2008年にこの長義山が宍粟50山に選ばれて、その読み方が「なぎさん」と知ったとき、多くの登山者が驚いたのではなかろうか。これまでは点の記にも書かれていた「ちょうぎやま」の読み方で信じて疑わなかったのだが、忽然と現れたこの読み方には今でも半信半疑である。但しもう公表されてしまったことで、「なぎさん」で定着するのであろう。この長義山も登山となればごく簡単で、車道の走る兵庫県側から登ると、15分ほどで山頂に立ててしまうのではと思える。これでは単独でこの山を目指してとは考え難く、登るとすると近くの山の登山のついでとして登るか、ここを起点の県境尾根歩きとして登るかのどちらかになるのではと思われる。この考えを応用する形で、雪の季節の長義山に登ったのは2009年の3月だった。この日は峰越峠から天児屋山を登ったのだが、雪の天児屋山はいたって楽で、特に疲れることも無く、13時には峰越峠に戻ってきてしまった。車は「ラドンの泉」に近い所に置いていた。そのまま雪の車道を歩けば20分とかからず戻り着くことになるので、何か時間がもったいなく思えた。そのとき思い付いたのが、そばに位置する長義山を登ることだった。ちょっと回り道して駐車地点に戻るだけと言ってよい。早速このアイデアを実行することにした。目の前の車道を横切ると、県境尾根を目指して山裾に取り付いた。雪は例年と比べて少なかったが、それでもササを隠すほどにはあり、適当に登って行けた。ほんの一登りと言った感じで尾根の上に出ると、そこからは先ほどまで登っていた天児屋山がすっきりと眺められた。尾根の雪は少なく木々は疎らだったが、間伐材が放置されており、それをまたいでとなるので意外と歩き難かった。峰越峠のそばの1050mピークを越すと、長義山の全姿が眺められた。鞍部への下りは南面を下るため、雪解けが進んでいた。そこで雪の消えている笹地を下って行くことにした。鞍部からの登り返しは北斜面となるため、そちらはすっかり雪に覆われていた。その雪が昼となって緩んでおり、一歩一歩が潜ることになった。そこでスノーシューを履いて登って行くことにした。その斜面はけっこう急角度になっており、距離は短いながらも踏ん張って登ることになった。ずっと大きな天児屋山ではほとんど足を使わなかったのに、この長義山の方が足には厳しいのではと思ってしまった。山頂に着くと、そこはすっかり植林に囲まれており、三角点は雪に埋もれて見えていなかった。すぐに引き返して植林の縁でひと休みとする。そこから車道までの広い範囲は総て伐採地になっており、雪面が広がっていた。おかげで好展望を楽しめた。天児屋山がすっかり全姿を見せており、その右には三室山、竹呂山、植松山と、千種町の千メートル峰が並んでいた。展望地から高峰群を眺めるのは気持ちの良いもので、これを見たさに登ってきたと言ってもよかった。その展望を楽しむと、眼下に見えている登山口へと一気に下って行った。雪山の急斜面は本当に速く下れるもので、ほんの7、8分で登山口に着いてしまった。何とも呆気ない思いだった。振り返ると長義山がお椀を伏せた姿で佇んでおり、それは山頂だけをぽんと置いた姿だった。おまけの長義山だったが、十分に展望を楽しめたことで、登って良かったの思いを持って駐車地点へと戻って行った。
(2009/3記)(2014/11改訂)(2020/12改訂2) |