃より雲が増えて来た。そして道ばたに雪を見かけるようになった。波賀町に入ると小雪も降り出し、路面に雪の残る所も現れた。道そばの雪は1m近い所もあった。この日の目的地はフォレストステーション波賀で、そこより東山へ向かう計画だったが、そこまでの道が心配だった。しかし林道はきれいに除雪されており、11時前にフォレストステーション波賀にあるメイプルプラザの駐車場に無事到着した。そして準備を整え、いざ出発の段になって大失敗に気が付いた。スノーシューの片足を忘れてきたのである。愕然としたが、そこは素早く気持ちを切り替えることにした。フォレストステーション波賀では絶えず雪が降っており、しいて登ろうとの気持ちは起きなかったこともあり、そこでパートナーのスノーシューで雪道歩行の練習をすることにした。メイプルロード1号線には全くトレースは無く、いざ踏み出してみると、いきなり膝まで潜り込んだ。これではワカンと変わらない。ともかく暫くもがいてみることにした。その結果は、この日の雪が柔らかすぎるのか、雪の上に載るふうにはいかず、たえず潜りっぱなしで、スノーシューとワカンの違いがつかめなかった。この日は1時間ほどの練習で切り上げた。ただ天気は陽射しの現れることもあって、回復傾向だった。
 翌25日は、兵庫全域で快晴との予報で、今日こそはの思いで東山を目指した。前日に登山口につながるメイプルロード2号線を覗いていたのだが、どうもトレースが見られなかった。そこで山頂までラッセルも予想されるため、前日よりも2時間ばかり早く姫路を離れた。そしてフォレストステーション波賀に着いたときは、まだ9時前の時間だった。空は澄んだ青空が広がり、明るい陽射しに木立の雪が音をたてて落ちていた。今日は準備は抜かりなし。園内の車道をメイプルロード2号線へと向かう。その入口でスノーシューを履くが、雪面にはトレースが付いていた。どうやら前日の午後に歩かれたらしい。雪面を歩き出すと、スノーシューはあまり潜らない。まだ朝の早い時間で気温は0℃以下とあって、雪面が締まっているからであろう。またトレースのおかげで歩くには楽だったが、スノーシューの効果のほどがよく分からない。どうもワカンとあまり差はないように思えた。トレースはずっと続いており、登山口から先も続いていた。やはり今年の雪は多く、12月だというのに路上と言わず登山道と言わず、積雪は1mはありそうで、地表のかけらも見られない。もうひたすらトレースを追うだけだが、スノーシューで歩かれた跡だけでなく登山靴で歩かれた跡もあり、どうやら以前からトレースがあったように思えた。トレースのある雪道は簡単なもので、楽々と主尾根に達した。そこまで来ると、北に半面を真っ白にした一山が間近に見えた。主尾根に出た後は、東山山頂を目指して南へと尾根を辿って行く。雪だまりがあってトレースの隠れた所が何カ所かあったが、尾根上のトレースはずっと続いていた。このまま続けば、単なるスノーハイキングで終わってしまうのかと思えだした頃に、忽然とトレースが消えた。そこは山頂まで600mほどの位置であろうか。辺りは植林地となり、平らな地形と相まって山頂方向が分かりにくくなっている所だった。目印も無い。どうやら荒天に登って道迷いをしたのだろう。そこで引き返してしまったようである。こうなると、その先は自分でトレースを付けるしかない。これは期待していたことで、喜んで純白の雪面を踏み出した。ここで漸くスノーシューの効果が分かってきた。やはり雪面との接触面積が広いために、ワカンよりも潜らないようである。その分、歩くのは楽というものである。試しにパートナーを先に歩かせてみたが、やはりワカンよりも楽とのこと。東山程度のなだらかな山は、スノーシューでの登り坂も気にならず、足にさほど疲れを覚えないままに登って行けた。やがて山頂が近づいて、漸く分かり易い標識が現れた。現れたと言ってもその先に赤テープなどの目印は無い。ただ夏道がありそうに思える上を適当に進むだけである。そしてメイプルプラザの駐車場を離れてから2時間での山頂到着となった。やはりラッセルがあった分だけ、いつもより時間がかかったようだった。山頂は白い雪面が広がっており、そこに展望台がぽつんと建っている。早速、展望台へ向かった。ところがスノーシューを履いたまま階段を登るのは一苦労で、足を横向きにしながらでないと登れない。その展望台の上に立ってみると、期待した西の高峰を一望出来たのもつかの間、その山並みの上空に雲が現れたと見ると、見る見る尾根を隠しだした。ガス状の雲で、急激に東山の上空まで迫ってきた。そして陽が隠されると冷たい風が吹いてきて、たちまち手足が冷たくなってきた。山頂はうすら寒い雰囲気となったが、気温は0℃とさほど低くはなかった。もう西の山並みが隠されたことでもあり、展望台から下りて、その下の雪面で昼食とした。昼食後、スノーシューが無ければどれほど歩きにくいかと、辺りの雪面を登山靴だけで歩いてみることにした。すると膝どころか腰近くまで一歩ごとに潜る始末で、これは到底スノーシューが無ければ歩くのは無理なことが分かった。一時間程度の休憩で下山とする。下山はすんなりと東尾根コースを戻ることにした。もうトレースを辿るだけで、しかも下り坂とあって気楽なものだった。無雪期よりもずっと楽である。下山を始めた頃より、空には青空が戻って来た。ガス雲が漸く通り過ぎたようである。木立を通して三室山が再び大きく見えていた。この好天で、しかもスノーハイキングを楽しめるというのに、いっかな他に登山者を見かけない。日曜日でもあり一人ぐらいは登って来るだろうと思っていたのだが、とうとう下山を終えるまで誰一人として会わなかった。何とももったいないことである。そして下山後の楽しみはと言えば、東山温泉だった。昼どきとあって温泉は閑散としており、のんびりと露天風呂に浸った。熱い湯に冷たい空気と、露天風呂を味わうには一番の季節と思えた。それと湯船の近くまで雪が積もっており、冬ならではの情緒を楽しめた。
 04−05年の冬山は雪の訪れの遅いこともあって、年が変わって2005年1月3日の東山が初登りだった。そして05−06年の冬山は12月の大雪があって、同年05年の12月25日に同じく東山が冬山初日となった。どうも足慣らしとなると、すぐにこの東山が思い浮かんでしまうようになった。登山口までのアプローチの容易さと言い、山頂までの適度な道程と言い、また山頂の展望の良さもあって、まさに雪山の足慣らしとしてには絶好と言えそうである。そしてスノーハイキング入門コースとしては、この兵庫県にあって随一ではと思えた。
(2005/12記)(2020/9写真改訂)
<登山日> 2005年12月25日 9:00スタート/9:36東尾根コース登山口/10:59〜12:00山頂/13:29東山コース登山口/13:53エンド。
(天気) 前日に降っていた雪も止んでおり、この日は朝から快晴の天気で、澄んだ青空が広がっていた。登山コースはトレースこそあるものの、1m以上の積雪で、すっかり銀世界だった。山頂に着いた頃より、西の空より急激にガス雲が広がり、またたく間に上空まで広がった。それと同時に肌寒い風も吹いて来た。山頂の気温は0℃。視界は良く澄んでいた。下山中にガス雲は消えて、再び青空が戻って来た。
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フォレストステーション波賀は12月とは思えぬ雪の多さだった 登山コースには既にトレースが付けられていた 登るうちに北に見えてきたのは一山だった

尾根の途中で突然
トレースは無くな
った

1000m峰の並
ぶ姿がはっきり見
えることがあった

尾根を南に向かい
だすと、東に笠杉
山を見た

南東には黒尾山を
見る
尾根の雪は1mほどだろうか すっかり銀世界だった トレースの無い尾根歩きが続く 急坂があり、後ろを振り返ると氷ノ山が望まれた

山頂は銀世界だっ
た 雪面に鹿の足
跡を見た

展望台そばの山名
標柱はすっかり雪
に埋もれていた
(←)
展望台に着いた
頃より空は急激
に曇り、高峰は
隠された

 (→)
  展望台より北を
  望むとその上空
  は黒いガス雲が
  広がっていた

下山中に再び青空
が広がり、すっき
りと三室山を眺め
られた

東の方向は常に青
空が広がっており
澄んだ視界だった

尾根に立って西麓に
フォレストステーシ
ョン波賀を見る

尾根を外れて登山口
へのコースに入ると
樹間から山頂が望ま
れた