高星山を久々に登ってみようと思ったのは、しっかりと登れる山はないかと思いを巡らしていたときで、2015年の12月に入ってのことだった。無難に登るとなると東面側からとなるが、最短距離となる西面側を一所懸命に登ってみることにした。
向かったのは12月12日で、天気予報では曇り時々晴れとなっていたが、神河町の空はガス状の雲が広がっており、青空は全く見えなかった。神河町に入り県道404号線を北上して長谷地区に入ると、砥峰高原に通じる県道39号線を進んだ。車道は上り坂となり、深山トンネルを抜けて下部調整池の上流に出たときに現れたのが万歳橋だった。橋を渡った先に駐車スペースがあり、ちょうどそのそばの尾根を登る予定だったので、渡りに船とそこに車を止めた。尾根を見上げると、ピンクのテープが点々と付いているのが見えた。それは地籍調査のテープで、どうやら山頂まで続いているのではと思われた。それが正しければコースに注意しながら登る必要は無さそうだった。地図を見ると尾根の等高線は詰まっており、200mほどは急坂が続きそうだった。それを覚悟して植林地の急斜面に取り付くと、すぐに尾根を伝えるようになった。単純にピンクテープを追いながらの登りだった。但し石ころが多い尾根で、それを避けながらの登った。急尾根ながら滑り易い感じは無く、足を踏ん張りながら、また木に掴まりながら着実に歩を進めた。気温は10℃ほどで寒過ぎもせず、尾根登りとしては適度に汗をかけて悪くはなかった。尾根が少し緩んでくると、周囲は植林から自然林に変わり、紅葉が一部で残っていた。足下は落ち葉が積もっており、その落ち葉を登りながらの登りは良い雰囲気だった。その気楽さが続けばと思っていたところ、ネットが現れて少し雰囲気が変わってきた。ネット沿いを歩くようになったが、辺りにアセビなどの灌木が増えてきた。そこにイバラが混じることがあり、けっこう歩き難くなってきた。なるべく歩き易い所を選んで登って行くが、どこまで続くのかと思っていると、ネットが終わると共に尾根は緩んできた。そして周囲はゆったりとした自然林の風景に変わってきた。アセビは多かったが、少し避けるだけで進めて、尾根歩きの妨げになるほどでは無かった。展望も現れて、背後に砥峰高原の風景が眺められた。右手前方に高星山が見えてくると、程なく主尾根となる神河町と朝来市との境界尾根に出た。そこから南に向かえば高星山だったが、地籍調査のテープはそちらには無く、古い赤テープを見るだけだった。目印を気にせず、尾根筋を南へと向かった。またアセビが茂ってきたが、とにかく山頂を目指してアセビを避けたり、ときに突っ切ったり進んだ。山頂が間近になると、いっそうアセビが茂って行く手に広がったが、細々と小径が続いていた。それを辿ると前方が明るくなった。そこが山頂で、申し訳ないほどの広さで、三角点の周りのみ開けていた。明るかったのはその西側が低木のアセビ帯になっていたためで、その向こうに見えていたのは雪彦峰山の山並みだった。その手前には太田池も見えていた。但し視界はうっすらとしており、ガスが無いだけ良かったと思える見え方だった。それにしても以前からアセビの茂る山頂だったが、今では足を踏み入れるのが困難なほどの茂りようだった。もう展望は三角点のそばから見るだけにとどめて、後は静かな山頂で昼食をとった。空は相変わらずガス雲の広がる空で、少し明るくなっても太陽の輪郭が見えるまでだった。後は再び黒みを帯びたガス雲が広がって、輪郭を分からなくした。山頂は5℃まで下がっていたが、風が強くなかったのは幸いで、寒さに耐えるといった感じにはならなかった。山頂で40分ほど過ごすと下山とした。始めの予定では一つ南の尾根を下ることにしていたのだが、アセビの海を見てその考えは消えてしまった。そこですんなりと往路を戻ることにした。目印テープは登るときよりも下るときの方が助かるもので、下山で地籍調査のテープを追えるのは有り難かった。下りとあってネット沿いの灌木ヤブも登りのときほどには気にならず、ただ足下だけ注意して下った。ときおり前方が開けて、砥峰高原が眺められた。最後の急斜面を慎重に下ると、足下に犬見川が見えてきた。結局、下山は100分ほどで車道のそばに下りてきたので、この西側からのコースも高星山登山として悪くないのではと思えた。
(2016/1記)(2020/9改訂) |