雪の山に登ろうと考えたとき、たっぷり雪のあるのはもちろん条件だが、山頂展望を楽しめることも大きな要素と言える。そこで雪のあることは分かっていても、展望の少ない山は敬遠しがちになる。阿舎利山もその一つで、2003年に一度雪の山頂には立っていたが、その展望の悪さにまた登ってみたいとの印象でも無かった。その阿舎利山もその後は少しは展望が良くなり、山頂から氷ノ山が眺められるまでになっていた。
2010年2月に入って土日共に好天が期待されたのは、第三週の週末だった。その土曜日に雪山を登ろうと考えた。当然、展望の良い山を登ろうと考えて、赤谷山を目指すことにした。ただ土曜日は播州全域は晴れの予想ながらも、但馬は曇りの予想だった。その境界域に近い赤谷山はぎりぎり晴れではの期待で向かったのだが、一宮町に入って見えてきた北の空は暗かった。そこでガスのかかる恐れのある赤谷山よりも、少し南に位置する阿舎利山を登ることに目標を切り替えることにした。阿舎利山登山はサブプランとして考えていたもので、山頂の展望は悪いながらも久々に登るのも新鮮な気持ちになれて悪くないと考えてのことだった。安積橋の交差点で県道6号線に入り、三方町で阿舎利集落への車道に入った。始め、車道のそばには僅かな雪しか見えなかったが、「阿舎利の水」付近を過ぎると一気に増えて、車道はすっかり白くなってきた。どうも10センチぐらいは積もっているようで、冬タイヤでないと走行は無理ではと思えた。朝の8時を過ぎていたが車道にタイヤ痕は付いておらず、今朝からまだ一台も通っていないようだった。ひっそりとした阿舎利集落に入って、二つ橋そばの空き地に駐車とした。セト谷コースの登山口標識が立っている位置だった。ごく一般的にセト谷コースで登って行く考えだった。始めに林道を歩くが、林道の雪は10センチも無かったので、スノーシューを履かずに歩き出した。冬の阿舎利山はやはり歩かれることは少ないようで、雪面にはトレースの跡らしきものも見えなかった。すぐに谷止工が現れて、それを越すと沢沿いの小径を歩くようになった。雪こそあるものの無雪期と変わらぬ気持ちで歩いていたのだが、何度か沢を横切らねばならず、そのときは凍った雪に滑らないように注意が必要だった。その谷コースに次第に倒木が増えてきた。夏場なら無理をして通って行くのだが、雪の季節は遠慮したく、そこで高巻きに歩くことにした。暫くは谷から少し離れた位置を歩いていたのだが、歩き難いこともあって、それならいっそう尾根を歩く方が良いのではと思えた。「音水湖」の地図を開くと、その北西に延びる尾根を登っても、山頂からさほど離れていない位置に出られそうだった。そこで尾根登りに切り替えた。尾根の傾斜はきつめだったが、植林で覆われた尾根なので、木に掴まりながらじっくりと登れば問題無さそうだった。しっかり踏ん張っての登りながら特に難しくは無かったので、このまま主尾根まで登って行けると思っていると、うっすら積もった雪が登るほどに凍ってきた。そうなると急傾斜だけに滑り易く、どうもアイゼンが必要な状況だった。そのアイゼンの用意をしていなかったので、キックステップで登って行くしかなかった。それでも何度か滑りそうになった。ひたすら木に掴まりながら高度を上げて行った。尾根は時に緩く、またきつくを繰り返した。また自然林になることもあればアセビが目立つこともあったが、概ね植林地になっていた。雪は徐々に増えてきたが、それでも20センチまでだったので、雪の量に悩まされることはなかった。阿舎利山と三久安山を結ぶ主尾根に出たときは、歩き始めてから1時間半が経っていた。やはり冬山はすんなりとは登れないようだった。主尾根に出ると雪は一気に増えて50センチほどになったので、スノーシューを漸く履くことにした。ここに着いて空を見る余裕が出来た。雲が多く占めているものの、澄んだ青空も見えていた。それまで展望は皆無だったが、木々を通して三久安山が眺められたりもした。但し展望が悪いことには変わり無かった。この主尾根は緩やかなもので、もうすっかりスノーシューハイキングだった。尾根の木々も自然林が主体となって、雰囲気がぐんと良くなった。尾根歩きとなって風が少し出てきたが、気になるほどでは無かった。緩やかなままに登るうちに、左から支尾根が合流した。合流地点の近くが少し開けており、そこに下りてみると、三久安山から藤無山までが一望だった。その風景に見覚えがあったので記憶を辿ると、どうやら前回に歩いたセト谷からの尾根のようで、ここまで少し遠回りで登って来たことになる。その展望地から離れて主尾根の登りを続けると、周囲の木々にブナが目立つようになった。どの木も雪を付けていたが、雪が氷になっていることが多かった。また霧氷になった木も見られた。その風情を楽しむうちに小さなピークに着くと、そこに阿舎利山の山名標柱が立っていた。主尾根に出るまではきつい登りだったが、その後はごく軽い登りだったので、あっけなく山頂に着いた感じだった。辺りはすっかり雪景色だったが、山名標柱の辺りの雪は少ないようで、軽く雪を除けるとあっさりと三角点が現れた。樹林に囲まれた山頂だったが、北の方向の木々に切れ目があり、そこから氷ノ山が眺められるはずだった。その期待を持っての山頂だったが、そちらの空はすっかり黒い雲が広がっていた。ただ手前の赤谷山は現れており、すっかり白くなった山頂が印象的だった。この山頂に着いて、陽射しは現れたり隠れたりしていたが、青空と共に陽射しが現れると、樹氷がきらきらと輝いた。そして陽が隠れると強い風が現れて、さっと寒くなった。一通り山頂の風景を楽しむと、まだ昼の時間になっていないこともあって山頂を離れることにした。そして適当な場所で日溜まりを見つけて、そこで昼休憩をすることにした。登ってきたコースは急斜面だったため、下山はいっそう厳しくなるので、少し遠回りとなるが、南の阿舎利峠に下りることにした。そして峠から長々と林道歩きで下山することにした。阿舎利峠へのコースは阿舎利山登山では一番よく歩かれているのか、目印テープが目障りなぐらい付いていた。但し道が雪で隠される冬の季節ではそれも助かるもので、何の気遣いもなくテープを追って歩くだけだった。この阿舎利山は二つのピークからなっているが、まずは南のピークを越えることになる。そちらへの登りも緩やかで、心もち南のピークの方が高いように思われた。その南ピークを越えると雪は一気に減って、15センチ程度になってしまった。スノーシューは要らない状態だったが、惰性で履いたまま進んだ。阿舎利峠へと尾根なりで下っていると、途中で右手に林道が間近に走っているのが見えた。そこに陽射しがいっぱい当たっているのを見て、林道で昼休憩をすることにした。山頂では0℃近い気温だったが、そこは10℃以上の暖かさに感じられた。但し周囲は人工林の風景で、展望を楽しみながらとはいかなかった。手早く昼食を済ますと、そこからはスノーシューを脱いで、林道を歩いて峠の方向に向かった。その林道が途中で尾根から離れ出したので、また尾根に戻って目印テープを追いながら下った。阿舎利峠に下り着くと、その一帯はだだっ広くなっており、登山道の始まる位置に登山口標識が立っていた。ひと息入れて林道歩きをスタートした。林道の雪は山陰こそまだ多く残っていたが、陽当たりの良いところでは10センチまでと僅かだった。林道歩きはやはり退屈さがあったが、十数年ぶりに歩くとあって、ときおり現れる展望を楽しんだ。始めに東山が大きく眺められ、次に一山が迫ってきた。一山の雪は阿舎利山よりもずっと少なく、うっすらと付いているだけだった。その一山の西側に新しい林道の出来ているのが見えたが、山肌が大規模に削られており、植林のためとは言え、これはちょっとした自然破壊ではと思ってしまった。その一山へ向かう支林道が分かれる位置を過ぎると、後は展望も無くなって、退屈な林道歩きとなった。そして阿舎利峠から一時間半ほどかかって駐車地点に戻ってきた。そこから見るセト谷の林道は、朝とは違って全く雪は見えなくなっており、半日の間に消えてしまったようだった。一山を見たときも思ったが、この辺りの山を雪山として楽しむには、雪が降ればすぐに登らないといけないようで、数日で雪は一気に減ってしまうようだった。
(2010/3記)(2021/10改訂) |