兵庫の高原ハイクとして段ヶ峰は有名だが、その段ヶ峰の山頂に立つと、西向かいになだらかな丘が見えて、そちらの方が高原ハイクに相応しそうに思えるものである。地図を見ると標高1088mの標高点が付いているが、山名は載っていなかった。そのピークに惹かれて訪れたのは1998年9月のこと。山頂はクマザサに覆われていたが、中央部のみクマザサが刈られており、そこからは期待通りの大展望が広がっていた。その日は空模様が生憎で、程なく雨となってしまったが、このとき思ったのは、雪の季節ならスノーハイクでもっと楽しめるのではと言うことだった。その1088mピークが杉山と名の付く山と知ったのは、2007年の1月に入ってのことだった。前年の2006年は後半を名古屋で過ごしており、兵庫の山とは無縁の生活だった。そのため『新・はりまハイキング』が出版されていたのを知らなかったのだが、1月18日に本屋でその本のあることを知って、一通り目を通してみた。そして一つ気になった山がこの杉山だった。北側からのコースが紹介されており、気軽に山頂に立てそうだった。それに今は冬の季節でもあり、スノーハイクをやってみたい気持ちが一気に湧いてきた。それを2日後の20日にもう実行に移した。
この日は午前が曇り、午後に快晴になる予想だった。そこで姫路を離れたのは8時になってからだったが、天気予報通り、朝の空は曇っていた。その空が北に向かうに連れ薄れて、雲間から陽も射して来た。そして上千町に着く頃には、ほぼ快晴の空に変わっていた。その上千町はと見ると、道そばと田畑に少し雪が見られる程度で、山を見ても雪はうっすらとしか見えなかった。車は林道・奥田谷線の起点辺りに止めたが、その林道も雪は少なく、四駆なら十分に走って行けそうだった。一応足元はスパッツで固めたものの、スノーシューは持たずにスタートした。この林道は笠杉山に登るおりに歩いただけだったが、20分ほど歩くと真新しい小屋が現れた。それが千町小屋らしかったが、冬季とあって閉鎖されていた。そのそばより遊歩道が南の山肌に付いていた。渓流に架かる橋を渡って遊歩道へと入った。木道で作られた遊歩道には雪が載っていたが、辺りの木立にはほとんど雪は見られなかった。木道はすぐに土道に変わり、遊歩道の様子は無くなった。その小径がジグザグ道で冬枯れの雑木林の中を続いていた。小径は土の見えている所が多く、雪を被っていても5cmも無く、雪による歩き難さは全く無かった。登るほどに千町小屋は足元から遠くなり、替わりに笠杉山が見えて来た。振り返れば大段山も木立の隙間から見えていた。ジグザグ道を登るとあって、急坂になることも無く尾根上に出た。その尾根も雪は少なく、多くても10cmまでだった。尾根道に沿って防鹿ネットが続いていたが、その途中が破れていた。よく見ると雄鹿が角をネットにからめて白骨化していた。どうやら必死に逃げようとして一帯のネットをすさまじい力でよじったようだった。ときおり見かける悲惨な現場だった。その空いた所から中に入ると木立の切れ目があり、北の山並みがすっきりと見えていた。その風景の中で、氷ノ山はまだ雲に隠れていた。尾根歩きを続けると、雑木を通して南の尾根が見え出した。そのなだらかな尾根の一番高い所が杉山だったが、そこに細いアンテナが2本立っているのが見えた。いつ建てられたのか知らなかったが、山頂の目標にはなると思えた。ところで尾根道を含めてコースには点々と赤テープが付いており、雪で道が分かりにくくなっていても、赤テープを追えば地図を確認しなくても進んで行けた。その赤テープに導かれるようにして尾根を東へと向かっていたところ、尾根の途中で杉山と「くじら岩」への標識が現れた。尾根を離れて一度、谷方向に下るようだった。尾根なりでも杉山は目指せるのだが、その方向がショートカットになるようだった。そこで谷方向へと下ると、さほど下らず林道に下り着いた。その林道でも雪は10cmと少ないため、車の轍が多く付いていた。その林道は下り着いた近くが終点だった。その終点の位置から尾根を目指して、東の方向に登り返す。その辺りは雪でコースが分かり難くなっていたが、適当に取り付いて登って行くと、また赤テープが見られるようになった。その先で大きな岩がごろごろと並んだ所があり、「くじら岩」は間近との標識が現れた。「くじら岩」に興味が湧いてその辺りを探ることにしたところ、岩と岩の間は雪溜まりが出来ており、何度も潜ることになった。それに嫌気がさして「くじら岩」探しはすぐに止めて、尾根を目指すことにした。適当に東の方向へと登って行くと、登るほどに雪が増えて辺りはすっかり白くなって来た。積雪は大したことは無かったが、漸くスノーハイクの雰囲気になって来た。一帯の傾斜は緩い上に下生えは丈の低い笹だけなので、適当に登って行けた。そして尾根に出ると、雪面に雑木が点々と立つ風景が明るい陽射しの下に眺められた。その尾根は南へとそのまま杉山に続く尾根で、尾根なりに歩いて行けばよいので、気楽なものだった。雪面にはトレースは全く無く、好きなように歩いて行けば良く、スノーハイクの楽しさを味わえた。ところで前回の記憶ではクマザサが茂っていたはずだが、この10年のうちにほとんど枯れて、替わりにアセビが増えていた。どうやら生野高原一帯は植生が変化しているようだった。そのアセビにときおり煩わされたが、雪に足を取られることも無く無難に進んで行くと、山上庭園と名付けられたピークに着いた。そこは松の木が点在する日本庭園的な風景で、もうすっかり雪景色だった。その松の木を通り過ぎた所で、一気に展望が広がった。一帯は遮るものも無く真っ白な台地になっており、東向かいに段ヶ峰の長い尾根がすっきりと見えていた。方向を変えれば氷ノ山も見えている。そして杉山の山頂は目前だった。その杉山へと少し下り、そして登り返しに入ると漸く雪に足を取られ出した。それでも雪は多くても20cmまでだった。鞍部では木立が茂って視界は遮られていたのだが、杉山山頂が見えて来るとすぐに木立は切れて、後は足どりも軽く白くなった山頂へと一気に登って行った。山頂は二本の細いアンテナが立っているだけで、視界を遮るものは他に何も無かった。そしてひたすら陽射しが降り注いでいた。その中に立って、久々に訪れた杉山山頂の明るさに浸っていた。そして好展望に目を楽しませた。この日は杉山山頂に立つだけでなく、もう一つ目的があった。それは杉山から段ヶ峰へと足を延ばすということだった。足に疲れを感じているようであれば止めるつもりだったが、幸い足の疲れは無く、またこの日の快晴に気分も良かったので、杉山に山頂展望を楽しむと段ヶ峰を目指すことにした。杉山を離れたのは昼を回った13時40分。向かうには少し遅いかと思われたが、段ヶ峰との距離を測って30分ほどでは着きそうに思えて、特に無理な行程にはならなさそうだった。杉山へは北からの尾根を辿って来たのだが、その尾根を引き返す形で歩き始めると、杉山と北隣りの1080mピークの中間点に小さな標識があり、そこから段ヶ峰への経路が示されていた。地図を見ると80mほど下ってから登り返すようだった。その方向を見ると点々と赤テープも見られた。そのテープに誘われるままに南東方向に下り始める。そちらは少しは雪が深いようで、多い所は20cmを越えており、少しラッセルする形になった。杉山へのルートにもトレースは無かったが、その段ヶ峰へのコースもトレースは全く無く、適当に雪を踏むだけだった。以前はクマザサがけっこう繁っていたはずだが、いつしか枯れており、下生えを気にせず疎らな雑木林の中を歩くだけなので、けっこう気楽なものだった。鞍部を過ぎ登り坂になると、少し雪に足を取られ出したので、出来るだけケモノの足跡を辿るようにして登って行った。ほぼ山上に出たと思えた頃、そのまま山頂方向を目指さず、南東方向にある登山道に最短距離で向かった。その登山道に出ると、さすが段ヶ峰とあって人の訪れは多いようで、登山道の雪はすっかり踏まれて、楽々と歩けるようになった。そして数分で山頂到着だった。その山頂は地表の見えている所が多くあり、せいぜい初冬の雰囲気だった。ただ山頂の展望は以前と変わらず素晴らしいもので、西には先ほどまで立っていた杉山が間近にあり、東にはフトウガ峰、そして南には平石山の尾根と、ここが生野高原の中心地であることを示す丘陵風景が広がっていた。この山頂に立ったときは14時を回っていたが、山頂には他にも登山者が残っており、その足元を見るとスパッツも無く夏靴を履いており、この冬の異常な暖冬を物語るものだった。この段ヶ峰に立ったことでこの日の登山は終了とし、後は下山だった。駐車地点は西の上千町集落なので、まずは千町峠へと下り、後は1時間はかかる千町林道を歩いて戻って行った。ところで千町峠への車道と言えば、一昔前は生野からの林道しか無く、その先の上千町までは道幅が細すぎて車の通行は不可能だったのだが、知らぬ間に道幅は拡幅され、おまけに千町ヶ峰の南を通る林道も出来ており、その林道を不用意に歩いてしまった。おかげで20分近くは時間をロスしてしまった。
(2007/2記)(2013/4改訂)(2018/11写真改訂) |